三宝院の本尊は弥勒菩薩であるが、初めての醍醐寺なので御朱印は醍醐寺の本尊である薬師如来を頂く。
屋根も落ち、立ち入れない状況ですらある。
三宝院の本尊は弥勒菩薩であるが、初めての醍醐寺なので御朱印は醍醐寺の本尊である薬師如来を頂く。
屋根も落ち、立ち入れない状況ですらある。
京都には宿も一見さんお断りということがあります。早速メールで泊めてもらえるものかどうか連絡させてもらって、最初に予約したのが「京の賑わい」という、五花街合同の南座の公演の日でした。
生意気を言いました。でも、そんなことを感じた食事でした。
所定の時間に戻り、まずは御朱印を受け取った。限定御朱印などもあったが、お願いしたのは本尊である釈迦如来。
もちろん堂内の撮影は禁止なので、パンフレットを写したものだが、狩野探幽作の雲竜図は法堂の天井に描かれている。天井は吊天井になっていて、雲竜図は天井を下に下げて書かれたというが、その創作に費やされた年月は8年にも及ぶという。
見る方向によって昇り龍にも下り龍にも見える技法で描かれているが、そういえば雲龍院の屏風の龍の絵も見る角度で顔が延びたり縮んだり変化するものだった。龍の絵は、そのような技法が使いやすいのだろうか。
もう一つの見どころは梵鐘なのだか、こちらは徒然草にも記されているほどの名鐘で、昭和48年までは実際に突かれていたという。我々の世代は行く年来る年で実際に突かれる様子を観ているかもしれないのだが、現在は保存の為、法堂の中に吊るされ、CDでその音を聴くことができる。
大方丈の左奥にあるのは大庫裏で、こちらも案内付きで見学する。大法要などの時に何百人もの食事を作る大きな窯の部屋と普段使いの小さな窯の部屋があって、共に窯は四つ並んでいた。当番の僧侶が寝泊りする部屋は一人一畳。建物の真ん中には半地下の食料を保存する部屋があったが、驚くほど冷んやりとしていた。
妙心寺は日本最大の禅寺で、境内には多くの塔頭があるが、それらがすべて一般に開放されているわけではない。山門には平成11年6月から一般車両の通行を禁止すると書いてあるが、それまでは一般車両が通行していたということなのだろうか。ちょうど女子高生が自転車に乗ったままで通り抜けようとしていたが、それは特別なことではないようで、普通に近所のおばちゃんも自転車に乗って通り抜けていた。
妙心寺塔頭 退蔵院
妙心寺の40にものぼる塔頭の中でも屈指の名刹で、足利義満の弾圧により妙心寺が廃絶されて竜雲寺となっていた1404年の建立である。特にその庭園は素晴らしいと聞いていたので真っ先に向かった。
庭園に入って中央に垂れ桜があるが、左側を向くと白い砂を用いた陽の庭と呼ばれる石庭がある。
振り返ると陰の庭があり、こちらは黒い砂の石庭となっている。黒い砂と聞いても公園の砂場を想像してしまって美的にどうなのかなと思っていたが、濃淡のコントラストに力強さが感じられ、どちらかというと陰の庭のほうが好みだった。
順路にそって進むと左側に池が広がるが、売店の手前の右側に水琴窟があり、その水滴の音は竹筒に耳を当てるまでもなく、心地よく聞こえてくる。
売店と茶室を通り越えた先から眺める余香苑。左に見える東屋は使用禁止でこちら側に座って眺められる席がある。
せっかくなので茶室でお茶を頂いた。運んで来た売店のお姉さんが、このひょうたんと鰻の姿があしらわれた和菓子について説明してくれたが、この和菓子は老松との共同開発であり、名前を「是什麼(これなんぞ)」と云う。その由来は季節により餡が変わるので、何が餡なのだろうかと考えてもらう為にそう名付けられたのだそうである。
そう言われると餡はなんだろうと尚更考えてしまうが、マーマレードのような柑橘類の味わいがあった。金柑かな。
和菓子にひょうたんと鯰があしらわれているのは、退蔵院のもう一つの目玉とされる瓢鮎図による。この水墨画は、如拙が足利義持の命により描いたもので国宝である。もちろんこの画像のものは模写なのだが、方丈にこのように展示されている。
瓢箪で鰻を押さえるという禅の公案を描いたものである。禅の公案とは、師匠から弟子に語り継がれる悟りへのきっかけを与えるヒントの問答集のようなものらしく、禅独特のものらしい。
方丈の奥にはもう一つの庭園である狩野元信作 元信の庭がある。もちろん狩野元信は画家なのだが、構図ということでは相通ずる物があるのだろうか。