朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -93ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

さて、翌朝(6月21日)は8時に起きてコンビニで買ったおにぎりを2つ食べてから八坂神社に向かう。
 
 
 

八坂神社の本殿と舞殿。祇園祭の時は舞殿には神輿が並び7月15日には御霊写しの儀が行われる。その祇園祭も今年は中止になった。後祭での花笠巡行などのいつかの行事が楽しみで上洛を予定していたが残念である。この舞殿で行われる芸舞妓の奉納の舞もそのひとつだ。

 
 
 
四条通り側の鳥居から境内にはいると、最初にあるのがこの疫神社である。鳥居には茅の輪が設置されており、多くの方が参拝していた。ここは正面から入って右に抜けよとある。
 
 
 
本殿横の茅の輪潜りは、まずは左回り、次に右回り、最後にまっすぐ抜けるように説明があり、「蘇民将来子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と唱えながら回るとある。
 
例年、茅の輪は6月30日の夏越しの祓いに向けて設置されるが、もともと疫病退散の意味があるので、今年は前回の3月の上洛の折にはすでに設置されていた。
 
京都人の密かな愉しみの中でヒースロー先生が来日10年目にして初めてコンプリートし、思わず ‘I did it!’と叫んだ作法は、
 
①水無月の夏越しの祓いする人は千歳の命延ぶというなり
 
②思うことみなつきぬとて麻の葉を切りに切りても祓いつるかな
 
③蘇民将来、蘇民将来(繰り返す)
 
と、回るごとに唱える言葉が違ったものだったが、場所それぞれの作法があるようだ。
 
 
 
本殿を通り過ぎて奥に進むと祇園神水が湧いている。祇園神水は「力水」とも呼ばれ、気の力を得ることができる。
 
 
 
美御前社と右手にあるのは美容水である。美容水も神水で、2、3滴を手肌に付けると良いとある。美御前神社は祇園の芸妓さんや舞妓さんはもとより、化粧品業界人などに古くから熱い信仰を寄せられているらしい。

 

この二つの神泉の違いがいまいち良くわからない。ネットで検索すると『祇園神泉を飲んでから美御所社にお参りをすると美人になる」と書かれていたりすると、何がなんだかわからない。同じなのたろうか?

 

八坂神社の本殿の下には龍穴という龍の住む井戸があって、その井戸は神泉苑に繋がっているという話がある。神泉苑は二条城の南にある古い寺院である。もし(繋がっているのが)本当だとすると、その水脈は京阪の地下化でも枯れなかったことから相当深いと言える。

 

 
 
すべてにお参りできたわけではないが、一通り末社をお参りし、最後に「通り過ぎた」縁結びの神様は、右側に石像があるように大国主命である。
 
なぜ、いくつもある末社から最後に大国主命を持ってきたかというと、結ぶ神さまも有れば、切る神様もいるということだ。
 
 
 
臨済宗大本山 建仁寺
 
特別公開などもあったが、時間がまだ早くて通過のみとなった。建仁寺は京都に来るたびに通り抜けるけれど、一向に中には入れない。早朝だったり混んでいる時間帯だったり、あるいは遅い時間だったりである。
 
 

振り返れば花見小路も人影疎らなのである。
 
建仁寺を通り抜け三十三間堂方面に行こうと適当に南に降って行くと、予定にはなかった神社に吸い込まれるように入ってしまう。というのも、この頃からなんとなくふらつく気がして、熱中症気味なんだか、二日酔いで体調が悪いのか、いや、もしかしたら降圧剤が効きすぎての低血圧なんじゃないかという状態だったことも要因かと思う。
 
 
 
安井金比羅宮
 
入ってみて、「ああ、ここがあの安井金毘羅宮だったのか」と気が付いた。

京都最強の縁切りの神様として有名であるが、特にそのような必要もなかったので場所も知らなかった。恐ろしい神様だとも聞く。悪縁を切り良縁を繋ぐというが、かなり強引に願いを叶える。会社の同僚との関係に悩みお参りしたら、病気になって転職を余儀なくされたとか、会社が潰れたとか。
 
