崇道神社と蓮華寺 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

八瀬に降ったのは赤山禅院に行く為だったので、ケーブル八瀬駅からは徒歩で移動、高野川を渡り国道沿いを歩いて行くと右手に鳥居が見えた。



「西高野の氏神様 崇道神社」と書かれた看板を見て驚きと共に思い出した。なぜ驚いたかといえば、崇道神社はあの最強の怨霊と云われる早良親王を祀った神社なのである。そして、何を思い出したかといえば、その神社がこの道沿いにあることは、以前調べた時に知っていたことは知っていたということだ。

タクシーの運転手氏に崇道神社を行先として告げると嫌な顔をするという。どうしよう。

でもせっかくだからお参りして行こうと境内に入る。



誰も居ない参道を100メートルほど進むと鳥居があって、正面が崇道神社のようだ。まずは右手に進む。



こちらは小野神社。

このあたりは小野一族の本拠地であった。小野といえば(六道珍皇寺の)小野篁、(随心院の)小野小町とこれまで訪れてきたが、この小野神社はもっと歴史があって、祭神は小野妹子と子、小野毛人(えみし)である。

小野妹子は最初の遣隋使として有名であるが、篁はその六代後、さらに小町は篁の孫との説もある。柴咲コウに表面では逆らった高橋一生もその一族(あくまでも大河での話)という。



いよいよ崇道神社にお参りし、崇道天皇の心の平安を願う。でもなによりも良かったと思ったのは、西高野の氏神様と祀られていたことだ。



社務所は無人だったが、書置の御朱印があったので頂く。日付は自分で書かなくてはいけない。



境内にあるもう一つの神社は、伊多太神社で、こちらは農耕の神様である。



崇道神社を出ると、隣は蓮華寺という天台宗のお寺である。口コミによれば紅葉が綺麗だという。



玄関までの道は石畳。なんだかひっそりと隠れているようなお寺だ。



左手には石仏群がある。参拝料は500円で近くの紅葉が綺麗な寺の4分の1である。



書院からの青紅葉と池。秋には確かに美しかろう。畳に座り、しばし庭を堪能する。



庭の右手のある本堂へは木道をスリッパに履き替えて行く。庭からの撮影は禁止されているので、本堂は木々の間からしか撮影ができない。本尊は釈迦如来である。

雨の時は滑るから気をつけるように注意書きがあっても、滑ってギリギリ持ち堪えたほどであった。



御朱印は瑞光。めでたいことの兆しという意味がある。

でもこのあと、土砂降りになったんだけど。日頃の行いだろうか。

ね。