午後から雨が降る予報だったので、イヌたちの散歩時間をいつもより早めに行くことにした。
イヌたちには「今日は雨が降るようなので少し早くに散歩に行こうか」と話した。
するとイヌたちは「そうしよう!」とはりきり小走りでドアの前に行った。
予報より早くに雨が降り出したので、散歩時間を早めて正解だった。
雨が降り出すとシカののぞみちゃん(♀推定4歳)は雨に濡れないテント下で休み、シカのすぐるちゃん(♂4歳)は室内で休んでいた。
「雨に濡れたくないんだな~」とシカののぞみちゃん。
すぐるちゃんは家育ちのイエシカなので、のぞみちゃんよりも多くの時間を室内ですごすことが多い。
「ボクは部屋で休むよ」とすぐるちゃん。
シカについて検索していると、カナダのオンタリオ州政府が州北西部のドライデン、ケノラ、スーナローズ地域で、シカへの緊急冬期給餌を実施するという記事があった。
政府の広報担当者によると、このプログラムは、極端な雪の積雪が深刻な地域で、雪の積雪に伴うシカの高い死亡率を減らすために考案されたということだ。
ケノラ地域の積雪は特に深刻でシカにとって危険であるという。
ケノラ地区で長期働いていた生物学者、ブルース・ランタ氏は「積雪50センチが50日間続くと、鹿は深刻な事態に陥るという経験則がある」と語っており、「雪は解ける見込みがなく、ここ数日深刻な事態に陥っているか、深刻な事態になりそうだ」との見解を述べている。
シカに対する緊急給餌活動に使用される食糧は、混合飼料でシカの体調を改善し、「純粋なトウモロコシを与えた場合に発生する問題を回避できることが実証されている」ものだという。
シカの生息密度が最も高い場所をGPSで特定し、「同省は、今週からヘリコプターによる空輸とスノーマシンによる陸送の両方で、地域やアクセス状況に応じて、飼料投下を指揮する予定」だそうだ。
ランタ氏は「鹿が飢餓の危機に瀕している厳しい冬には、緊急給餌が野生動物管理者のひとつの選択肢になる」と語る。
オンタリオ州のシカの生息数を検索すると約40万頭ということで、オンタリオ州は狩猟によるシカの個体数管理を行っている。
しかし、日本の個体数管理(「害獣駆除」)と異なる点は、オンタリオ州ではシカは生態系に重要な存在であると位置づけており、オンタリオ州のシカの個体数調節はシカを撲滅するものではないということだ。
オンタリオ州のサイトを見ていると、やみくもにシカを殺害するのではなく、科学を取り入れながらプログラムが構成されているように見て取れる。
問題は、取り入れている科学が従来の自然環境保全の考えであり、最新の科学的知見の全てがプログラムに反映されていないということだ(たとえば、生態系に適切なシカの個体数を目指す考えなど。生態系に適切なシカの個体数を人間が知ることは可能なのだろうか?わたしは困難であると思っている)。
日本の場合は、シカは「害獣」として扱われ、撲滅に向けた「捕獲=捕殺」が行われている。
その理由に生態系保護や農作物損失軽減などがあげられている。
つまり、日本の場合はシカを生態系の一部の重要な存在として見ていないということだ。
この社会では、政府や行政の方針に都合のよい研究が行われていることは少なくなく、公平な研究が日本の生態系保全に取り入れられていないように思う。
オンタリオ州では、シカは生態系や市民、先住民などにとって重要な存在であると認識されているので、飢えたシカを救護する(個体数を減少させない)プログラムも行われるのだろうと推測する。
シカを生態系の一部として行われているオンタリオ州のシカの個体数調整プログラムは、まだ科学的と言えるのではないだろうか?
野生動物の個体数管理について近年の科学的知見では、シカの捕殺が個体数の減少に効果がなく逆効果であるとこがわかっており、生態系に予期せぬ事態をもたらす可能性が危惧されている。
そして、個々の動物たちの殺害は、倫理に反することから、野生動物の個体数管理には非殺傷プログラムである不妊プログラムを行う州や国が増えている。
オンタリオ州のシカの個体数管理サイトには、狩猟犬についても書かれており、リードで繋いだ犬はすべての野生生物管理ユニットに参加できるという(犬は負傷した鹿を追跡して回収するために使用)。
日本では、自制心が制御できない犬をノーリードにして野生動物を追わせているが、その危険性を政府や行政が考えていないことに大変おどろく。
このようなことからも、日本で行われていることがいかに権力の都合よく動いているかがわかり、多方面から大変危険なことが行われていることもよくわかる(たとえば、「駆除捕獲」による生態系破壊、危険な電気柵設置、猟犬の使用、生態系や種に悪影響を与える農作物防除柵の設置、持続不可能であるジビエの利用など)。
この社会で行われることは民主的でなければいけない。
情報の公開はもちろんのこと、市民の意見を取り入れ、科学的知見(科学を市民科学にする)を重視した取り組みを進め透明性ある政策を行うべきではないだろうか。
どのようなことでも、大事なものや小さく弱き者を守るには、ここに住んでいる人びとのあげる声にかかっている。
声をあげなければ民主主義も守れなくなるし、自然環境も犬や猫、野生動物や他の動物たちも自分も家族も守れない。
人間以外の動物たちも含め、すべての者が生きやすく生きたい社会にするのは、ここに住んでいるわたしたちの声だ。
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