 
 
お宮にお参りし、この石の穴を悪縁を切ることを願いあちら側に抜け、良縁を繋ぐことを願いこちらに抜けて、最後にお札を貼るのが作法のようだ。




 この後で清水五条駅のそばのファミマで冷たい飲み物を取って休憩し、体調の回復を待つがなかなか治らない。しかたなく地下に降りて冷房の風を浴び、清水五条駅から七条駅まで京阪に乗って移動した。
 
さて、縁切りの話を続ける。こちらは本当はこの日の最後にお参りしたのだが、話の流れでこちらを先に書くことにする。
 
 
 
Ristorante 美郷
075-351-0098
京都府京都市下京区堺町通松原下ル鍛冶屋町246-2 
 
 
清水五条駅から五条通りを烏丸通りに向かって歩き、ちょうど半分くらいの堺町通りを右に入っていくと左側に町屋を改造した素敵なイタリアンのお店がある。
 
その2軒ほど先になぜか路地に引戸が設置されていて、意味ありげに石塔が立っている。

 
 
表札もあり、奥には自転車も見えるので、個人のお宅へと通じる私有地の路地なのだろうと思われるが、石塔には鉄輪井(かなわのい)との文字が見える。
 
 
 
引戸を開け奥に進むと突き当りの右手の正面には命婦稲荷神社がある。命婦稲荷神社は家庭円満、商売繁盛などの御利益がある。左手前に手水があるが、どうやらそれは鉄輪井ではないらしい。
 
 
 
右手前に小さな祠があり、その右にあるのが、鉄輪井である。故あって縁切りの井戸と言われ、縁を切りたい相手にこの水を飲ませると力を発揮する。ただし、現在この井戸はすでに枯れている。
 
ペットボトル等に水を持参し、井戸の上に置き、祠に手を合わせて悪縁を切ることを願うと、水に霊力が移る。その水を切りたい相手に飲ませれば良いのだそうだ。
 
 

本来はこのような悲しい言い伝えのある井戸なのである。この謡曲「鉄輪」で鬼となった女と対決したのは、あの安倍晴明である。
 
妖怪堂さんによると、鉄輪の女の話には3つの物語が交じり合ってあるというが、これ以上書くと業務妨害になってしまうので、興味のある方は西院 妖怪堂さんを訪れてみてはどうだろうか。

弁慶はかわいそうな女の冥福を祈るために静かに手を合わせたが、その脳裏には京都人の密かな愉しみのショートストーリー「鉄輪の女」で怨霊となって現代に現れた鉄輪の女を演じた、中越典子の面影が浮かんでいたかもしれない。
 
ね。
 
 
 
念の為に申し上げておくと、京都というカテゴリーで書いてはいるが、比叡山があるのは滋賀県大津市である。そしてようやく京都に降りてきた😄。
 
 

 

 

ケーブルカーの駅から叡山電鉄の八瀬駅に行く途中には八瀬川(高野川)があって、釣り人やバーベキューをする家族連れで賑わっていた。

 

 
さて、八瀬といえば瑠璃光院を思い付くが、拝観するには結構なお値段だし、今回はそれを取り返すほどの時間は無い。
 
 
 
また、八瀬といえば鬼の子孫と云われる八瀬童子に興味をそそられるというのは、相当妖怪堂氏に毒されていると思われるが、それはまた改めてということで駅に到着。(毒されているといっても妖怪堂さんのイベントにはまだ一度しか参加していません。)
 
 
 
叡山電鉄で出町柳までの移動は、1両編成なのでかなり混雑し、立っている乗客もあった。
 
叡山電鉄で出町柳駅までは巡拝チケットの範囲である。そこからは京阪で祇園四条まで行くことにする。
 
 
 
まずは四条通りの喧騒の中にポツンとある眼疾地蔵の仲源寺へお参りである。

喧騒といっても今は普段よりはずっと静かである。たまたま立ち寄った時に眼に良いお地蔵様だと知ったのだが、ちょうど網膜裂孔で眼を患い、その後は網膜前膜と診断されるなどして、時間が許すなら立ち寄るようにしている。出来れば手術が必要なほど悪くならないで欲しい。
 
