私がB'zを知ったのは中学生の頃である。
中一のとき以来、私は名探偵コナンの組織編(黒の組織が登場するストーリー)に高い関心をもっていて、アニメに目を通すことも多かった。
コナンのアニメのオープニングかエンディングかでB'zという単語を何度も見かけ、家族の前で「名探偵コナンのアニメってビーゼットの曲が多いみたいだね」と言ったところ、家族から「ビーズって読むんだよ、それ」と返された。
高校生のとき『名探偵コナン 純黒の悪夢』という劇場版を視聴する機会があったのだが、エンディングの方でB'zの曲が聴こえてきた。
そのとき、私は「メロディも歌詞も普通の曲だな」と感じた。そして「JourneyのWheel in the Skyの方が作品の雰囲気に合っているような……」とも感じた。
既に「B'zに熱狂的なファンが多数いるらしいこと」は知っていたので、「もし自分がこの映画の監督だったら、日本国内での興行収入を重視する場合はB'zのこの曲を、アニメ作品の完成度を重視する場合はWheel in the Skyを流すかな」と考えた。
因みに、『純黒の悪夢』を視聴した数週間後に改めてその曲をYouTubeで聴いてみたら「エンディングの儚い感じは少しお洒落だな」と感じたし、この曲には光るものもあると思っている。
大学に入ってすぐの頃、Hey JudeをYouTubeで聴いていたらB'zのfarawell songという動画が「あなたへのおすすめ」で表示されてきた。
試しに聴いてみると、アウトロの部分で「おや?」となった。
なんとHey Judeのアウトロの部分があからさまに模倣されていたのだった。
「これビートルズのカヴァーなのかな?」と思い、farawell songの歌詞が載っているサイト(そのサイトはJASRAC公認との表示があった)などで調べてみたが、クレジットにビートルズのメンバーの名前は無かった。
この出来事以降、私はB'zの姿勢に疑問を抱くようになった。
もちろん一定の範囲内におけるオマージュは世間でパクリとはみなされない。
クロマニオンズの「ワンゴー」という曲(『ラッキー&ヘブン』収録)のイントロとアウトロはチャック・ベリーへのオマージュであろう。
私はこの曲を聴いたときに「甲本ヒロトはクレジットにチャックベリーも載せるべき」とは思わなかった。
文学の世界においても、埴谷雄高の『死靈』を読んで、「ドストエフスキーのパクリだ」と言い出す人はいないだろう。
ゲーテも「私のメフィストフェレスも、シェークスピアの歌をうたう訳だが、どうしてそれがいけないのか? シェークスピアの歌が丁度ぴったり当てはまり、言おうとすることをずばり言ってのけているのに、どうして私が苦労して自分のものをつくり出さなければならないのか?」と語っている。
B'zの二人組やファンたちが「B'zはパクリばかりって言ってる奴が多いけど、B'zは分かっててやってるだけだから(笑)」と広言しているのは有名な話だ。
事実、「B'zは洋楽のリスペクトをしているだけ」と軽く考えている人は少なくない。
だが、「本来であればカヴァーとして発表すべき曲を『あくまでリスペクトだから著作権料は全部自分たちが頂くぜ』と言わんばかりに、元ネタの著作権者に対価を払わずに発表していく」というのはまずいと思う。
もちろん、わたくしA倉R郎も作詞作曲をしている身なので、作詞作曲をしてみたら気づかぬうちに先行する曲の一部に似てきてしまったというのは、あるあるだし、そういった状況が実はそこまで珍しいものではないというのも理解できる。
基本的に単音で構成される歌メロであれば特にそうなりやすい印象もある。
だとしても、一つのアルバムであからさまな洋楽のパクリ曲を何作も収録というのは、その域を遥かに超えてしまっていると言わざるを得ない。
ある洋楽と出会い、その曲の素晴らしさに取り憑かれてしまったのならば、元ネタとなった曲のミュージシャンに著作権料を払うなどした上で、アレンジするなり演奏するなり発表するなりすればよいだけの話なのだ。
最後に、B'zを尊敬しているというYouTubeコメントの問題点を述べて、この記事を結ぶことにする。
https://i.imgur.com/MaS10Wc.png (魚拓)
<本当にロックを愛してるんだろうね。そして作曲や表現の天才なんだと思う>
→本当の天才であれば先行する有名曲に全く似ていないヒット曲を書けるのでは?
<他のミュージシャンの他の曲も、大抵は少なからずルーツが感じられるはずなんだよね・・調べればさ。 でもそれは野暮だからしないってだけ>
→私は「自分の音楽活動のルーツは〇〇です」と公言しているミュージシャンを何百人と見てきたが、彼らが野暮であるようには全く見えなかった。このYouTubeコメントを書いた方は、或るミュージシャンの音楽的起源(ルーツ)を探る研究家や評論家が洋の東西を問わず数えきれないほど存在しているという事実に気づいてみても良いのかもしれない。
<Bzは、「世界にはこんなに素晴らしいロックが有るのに、日本人は、日本語じゃないってだけで聞きもしない」のを ほんとうに憂いてたんだろうね>
→既に日本語ロック論争などでその話題は議論されている。また、ビートルズの日本武道館LIVEが社会現象になったり、QUEENと日本の関係が切っても切り離せないものであったりと、B'zのデビュー前の時点で、日本の(特に若い世代の)洋楽人気はそこまで低いものではなかった。
<だからこそ最高に素敵な楽曲に感化された自身のセンスを最大限に活かして、さらに磨きをかけ、かけ続けた。 そうやって(少なくとも日本人には元祖を圧倒する程の)ロックの名曲を日本に発信しまくった>
→はっぴいえんど、忌野清志郎、ブルーハーツ、モップス(The Mops)など、洋楽にルーツを持つミュージシャンであれば、誰であれ「最高に素敵な楽曲に感化された自身のセンスを最大限に活かし、磨き続ける」という行為は、やっていて当然なのではないか。
<オンリーワン気取りで自身の創作や表現の幅を狭め・可能性を狭め、結局は芸術活動を終えてしまう小さな輩よりも>
→先行する曲からパクらなければ、誰でもオンリーワンである。
つまり「オンリーワン気取り」ではなく「文字通りのオンリーワン」なのである。
この方の世界認識によると、「先行する名曲からパクらないこと」は「自身の創作や表現の幅・可能性を狭めること」であるそうだが、正気なのだろうか?
そもそも、甲本ヒロトが「やめたければ、やめればいいんだよ。ビートルズだってやめたんだし」と述べていたり、クリームやセックス・ピストルズの活動期間が短かったりすることが示しているように、活動期間の長短と、その音楽活動が後世に遺してゆく影響の大小は必ずしも一致しない。
<本当に素晴らし物に対して欠かさぬ勉強を続けて、そこに敬意と愛を欠かさず、 日本人へ最高のロック作品を発信してくれる、し続けてくれて、日本の音楽文化を変えた彼らは尊敬でしかないよね>
→元ネタに敬意と愛を持っているのなら、パクった曲はカヴァーとして発表し、元ネタの作詞作曲者のクレジットを明示すれば良い。
そうすれば、自分たち(B'zの二人組)だけではなく、元ネタとなったミュージシャン(orその著作権者)にも利益をもたらすことが出来る。
B'zが長期的に売れ続けているというのは確かだが、「日本の音楽文化を変えた」という主張に根拠はあるのかは不透明なように思う。
最後になるが、この方はもう少し客観性を持ってみても良いのではないだろうか。