「北条義時」(岩田慎平 中公新書)を読んで | やさしい社会ブログ

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おとめ座今、NHKで大河ドラマ「鎌倉殿の13人」というのがやっています。そこで、この時代に興味を持ち、その大河ドラマ開始に合わせるように出版された(2021年12月25日初版。ドラマは2022年1月9日から放映開始)「北条泰時」(岩田慎平 中公新書)を読んでみました。

 

真顔ドラマを通じて歴史に興味を持つのはとても良いことだ。また、大河ドラマを素材とした入試問題もよく見られる。特に中学入試ではね。

 

真顔入試対策にもなるということですね。

 

真顔そうだ。

 

おとめ座それでは、まず「鎌倉殿の13人」とは何かということですが、1199年に突然、初代将軍である源頼朝(みなもとのよりとも)が亡くなります。

 

アセアセ強力なリーダーが突如として消えたわけです。

 

おとめ座そこで、18歳で源頼朝と、その奥さんである北条政子の長男である源頼家(みなもとのよりいえ)が後を継ぐことになります。源頼家を補佐するために13人の御家人(将軍の家来)が選ばれます。これが「鎌倉殿の13人」です。この13人の御家人はいずれも源頼朝とともに、鎌倉幕府の基礎を築いた人と言って良いでしょう。

 

真顔カリスマリーダーが消えた後は、いったん部下の合議制になり、その中から、また強力なリーダーが生まれるというのは歴史の法則でもある。その13人とは誰ですか?

 

ニコはい。北条時政(ほうじょうときまさ)、北条義時(ほうじょうよしとき)、大江広元(おおえひろもと)、三好康信(みよしやすのぶ)、中原親能(なかはらちかよし)、三浦義澄(みうらよしずみ)、八田知家(はったともいえ)、和田義盛(わだよしもり)、比企(ひきよしかず)、安達盛長(あだちもりなが)、足立遠元(あだち とおもと)、梶原景時(かじわら かげとき)、二階堂行政(にかいどうゆきまさ)です。

 

おとめ座さて、ここからは「鎌倉殿の13人」のネタバレを含むので、大河ドラマを楽しみにしている人は読まない方がいいかもです。

 

真顔この13人で激しい権力闘争が行われるんだよね。はたして誰が生き残るんだっけ?

 

おとめ座それでは順々に述べます。まず、1200年に梶原景時の一族が滅亡します。理由は梶原景時が結城朝光(ゆうきともみつ)という御家人が頼家の悪口を言っていると、頼家に嘘の申し立てをしたからというのです。このことで、大多数の御家人の反発を買いました。

 

アセアセちなみに、梶原が頼家にうその申し立てをしていることを結城に教えたのは、北条政子の妹です。

 

真顔なるほど、梶原氏の滅亡には北条氏が絡んでいるんだね。

 

おとめ座続いて、1203年に比企能員の一族が滅亡します。理由は次の通りです。頼家の奥さんが比企氏の出なんですが、その夫婦に子供ができました。もしその子が頼家の跡を継げば、比企氏と血縁のある者が将軍になるのですから、比企氏の勢力が大きく拡大します。逆に北条氏は勢力を失います。そこで、北条時政が比企能員をわなにはめて殺害します。

 

アセアセまた、北条氏がらみかぁ。

 

真顔確かに、頼朝と北条政子の間には長男である頼家と実朝がいる。北条氏としては政子の子である実朝に跡を継がせたいね。

 

おとめ座はい。比企氏という後ろ盾を失った頼家も、北条氏により暗殺されます。

 

真顔母である北条政子は頼家を助けようとしないのかなぁ。

 

真顔頼家は北条氏をないがしろにしすぎたのかもしれない。このまま、頼家の子が将軍の跡を継ぐことは、北条氏にとっては存亡の危機であると北条氏は感じたのかもしれないよ。

 

おとめ座北条氏の思惑通り、頼家の跡は実朝が継ぎます。さて、その次の犠牲者は何と北条時政です。

 

アセアセ北条氏一族ではないですかぁ。なぜですか?