 
 
ぜひ行きたいと思っている祇園のとあるお店は今回も閉まっていた。そこから(これは翌日撮った写真だけど)、宮川町界隈をぶらぶらとしたのは、ちょっと前に知った舞妓シアターまで行ってみたかったからである。
 
 
 
 
ちょっと嘘っぽいと思われそうなこの舞妓シアターだが、歴としたお茶屋の系列(という表現が正しいかわからないけれど)なのである。こちらは京都の花街文化を広く知ってもらうのが目的なので、誰でも予約をすれば行くことが出来る。良いか悪いかは別として、きっかけとしてはかなり手軽なんじゃないかと思う。
 
そんなことをやりながら、ちょっと遠回りしてホテルにチェックインして、比叡山を歩き回った汗を流して夜の街へと再出発なのである。
 
 
 
ここ家 祇園八坂別邸
050-5872-7596
京都府京都市東山区祇園新橋通東大路西入林下町434-2
 https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260301/26016179/
まずはホテルに近い木屋町の居酒屋ここ家さんにお伺いした。ところがコロナの影響でお客さんが少ないからだろうが、祇園店に居ますよとの貼紙があって店は閉じていた。せっかくなので祇園、といってもちょっと先の知恩院に近いエリアにあるこちらのお店にお伺いし、初めてなのでそろっと引戸を引いて1人でも良いかと聞いてから入店した。

初めてとはいえ、こちらのお店は大将がアメブロユーザーなので、そっちはいつも確認させてもらっている。

カウンター席(掘りごたつ式)に通されたが、まだ客は誰も居ない。そして帰るまで誰も来なく女将さんと差しであった。
女将の話だと、京都の人は隣近所の噂を気にするので、まだまだ自粛継続なのだそうだ。これでは自粛解除といっても、なおさら厳しいだろう。
ちなみにこのお店もお茶屋さんの系列で、芸舞妓を呼んでの宴会などもセットしてくれるお店だ。
2時間くらいでお店を出て祇園から先斗町へと向かう。
 
四条大橋もいつもほどの混雑ではない。先斗町の鴨川沿いのお店にはもう床が出来ていて、それなりに賑わっている様子が見える。
 
 
 
でも先斗町の細路地は、まだ21時なのにほとんど人は歩いていない。ある意味、安心できる部分もある反面、お店にとってこれは厳しいと思う。
 
昨年の秋に呼んだ舞妓さんはこの自粛期間の中で引いて(辞めて)しまったし、他にも引かれた方は随分いるようだ。行きつけの芸妓さんの経営するバーには、芸舞妓がお馴染みさんに配る団扇を飾る竹の団扇挿しがあるが、なんだかスカスカなのである。お座敷もなく、日頃鍛錬している芸事を披露する春のをどりも秋の温州会も中止となった。祇園祭りの奉納の舞もないし、モチベーションも保てないだろう。もともと芸を極めようとまでは思っていなかったら良い潮時と思うのも仕方がない。
 
https://the-kyoto.en-jine.com/projects/ookini

 

 


ということで、興味があったらご覧頂きたい。
 
ね。
 

 
横川には13時50分頃に到着した。このバスは折り返しで横川14時発のバスになる。その次は15時発なので、1時間ほどの余裕がある。それを逃すと16時10分、本日の最終である。


 

比叡山の北側の横川エリアに来たのは、比叡山の三大魔所のひとつと呼ばれる元三大師御廟への参拝である。御廟は普通「ごびょう」と読むが、比叡山には開祖 伝教大師御廟があり、こちらが「ごびょう」と呼ばれるので、元三大師御廟は区別して「みびょう」と呼ぶ。

 
横川中堂を過ぎた分岐を、まっすぐ行くと元三大師が住んでいた元三大師堂(四季講堂)があるのだが、ここから左に曲がる。
 
 
 
観光エリアではあるが、ちょっと心細いような人気のない参道を進む。
 
 
 
