犬のお友だち、はっちゃんのお見舞いに行ってきた。
「いらっしゃい~!」とわたしを歓迎してくれるはっちゃん。
はっちゃんは、先日、悪性の心膜中皮腫であることが明らかになった。
これは極めてまれな腫瘍だそうだ。手術をしても予後はよくないということだ……。
そのため、薬物療法で暖和ケアを行いながら、一週間に一度の間で、心臓との間の膜に溜まる液を抜く処置を行うことになった。
はっちゃんには、苦しむことなく、少しでも楽しい思いをしてほしいと思っている。
はっちゃんは、今後、少しずつ衰弱していくと獣医から言われている。
はっちゃんは今日、わたしの車をとめている場所まで、歩いてお見送りをしてくれた。
その道中にはっちゃんは何度もわたしに「楽しいね!」と振り返り言ってくれていた。そのはっちゃんの笑顔がわたしの脳に刻み込まれた。
わたしははっちゃんの笑顔をまだ見ていたいと思った。
貧血で体がだるいはっちゃんだが、つらいながらも目一杯の笑顔。
はっちゃんの調子が低調ながらも、比較的よい容態なら、また、はっちゃんのお見舞いに行きたい。
ところで、昨日、神戸の市街地で迷子になったオスの若鹿が殺害された記事を書いた。
その記事にたいして、コメントをくださった方のコメント内容が「ほんと、その通りだよね」と思った。
迷い若鹿殺害ニュース記事のコメント欄には「殺害は正論」というコメントが多くあるという。
これは、鹿の殺害だけではなく、野生動物全般に言えることだ。
この社会では、野生動物を保護する、擁護する意識が全くと言ってよいほどないので、野生動物差別が社会に蔓延していて、野生動物差別が蔓延しているから野生動物を保護する意識が全くないと言い換えることができる。
「野生動物の殺害は正論」というのは暴力を容認した差別主義者の言葉である。
さらに、ニュースコメント欄の内容を読んでいると、現状や野生動物のことを何も知らない人が書いているということもよくわかる(中には非常に少数だが真っ当なことを言っている人もいる)。
匿名で投稿できるコメント欄には社会のあり方がそのまま反映されるので、社会の傾向などを分析るすにはおもしろい。
「殺害は正論」と言うが、街に迷い込んだ野生動物(=街に現れただけで)を殺すことは、ありえないことだ。
これは、野生動物が人間に姿を見られただけで野生動物たちは命を奪われるということだ。
これは何を意味するか、よく考えたことはあるだろうか?
簡単に言うと、人間の暴走である。
理性が働かず、人間至上になり、人間は人間の好き勝手な行動をする。
人間が何者であるかも自問することなく、この地球で好き勝手行う人間の行動で人間はいずれ自滅する。
そのことを理解している社会は自然環境や野生動物の保護に積極的だ。
それ以前に、自然保護や野生動物保護先進国では、野生動物の命を簡単に奪う行為が、人道に反することだという認識がある。
そのため、野生動物を救助する人間活動は称賛されているのだ。
「殺害は正論だ」と言っている社会がどれほど酷い社会であるか容易にわかるだろう。
殺害の正当化にあれこれ理由を後付けし、あたかも正しいことをしているかのように言い振る舞うのはNGだ。
日本は野生動物にたいして戦前から酷い扱いを行ってきているが、その中で野生動物との平和共存を考える人々がいたことは確かだ。
それは、児童文学からもわかる。
野生動物にたいする社会の認識や人びとの思考が非常に危ない傾向である現在、この異様さに気づく人はどれほど存在するだろうか?
人びとの思考や価値観などを決定するのは社会のあり方である。
政府の言うことをそのまま垂れ流しにしているメディアの罪は大きい。
2022年、報道の自由度ランキングでは、日本はまた順位が下がっていた。
「【パリ=共同】国際ジャーナリスト組織『国境なき記者団』(RSF、本部パリ)は3日、2022年の世界各国の報道自由度ランキングを発表した。対象180カ国・地域のうち、日本は昨年から4つ順位を下げて71位」。
●記事はこちら
野生動物や自然環境に行っているこの国の行為にわたしは強い危機感を抱いている。
みなさんはどうだろうか?
行政は街に迷い込んだ野生動物は殺害せず、山へ戻すよう、みんなでその声を行政に届けよう!
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