比叡山 無動寺 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

比叡山の最初の目的は、間に合えば大阿闍梨の護摩に参加してみたいということだった。

 
 
 
正面から見た無動寺明王堂である。到着したのは11時30分で、障子は閉じられ中からは真言を唱える声が聞こえた。11時から護摩が始まることは知っていたのだが、始発で来ても間に合わないのである。恐る恐る障子を開けると正面で大阿闍梨が護摩を行い、手前には6人の方が正座し真言を唱えていた。大阿闍梨とは千日回峰行を満行した行者である。輪番でここに詰めておられるのだ。左には作務衣を着たお寺の方がひとり。目で挨拶をし身体を滑り込ませ正座して一緒に真言を唱える。
 
とりあえず不動明王の御真言は仕事で何年も通っている安全祈願で護摩に参加しているうちに覚えてしまったので一緒に唱えられる。そのあとの般若心経もなんとなく覚えているところがあるのは母親が死んだ時になぜか仏壇に置いてあった般若心経の経本を詠んでいたからだが、それ以外はそれがなんだかすらわからない。
 
護摩が終わると御加持を受けて終わりである。
 
 
 
堂の右側にあるのは白山神社と千日回峰行の始祖とされる相応和尚の石像である。
 
御加持の加持は「加持祈祷(かじきとう)」の加持である。そういえば、なるほど言葉は知っていると思う人も多いだろうが、では何かと言えば私も先週までは知らなかった(爆)。
 
御加持とは、大阿闍梨が頭、両肩を数珠で軽く叩くことを指す。大阿闍梨を介して不動明王と参拝者を繋ぐ、まあ言うなれば参拝者の願いを確かに聞きましたよという合図みたいなものらしい。だから参拝者は首を垂れ、胸の前で手を握り合うように合わせ、心の中で祈願したいことを念じる。
 
参拝者を一通り周り、お疲れ様でしたの言葉で終わり、大阿闍梨は堂を後にする。他の方は作務衣の方に数珠を渡して護摩の火にあてる御火加持を受けていたが、私は持参していなかった。
 
 
 
実は昨年、温泉仲間だったOさんが亡くなったことをブログに書いたが、今度はその息子が病気になって闘病中なのである。Oさんにはずいぶん世話になったので恩は息子に返してやりたいと思っているが、こんな状態では京都を連れまわせなくなる。それでは困るので回復を祈願する護摩木を納めた。護摩木は300円。併せて御朱印も頂いた。こちらも300円である。
 
 

穴太衆による石垣はここにもあった。明王堂から参道に戻って下ると法曼院がこのような石垣の上に建っていることがわかる。
 
 
 
降りたところを左方面にやや下りながらすすむと、左側に親鸞聖人が修行をした大乗院がある。堂内には親鸞上人作の「そば食い木像」があるのだが、入口が閉まっていた。
 
おそらく、この道をさらに下って行き分かれ道を左に折れて進むと紀貫之の墓があると思うが、今日はやめておくことにして引き返す。

 

明王堂に登り返すだけでも息が切れるのだが、さあどうしようと思って考えていると、辯天堂への案内を見つけたので、その道を下ることにした。誠に平行移動という場所がない。
 
 

 

やや下ると堂があったので、これが辯天堂なのかと思ったが、こちらも入口が閉まっていたので、そのままもう少し下ってみた。


 

 

下った先の右手を見ると奉納された酒樽が積んであり、なにやら生活感のある建物があってわずかながら中から人の声が聞こえる。どうやらここでお斎(食事)を頂けるようだとわかったのは帰ってからである。

 

 


番犬なのだろうか。よく吠える犬である。あまり吠えられるから、おさらそのまま先に行って良いものだかどうなのかと迷い、恐る恐る進む先には鳥居が見えている。こちらが辯天堂だということに私はまだ気が付かないでいる(爆)。


どうやら先ほどの建物は寺務所のようだ。

 


 
 
辯天堂の境内の右側にあった一願成就石は、願いながら左の梵字のところを真言を7回唱えながらなでると説明があった。辯天堂については二枚上の写真の内側の鳥居あたりから正面の写真を撮ったつもりでいたけれど見つからない。他の写真に他のブログにあるような心霊的現象は一切見られないから、おそらく撮ったつもりなだけのだと思う。私は極めて霊感がないのだから(爆)。
 
戻ると参道方向ではない方向に道が延びていたので進んでいくと、先程の法曼院の下に戻った。なんだ、登らないでここ入って来れば良かったと思った。
 
 

比叡山に来たのは無動寺だけが目的ではない。もし無動寺だけが目的なら、このまま降るほうが面白そうだと思う。紀貫之の墓にも行ってみたい。その道は千日回峰行で行者が登ってくる道でもある。しかし、次の目的地へ向かうには、この坂を登らなくてはいけない。下り15分、登りは押して測るべし。
 
 

もうすぐケーブル比叡山駅である。駅から最初の石灯篭のはずだ。たまたま目に入ったのだが、米朝師匠の名前が刻まれている。
 
ね。