道端には、このような石仏がポツンポツンと並んでいる。「第十三番 石山寺」は大津の花で有名な石山寺であろう。

さてブログを書くにあたって調べていたところ、もしかしたら西国三十三所各寺が建立したものなのかなという疑問が湧いた。それで早速、別の写真を見てみると、第十二番はまさに岩間寺で合致したし、また記憶ではこの付近で「あ、三井寺がある」と思ったのである。三井寺は第14番なので、おそらく西国三十三所と思って間違いないと思う。
 
 
 
しばらく進むと左手に元三大師御廟があった。鳥居があるからお堂ではなく社と言うべきなのだろうか。
 
 
 
元三大師御廟はこの社の後ろ側の一段高い場所にある。鳥居の先に石の囲いがあり、その中心にきのこ型の墓石が建っている。
 
石の囲いの中は、草が自然に生えたままであるが、それは元三大師の遺言によるもので、大師は死んだのち、京都の鬼門たる比叡山のさらに鬼門たるこの地に葬り、荒れるに任せよと遺言した。埋もれた墓所から人知れず比叡山を守りたいと願ったのではないかと思うが、さすがにそうはさせてはもらえない。残された者の思いと遺言の折り合いのついた結果として、このように祀られることとなったのだろう。
 
恐れ多いのでその様子はちょっと写真を撮るわけにもいかず、囲いの周りを時計回りに三周まわってお参りした。御廟について調べた時に、そのようなブログを読んだ気がしたからだ。

そこから更に先に進む。
 
 
 
まずは甘露山王社。どこを調べてもその謂れは不明である。
 
 
 
次に箸塚辯財天。元三大師が千僧供養を行なった際に、使用した箸をここに埋めたことに起源する辯財天で、前出の無動寺の辯財天と西塔エリアの箕淵辯財天と合わせて比叡山三辯財天と呼ばれている。
 
 
 
そして箸塚辯財天と向かい合うように建っているのが四季講堂(元三大師堂)である。ぐるっと回って来たわけである。

改めて説明すると、元三大師良源は第18代天台座主で、角大師、豆大師(魔滅大師)などの異名を持ち、霊力が強く天台宗の厄除大師といえば、この元三大師なのである。また、おみくじの発明者としても有名である。その天台座主としての功績は大きく比叡山中興の祖と呼ばれる。
 
 
 
四季講堂の謂れは、村上天皇の勅命でそれぞれの季節に法華経を論じたことによる。元三大師の住居跡といわれていて、元三大師を本尊として祀っていることから元三大師堂とも呼ばれる。



御朱印は元三大師である。

このお堂で引くおみくじは、一般的なおみくじとは異なり、僧侶が引いて、その内容について説明をしてくれる。所要時間はおよそ1時間となり、完全予約制となっている。

四季講堂では、箸塚辯財天の御朱印も頂けるが、自分が何枚ももらう人の後ろで待つのは嫌だったので、その後は一度に複数枚は頂かないことにしている。

 
 
戻って横川中堂へ参る。前回訪問時、こちらも根本中堂と同じ香の匂いがしたと感じたが、今回はそれも感じない。



本尊は聖観音菩薩なので、大悲殿。

本尊は中央に配し堂内をぐるっと廻れる構造で、壁面には小さい観音像が無数に収められている。また横川中堂では写経も出来る。



このような舞台造りとなっているが、これは遣唐使船を模したものだという。
 
 
 
14時55分にバス停に戻った。横川をじっくり廻ろうと思ったら半日は必要かと思う。それで千日回峰行の拠点、飯室谷へ降るのも良さそうだ。

思いの外比叡山には人が多く、最終バスで帰るととても混雑しそうだと判断し、西塔、東塔を通過して終点の山頂まで行く。そこからはロープウェイ、ケーブルカーを乗り継ぐ。


 
山頂の展望台からも、またもや琵琶湖である。


 
山頂から徒歩10分。比叡山ロープウェイ山頂駅は、比叡山山頂から坂を登るというのも変な話だか、山頂という名のバス停から更に高い所に向かう。ここまで来て初めて京都側の眺望を見た。