 

おとめ座実朝を排除して別の将軍を立てようとしたからです。さすがに源氏の正当な血統を持つ実朝を排除してはまずいと考えた、北条政子、北条義時は実朝を守り、北条時政を追放しました。

 

真顔北条義時にとっても、政子にとっても北条時政は父親だ。さすがに父親の命までは取れんわなぁ。

 

おとめ座さて、この時点で「鎌倉殿の13人」のうち、梶原景時、比企能員は内紛により死亡。北条時政は追放。安達盛長三浦義澄は1205年に病死しています。中原親能、二階堂行政、足立遠元、八田知家はこの頃になると活動を確認できず、引退しているのではないかと推定されます。

 

ショック残っているのは北条義時、大江広元、三好康信、和田義盛の四人です。

 

おとめ座次に滅亡するのは和田義盛とその一族です。理由は鎌倉幕府への反逆に加担した甥の助命をお願いしたのに、北条氏に断られ、はずかしめられたために反乱を起こし、逆に北条義時らによって滅ぼされたのです。

 

真顔13人が3人になりました。北条義時は今や自他ともにみとめる鎌倉幕府の最高実力者です。しかし、朝廷は北条義時を討つように命令を出し、朝廷側と幕府側が戦うことになります。1221年のことです。

 

おとめ座これが承久の乱(じょうきゅうのらん)です。

 

真顔永久の乱」じゃないからねぇ~。間違えないでよ~。なぜ、朝廷は北条義時に対して怒ったんだろう?

 

おとめ座実は当時の朝廷の最高権力者である後鳥羽上皇は三代将軍源実朝を気に入っていたようです。なぜなら第一にまず実朝は貴族へのあこがれが強い人物=朝廷への忠誠心が強い人物であるからです。

 

ニコ第二に実朝の奥さんは後鳥羽上皇のいとこだという、まぁ親戚なのです。そんな実朝が公然と暗殺されてしまいます。①自分の信頼する実朝を守れなかった幕府、北条義時に不信感を持つのは当然でしょう。

 

真顔犯人は義時ではないかとさえ疑ったかもしれないね。

 

おとめ座また、②今までも北条義時は自分の信頼してきた者(平賀朝雅ひらがともまさ など)を討つことがありました。

 

ショックしかも③幕府の内紛で上皇が住んでいるところ(大内裏 だいないり)が破壊されましたが義時は修理しようともしません。

 

おとめ座そして、④実朝と奥さんとの間には子がなく、後鳥羽上皇の子を実朝の将軍にする約束があったのですが、将軍が簡単に暗殺されていますようなところに自分の息子を送れないと後鳥羽上皇は思い始めました。

 

ショックこれでは将軍はいないままになってしまいます。幕府に武力で脅迫された後鳥羽上皇は仕方なく藤原氏の一族の人間を将軍として鎌倉に送りますが、、、。

 

おとめ座後鳥羽上皇の義時に対する不信感は頂点に達したのです。

 

ショックそこで、承久の乱が起きたのです。

 

おとめ座北条義時は北条政子とともに鎌倉幕府のリーダーとして頑張りました大江広元、三好康信は鎌倉幕府の老臣として義時をよく補佐しました。そして、鎌倉幕府は朝廷に勝利したのです。

        ↓北条義時

真顔はい、良くまとめてきましたね。さて、北条義時は13人のうち何人を蹴落としたのだろう。

 

真顔梶原景時、比企能員、和田義盛の三人です。北条時政も含めれば4人ということになります。

 

おとめ座しかし、北条義時も「やらなければやられる」と思っていたことでしょう。いつの世でも政治の世界は怖いです。

 

拙著です↓。 ↑のように講師と生徒二人の会話形式で社会科を語る本です。 ゼミナールに参加する気分で、単なる暗記じゃない、基本から説き起こす社会の参考書をぜひ知ってほしいです。 以下から立ち読みも可能です。‎

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拙著に込めた思いについては

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