朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -90ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

8月になり、GoToが事前に申し込めるようになった。

普段は絶対に使わないパック旅行なるものを利用しようと思ったのは、高級ホテルに泊まる気のない私にとって、京都旅行で一番高いのは往復の交通費だからである。ここを適用にする唯一の手段は、往復交通費込みのパック旅行しかない。



GoToが始まっても、東京駅のホームは未だにガラガラであった。



もちろんこの後で数人の乗車客があり、トータルで10名くらいまでにはなったと思う。人数は少なくても、プレコロナ時代のようにペチャクチャも話す種族が側に居ればリスクは低いとは言えないが、幸いそんな種族も居なかった。

さて、行きの新幹線でネットを見ていたら旧三井家下鴨別邸での特別公開の案内が目に入った。



涼しそうだ。食べてみたいなぁと思ったので、まずは東福寺乗換で出町柳に向かうことにした。

ところが赤字の開始時間を見て頂きたいのだが、11日の次は13日のなっている。間の12日は水曜日の休館日なのであるが、私はまさにその12日に行ってしまったのだった。残念だった。



下鴨神社は正式には賀茂御祖神社という。左の塀の中が旧三井下鴨別邸。



歩いて行くと右手に趣のある門があった。秀穂舎とあったが開いてはいないようだ。あとで調べたら旧浅田家住宅で、鴨社の資料館となっていた。写真で見るとやはり趣のある室内で、機会があれば訪れてみたい。



糺の森の入口で左手に向かうと、河合神社だ。河合神社は女性守護の神様で、見る限り境内は女性9割で、なかなか入り難い。




しかしここには、鴨長明の方丈がある。



鴨長明は下鴨神社の禰宜の家に生まれたが、次男であったり、後楯を亡くして反対勢力からの妨害を受けたりして、神職としての出世を閉ざされてしまった。

世を捨て隠遁するにあたり、神社の建築様式などを参考にして考案したのが、移動可能な現代で言えばモバイルハウスのような建物が、組立式の方丈である。



拝殿越しに本殿を見る。拝殿には願い事を絵馬に書く女子。御朱印も女子の中に並び難く頂かずに退出。

河合神社を出て糺の森を歩く。



御神木なのだろう。

参道の右側にはならの小川が流れており、川に入れるようになった場所があった。伊勢神宮の内宮では、もともとは手水舎ではなく、五十鈴川で身を清めたのであって、そのような場所があったが、なんとなく似ていてそうなのかなあと思ったが、特に検証はしていない。



糺の森には平安時代から近世まで利用されたと思われる祭祀の遺跡がある。



下鴨神社までまっすぐ延びた参道。左側にも通路がある。ちょっとそちらにも寄り道した。



雑太社

ラグビーボールが祀られているが、糺の森で日本で初めてのラグビーの練習試合が第三高等学校(京大)の慶應義塾大学の間で行われたこと、また、御神祭「神魂命(かんたまのみこと)」が、球に通ずるとされたことによる。



君が代に詠われる、さざれ石。


相生社は京都人の信仰篤い神社であり、縁結びの神である。縁切りがそうだったように、縁結びも、いわゆる縁結びだけではなく、良い仕事などとの出会いなども含む。

絵馬に願い事を書いたら、男は時計回り、女は逆時計回りに3回周り、3周目に絵馬を掛ける。




元に戻り二礼二拍手一礼をし、最後に、この紐を引き鈴を鳴らす。

わかっていても、下鴨神社のすぐ目の前のこの社で、おっさんがこれをやる勇気はないですよ。

ね。

仕事は忙しいままで、9月は外飲みは2日だけ。それも京都で飲んだだけである。その2日を絞り出す為に余計に普段に詰め込むので、なかなか身体がきつく、家飲みも数日しかしていない。

だからといって、健康になったかと言えば、多少血圧が下がったくらいであるし、それは現場応援で動き回っているからかもしれない。

さて、まだ7月の京都に戻る。

 

 

蓮華寺の先(京都から見ると手前)で国道を離れた。高野川を渡り、叡山電鉄の踏切を渡る。しばらく歩くと閑静な住宅街になって、ちょっと想像していたイメージと違うかもしれないと思っていえうと、この鳥居が見えた。

 

 

 

 鳥居から緩やかな登りの道を進むと、やがてこの山門にたどり着く。この山門も帰りに撮影したのであって、来たときは雨が強くてそれどころではなかった。

 

赤山禅院もまた、千日回峰行の拠点のひとつである。6年目からは北嶺回峰にこの赤山禅院までの往復が加わり、7年目はさらに京都大廻りが加わるが、その時も赤山禅院に参ることになる。


 

 