 
それほど大きな箱ではないので、乗客が増えると臨時運行をしないと追いつかない感じだ。実際、臨時運行便で下に降りた。



更にケーブルカーに乗り継がないと下山出来ない。ケーブルカーも座れない乗客が出るほどの乗車率であった。

ね。


ケーブル比叡山駅まで戻ると1時ちょっと前だった。
 
次に行きたかったのは根本中堂。比叡山の中心となるお堂である。
 
 
 
根本中堂は東塔エリアにある。ここはもう参拝料が必要なエリアとなるが、巡拝チケットがあるので無料である。参拝受付にチケットを提示すると、パンフレットに判子を押したものを渡されて、それを参拝券の代わりに見せるようにとのこと。



面倒くさいなあと思ったが、横川で参拝受付に行列が出来ている横をパンプレットを見えるように提示して通り抜けられた時に、その為のシステムだということに気が付いた。これでも小さいけれど、チケットの日付はまったく確認できない大きさなので、並んでの入場となってしまうと思う。
 


根本中堂は、前回もそうだったが今もなお改修工事中で外景は見えない。内部は撮影できないのだが、御本尊と参拝者の間には修行の谷という低い場所があり、僧侶はそこでお勤めをする。一方、参拝者は同じ目線の高さで御本尊を拝めるという構造となっているわけだ。
 
 


根本中堂の御朱印は本尊が薬師如来なので医王殿である。前回は工事の関係で手前の萬拝堂で頂いたので、またそこに頂きに行ってしまったが、今回は根本中堂の前に御朱印授与所が出来ていた。

 
 

というわけで、こちらが萬拝堂の御朱印である。萬拝堂は中央に観世音菩薩を置きその周りに日本全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩諸天善神、世界の神々を共に奉安しているので、大悲殿である。

 

 

右が萬拝堂で、左は一隅会館という休憩所で、坂本の名物の鶴喜そばが食べられる。
 
さて、根本中堂に戻るが、今回の最大の関心事は前回来た時に根本中堂のなかの香の香りが独特で興味を惹かれたことである。今回こそそれを買いたいと思っていたのだが、なぜか前回ほどは感じなかった。もしかしたら焼香の香りで、参拝者が少ないので前回ほど感じないのかもしれない。自覚なくコロナに罹患して匂いを感じなくなっているわけではないとは思うのだけど。
 
 
 
講堂へ向かう石段の脇の元三大師霊場の石碑と牛の像。
 
 
 
講堂手前の鐘楼と青もみじ。
 
鐘楼も講堂も足早に通り過ぎて、参道沿いにずらっと並ぶ比叡山で修行をした宗祖方の説明付きパネルも通過し、向かったのは比叡山バスセンターである。
 
通常は30分の間隔で運行しているシャトルバスであるが、コロナの影響で1時間の間隔になっている。まずはダイヤの確認をしておかないといけないと思ってやってきたのだが、ちょうどそこへ横川行きのバスが来てしまったので、これで東塔エリアを後にすることになった。
 
ね。
 
 

比叡山の最初の目的は、間に合えば大阿闍梨の護摩に参加してみたいということだった。

 
 
 
正面から見た無動寺明王堂である。到着したのは11時30分で、障子は閉じられ中からは真言を唱える声が聞こえた。11時から護摩が始まることは知っていたのだが、始発で来ても間に合わないのである。恐る恐る障子を開けると正面で大阿闍梨が護摩を行い、手前には6人の方が正座し真言を唱えていた。大阿闍梨とは千日回峰行を満行した行者である。輪番でここに詰めておられるのだ。左には作務衣を着たお寺の方がひとり。目で挨拶をし身体を滑り込ませ正座して一緒に真言を唱える。
 
とりあえず不動明王の御真言は仕事で何年も通っている安全祈願で護摩に参加しているうちに覚えてしまったので一緒に唱えられる。そのあとの般若心経もなんとなく覚えているところがあるのは母親が死んだ時になぜか仏壇に置いてあった般若心経の経本を詠んでいたからだが、それ以外はそれがなんだかすらわからない。
 
