今回、日本地政研究会((1) 日本地政研究会 | Facebook)の皆さんと東京都府中市をめぐり、府中について思いを巡らしてきました。
まずは坪宮(つぼのみや)注目したい。これは大國魂神社からやや離れたところにあるが、大國魂神社の施設だ。
坪宮|大國魂神社 (ookunitamajinja.or.jp)より
くらやみ祭にて夜に御神輿が出発すると、その出発の報告が、この坪宮にされるらしい。この儀式は「国造代奉幣式」(=代々の国造の代理として、神職にあるものがお供えものをする儀式)と呼ばれている。坪宮の御祭神は、兄多気(毛?)比命(えたもひのみこと)だ。出雲国造の氏族であった。
先生、「国造」とは何ですか?
ヤマト政権が各国を治める人として指名した人だ。その地方の有力な豪族が多かった。兄多気比命はもとは出雲の人だ。今でいう埼玉県の大宮あたりに出雲の国の一族とともに侵攻。大宮あたりを支配した豪族で、彼らは大宮の氷川神社をつくった。ヤマト政権から「国造」と認められていた。ところで、天皇の権力を強めようとした政治=律令制は645年から始まるとされる。
大化の改新ですね。
蘇我氏を蒸(6)し(4)こ(5)ろし!
あんまりよい覚え方ではないけどね~。これを境に藤原氏が栄えていくわけですよね。
国造は大化の改新以後廃止された。あらたにヤマト政権から派遣された「国司」が国を治めることになったんだ。
では、兄多気比命の一族はどうなったのですか?
おそらく没落したか、滅亡したか?不明だ。ところで、大國魂神社の宮司さんである猿渡家は藤原氏の一族だ。
ということは、律令制が始まり「国司」の時代になっても、藤原氏である猿渡さんが、「国造」の代理として、かつて武蔵国を支配していた兄多気比命に祭の開始を報告するということですね。
新支配者が、旧支配者の代理として、旧支配者の親玉の霊にご挨拶するということかしら。
そういうことになる。おそらく武蔵は出雲勢力が支配していたが、ヤマト政権により滅亡させられた。しかし、怨霊が怖いから、まずは坪宮でご挨拶。
先生、もっと大きいことを忘れてませんか?大國魂神社の御祭神は「大国主(おおくにぬし)神」ですよ。出雲勢力を代表する神です。先生、国譲り神話と結びつきませんか?
先生、国譲り神話って何ですか?
大国主(おおくにぬし)神が、葦原中国(あしはらのなかつくに)=日本を天照大神(あまてらすおおかみ)に献上したという神話だよ。これは天照大神を信仰する勢力=今の天皇の先祖たち=ヤマト政権が、強い勢力を誇り、大国主神を信仰する勢力=出雲勢力を降伏させ服従させたことを示していると言われる。
大和時代、日本ではヤマト政権と出雲勢力の血で血を洗う闘争が繰り広げられていたのでは。そしてヤマト政権が勝利し、日本を平定した。武蔵の国でも同様の闘争あり、出雲勢力である兄多気比命の子孫たちを滅亡させたと考えるのが自然では。
さくらさんの推理を続けたまえ。
はい。それまで土地の神を祭っていた小さな祠、しかし、交通の便が良く、台地の上にあり、下には多摩川が流れる要衝の地にある祠を、ヤマト政権が大拡張し、出雲勢力の神である大国主神を祭った「大國魂神社」↓と作ったのでは?
フォトギャラリー|大國魂神社(東京・府中) (ookunitamajinja.or.jp)より
なるほど。大規模な大國魂神社を中心とする数多くの寺院により、滅亡させた出雲勢力の怨霊を抑えるとともに、残存する出雲勢力をも抑えようとしたわけだ。
私の知る限り、さくらさんの考えは否定できないよ。大和時代については資料、文献、遺跡が少なく、自由な推理が可能な時代だ。だからこそ面白いともいえる。
その後、大國魂神社周辺には国司が政務をする国府が置かれ、まさに府中は武蔵国の中心になるわけです。
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拙著に込めた思いについては
「やさしい中学地理」について | やさしい社会ブログ (ameblo.jp)
「やさしい中学歴史」について | やさしい社会ブログ (ameblo.jp)
「やさしい中学公民」について | やさしい社会ブログ (ameblo.jp)
を参照してください。
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