 最初にあるのは拝殿。良く見えないとは思うが屋根には鬼門除けの猿の像があり、御多分もれず金網の檻に入れられている。御所の鬼門の猿と一緒だ。理由も一緒で、いたずらするからである。

 

拝殿というと神社のそれを思うが、この時、まさに神職により神事が行われていた。

 

赤山禅院は寺であるが皇城表鬼門の鎮守として本尊の赤山大明神を祀っている。赤山大明神とは、中国の泰山に住む道教の神様である泰山府君であり、陰陽道の祖神なのだそうだ。

 

そして赤山大明神は地蔵菩薩の化身であるともされている。いろいろな力が渾然一体となり都を守っているわけである。

 

 

 

 順路通りに進んで行くと、まずは雲母不動堂。「きらら」と読む。赤山禅院と比叡山の間には雲母坂という結界がある。千日回峰行の後半で行者がこの京都大廻りなどで登り降りする山道である。その雲母坂にあった雲母寺の本堂だった建物がここに移された。雲母寺は千日回峰行の祖であり、無動寺明王堂の隣に像のあった相応和尚の開基である。

 

本尊の不動明王は最澄作と伝わっている。

 

 

 

 次が地蔵堂である。赤山大明神は地蔵菩薩の化身であることから祀られている。

 

 

 

 本尊、赤山大明神を祀る本堂、いや本殿は改修工事中でその外観を見ることが出来なかった。正面から入ってお参りして左に抜ける。

 

 

 

 弁財天は、出世弁財天といわれて信仰を集めているそうだ。

 

 

 

 福禄寿殿。こちらの福禄寿神は都七福神である。御朱印所はこちらにあった。


この頃が一番の土砂降りだった。

 

 

 

 本尊、赤山大明神。

 

 

 

 金神宮は鬼門方除の神様。

 

 

 

 相生宮は縁結びの神様。

 

 

 

 こちらの宮が何だったか記憶がないのだけど、拡大すると夏木マリ、斎藤ノヴなどの名前が見えるので芸能関係の神様なのだろうか。

 

 

 

祇園祭りは中止になったが、その影響で昨年売り切れで買えなかった長刀鉾の粽が通販で買うことが出来た。本当は買えない日程だったので、それはそれで良かったのかもしれない。


ね。

 

八瀬に降ったのは赤山禅院に行く為だったので、ケーブル八瀬駅からは徒歩で移動、高野川を渡り国道沿いを歩いて行くと右手に鳥居が見えた。



「西高野の氏神様 崇道神社」と書かれた看板を見て驚きと共に思い出した。なぜ驚いたかといえば、崇道神社はあの最強の怨霊と云われる早良親王を祀った神社なのである。そして、何を思い出したかといえば、その神社がこの道沿いにあることは、以前調べた時に知っていたことは知っていたということだ。

タクシーの運転手氏に崇道神社を行先として告げると嫌な顔をするという。どうしよう。

でもせっかくだからお参りして行こうと境内に入る。



誰も居ない参道を100メートルほど進むと鳥居があって、正面が崇道神社のようだ。まずは右手に進む。



こちらは小野神社。

このあたりは小野一族の本拠地であった。小野といえば(六道珍皇寺の)小野篁、(随心院の)小野小町とこれまで訪れてきたが、この小野神社はもっと歴史があって、祭神は小野妹子と子、小野毛人(えみし)である。

小野妹子は最初の遣隋使として有名であるが、篁はその六代後、さらに小町は篁の孫との説もある。柴咲コウに表面では逆らった高橋一生もその一族(あくまでも大河での話)という。