護摩が終わると御加持を受けて終わりである。
 
 
 
堂の右側にあるのは白山神社と千日回峰行の始祖とされる相応和尚の石像である。
 
御加持の加持は「加持祈祷(かじきとう)」の加持である。そういえば、なるほど言葉は知っていると思う人も多いだろうが、では何かと言えば私も先週までは知らなかった(爆)。
 
御加持とは、大阿闍梨が頭、両肩を数珠で軽く叩くことを指す。大阿闍梨を介して不動明王と参拝者を繋ぐ、まあ言うなれば参拝者の願いを確かに聞きましたよという合図みたいなものらしい。だから参拝者は首を垂れ、胸の前で手を握り合うように合わせ、心の中で祈願したいことを念じる。
 
参拝者を一通り周り、お疲れ様でしたの言葉で終わり、大阿闍梨は堂を後にする。他の方は作務衣の方に数珠を渡して護摩の火にあてる御火加持を受けていたが、私は持参していなかった。
 
 
 
実は昨年、温泉仲間だったOさんが亡くなったことをブログに書いたが、今度はその息子が病気になって闘病中なのである。Oさんにはずいぶん世話になったので恩は息子に返してやりたいと思っているが、こんな状態では京都を連れまわせなくなる。それでは困るので回復を祈願する護摩木を納めた。護摩木は300円。併せて御朱印も頂いた。こちらも300円である。
 
 

穴太衆による石垣はここにもあった。明王堂から参道に戻って下ると法曼院がこのような石垣の上に建っていることがわかる。
 
 
 
降りたところを左方面にやや下りながらすすむと、左側に親鸞聖人が修行をした大乗院がある。堂内には親鸞上人作の「そば食い木像」があるのだが、入口が閉まっていた。
 
おそらく、この道をさらに下って行き分かれ道を左に折れて進むと紀貫之の墓があると思うが、今日はやめておくことにして引き返す。

 

明王堂に登り返すだけでも息が切れるのだが、さあどうしようと思って考えていると、辯天堂への案内を見つけたので、その道を下ることにした。誠に平行移動という場所がない。
 
 

 

やや下ると堂があったので、これが辯天堂なのかと思ったが、こちらも入口が閉まっていたので、そのままもう少し下ってみた。


 

 

下った先の右手を見ると奉納された酒樽が積んであり、なにやら生活感のある建物があってわずかながら中から人の声が聞こえる。どうやらここでお斎(食事)を頂けるようだとわかったのは帰ってからである。

 

 


番犬なのだろうか。よく吠える犬である。あまり吠えられるから、おさらそのまま先に行って良いものだかどうなのかと迷い、恐る恐る進む先には鳥居が見えている。こちらが辯天堂だということに私はまだ気が付かないでいる(爆)。


どうやら先ほどの建物は寺務所のようだ。

 


 
 
辯天堂の境内の右側にあった一願成就石は、願いながら左の梵字のところを真言を7回唱えながらなでると説明があった。辯天堂については二枚上の写真の内側の鳥居あたりから正面の写真を撮ったつもりでいたけれど見つからない。他の写真に他のブログにあるような心霊的現象は一切見られないから、おそらく撮ったつもりなだけのだと思う。私は極めて霊感がないのだから(爆)。
 
戻ると参道方向ではない方向に道が延びていたので進んでいくと、先程の法曼院の下に戻った。なんだ、登らないでここ入って来れば良かったと思った。
 
 

比叡山に来たのは無動寺だけが目的ではない。もし無動寺だけが目的なら、このまま降るほうが面白そうだと思う。紀貫之の墓にも行ってみたい。その道は千日回峰行で行者が登ってくる道でもある。しかし、次の目的地へ向かうには、この坂を登らなくてはいけない。下り15分、登りは押して測るべし。
 
 

もうすぐケーブル比叡山駅である。駅から最初の石灯篭のはずだ。たまたま目に入ったのだが、米朝師匠の名前が刻まれている。
 
ね。