いよいよ崇道神社にお参りし、崇道天皇の心の平安を願う。でもなによりも良かったと思ったのは、西高野の氏神様と祀られていたことだ。



社務所は無人だったが、書置の御朱印があったので頂く。日付は自分で書かなくてはいけない。



境内にあるもう一つの神社は、伊多太神社で、こちらは農耕の神様である。



崇道神社を出ると、隣は蓮華寺という天台宗のお寺である。口コミによれば紅葉が綺麗だという。



玄関までの道は石畳。なんだかひっそりと隠れているようなお寺だ。



左手には石仏群がある。参拝料は500円で近くの紅葉が綺麗な寺の4分の1である。



書院からの青紅葉と池。秋には確かに美しかろう。畳に座り、しばし庭を堪能する。



庭の右手のある本堂へは木道をスリッパに履き替えて行く。庭からの撮影は禁止されているので、本堂は木々の間からしか撮影ができない。本尊は釈迦如来である。

雨の時は滑るから気をつけるように注意書きがあっても、滑ってギリギリ持ち堪えたほどであった。



御朱印は瑞光。めでたいことの兆しという意味がある。

でもこのあと、土砂降りになったんだけど。日頃の行いだろうか。

ね。
寝る前に胃薬を飲んだせいか快調に起床。時刻は8時。ホテルの戻ったのは2時近かったので、よく起きられたと思った。

まずは祇園四条駅にキャリーバックをデポし、京阪で三条、市営地下鉄で山科、JRで比叡山坂本と乗り継ぐ。

ちなみに今回は有料の参拝エリアには入らないつもりなので巡拝チケットは買わない。



坂本からバス、ケーブルカーで比叡山へ。



靄に霞んだ無動寺参道を再び降るのは、前回途中から参加した護摩に最初から参加したくなったからである。



誰も居ない参道を降り、まずは2つ目の鳥居と休憩所。




続いて3つ目の鳥居。



4つ目の鳥居は閼伽井のところにある。ここの手水舎で清めてさらに進む。



直進すれば明王堂で、右が弁財天に至る。時間的にまだ余裕があるので、まずは弁財天へと向かう。



石塔に大弁財天女と書いてあるが、もともと弁財天はヒンドゥー教の女神であり、それが仏教の中に取り込まれ弁財天となった。

ヒンドゥー教に仏教に鳥居(神道)と、渾然一体としているが、これが素晴らしいのではないかな。なんでもかんでも取りこんでしまう懐の深さが本来の日本文化にはあった。こういうのを民度が高いというのではないかと思う。最近は排他的だよね。



弁財天の後ろにある宇賀神王。

宇賀神は蛇の体に人の頭を持つ神様。蛇が金運の象徴のように思われるのは、実は宇賀神が金銀財宝をもたらす神様だからである。



手前の寺務所にて御朱印を頂く。



大弁財天女と若い僧侶が書いてくれた。



そして明王堂である。靴を脱いで堂上に上がる。

護摩は11時から約1時間。座る姿に特に制限はないので、正座をする必要はない。

始まる前に友人の手術成功の祈願をする為の護摩木を納め待つ。成り行きで一番前のど真ん中に座る羽目になったが、まあそれはそれで。

ちゃんと正座しようと思ったが、やっぱり痺れてダメなので諦めた。



最後にお加持を頂き終了。

堂の右手にある、祠と相応和尚の像。そうおうかしょうと読むが、その辺はなかなか難しい。



今回も御朱印を頂いた。



法曼院の屋根と琵琶湖。

悩み、願い深ければ大阿闍梨と直接面談するも可能なのだが、それにはお布施が必要になる。護摩だけなら何も必要ない。護摩木は300円である。



無動寺から参道を登り、さらに東塔のバス停まで約20分を歩く。バスは1時間に1本から本来の30分に1本へと戻っていたが、20分待ちとなった。

ふと見ると正面の斜面に鹿がいる。



バスで山頂を経て、比叡ロープウェイ、比叡ケーブルで八瀬へと降る。山頂からロープウェイ駅までは登りの徒歩で約10分。それぞれに待ち時間があるので、山頂から八瀬までは小一時間というところである。

ね。
2日目の宿は株主優待券が使えるホテルなのだが、コロナの影響で使うまでもなく普段の半額である。Go toキャンペーンも事後申請で利用可能なのだが、合わせても値引金額としては微々たる物だ。

後日、申請を出してみたが、このような形で利用しても宿泊費のみが対象なので、補助金として支給されるのは2日間で1万円程度である。
 

さて、三条河原町から205系統で植物園前まで移動。
 
 
 

照月
075-791-4131
京都府京都市左京区下鴨上川原町24 
https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260503/26005782/

バスを降りて押しボタンの信号を渡れば照月である。
 
実はこのところ胃がもたれて胃薬を常飲しているほどなので、コースは軽めでご飯は無しをお願いした。
 

 

 

 

 

まずはお造り

 

 

 

 

 そして鮎

 

 

 

 

 うまき

 

お酒は真名井

 

 

 

 

 冬瓜

 

 

 
 
簡単で申し訳ないがこれ以上の名前を知らない。
 
今更ながら、冬瓜は冬とあるのに夏が旬なのはなぜなのだろうかと思った。調べてみたら日持ちが良く、冬まで貯蔵できることから由来するとか。
 
話はしなかったが、3月に片口の話をさせていただいた京都に移住されたご夫婦が、関東から遊びに来たらしい友達を連れて来ていた。あれ以来、常連になったようである。

ついでに女将がYouTubeを始めたそうなので、ご案内する。



 
チャンネル登録者はちょうど100くらいかな。


さて、料理を堪能した後はいつものようにバスで先斗町に移動である。もうお決まりのコース。
 
ね。