あてもなく醍醐寺 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

忙しくてボロボロです。このご時世、そんなことを言うとうらやましがられるかもしれませんが、会社は全面的に社員の募集を出しておりますが、ほとんど応募がございませんよ。入社してくれないと、ブログ書く時間がますますなくなるので、お願いします。

それに、私がどんなに忙しく働いても、私の収入は増えないですから!

 
さて、随心院から本来なら西に向かって深草少将の邸宅のあった深草を目指すべきなのかもしれないが、目指すべき場所は事前予約が必要らしい。
 
地図を見ると南に道なりに行けば醍醐寺があるので、南下する。
 
 
 
醍醐寺 三宝院
 
下調べも何もしていないので、醍醐寺ではとりあえず拝観受付らしき場所に行って拝観チケットを購入する。説明では、こちらの三宝院の他、伽藍、霊宝館は無料で入れるのでぜひとのこと。
 
御朱印所も三宝院の中にあるそうなので、まずは三宝院に上がる。
 
 


三宝院の本尊は弥勒菩薩であるが、初めての醍醐寺なので御朱印は醍醐寺の本尊である薬師如来を頂く。

 
さて御朱印を頂いたが、実は三宝院で拝観を出来るのは大玄関まで。その先は特別拝観料が必要だとわかった。なんだか二重課税的だと一旦玄関から外に出る。
 
 
でも外から眺めた庭園は美しかったし、なんだか奥に見える建物(純浄観)も気になるじゃないか。せっかく来たのにここで引き返すのはちょっともったいないよな、と思い直して特別拝観料を支払って奥に進む。
 
 
 
表書院から眺めた庭園。手前右に見えるのが亀島で、正面奥が三段の滝。更に左上に見え隠れしているのが枕流亭。亀島の先の橋を渡った方向にあるのが藤戸石。
 
豊臣秀吉が醍醐の花見の折に基本設計をしたという。
 
 
 
本堂は内部には入れなかったが、特別公開で通常非公開の純浄感、奥宸殿には入ることが出来た。
 
 
 
裏の建物。非公開なので名前もわからないけれど、あのレトロなガラス戸がすごく気になる。古いちょっと波を打っているかのような微妙な表情を持つガラス板。子供のころ、今はもうない本家の居間のガラス戸がまさにそんなレトロなガラスだったので、懐かしい。
 
 
 
絢爛な唐門(勅使門)は、無料で外から眺められる。その唐門を左に見ながら伽藍へと向かう。
 
 
 
仁王門でチケットのチェックがあるが、ここに通じるのが桜馬場という通路で、桜の枝が張り出しているので、仁王門の全景は直近にならないと現れない。すごく迫力のある仁王像だと感じたが、平安後期の物だとか。
 
 
 
行きは右側を中心に見ていくとまずは清瀧宮本殿がある。醍醐寺の総鎮守清龍権現を祀る。
 
 
 
国宝の五重塔は醍醐天皇の冥福を祈るために、承平6年(936)に着工し、天暦5年(951)に完成した。高さは約38メートルで京都府下で最も古い木造建築物である。
 
でも、なんとなく殺風景というか、樹木が切り倒された造成地のような周囲の様子が気になる。

 

 
 
日月門。ここから奥に広がる堂群を大伝法院と呼ぶ。これらは醍醐天皇一千年御忌を記念した昭和5年の建立。
 
 
 
観音堂
 
殺風景な周囲の理由がなかった。これらはみんな台風の被害なのだ。この観音堂もまた被害を受けている。伝法学院は

屋根も落ち、立ち入れない状況ですらある。

 
 
 
池の先に見えるのは弁天堂である。
 
 
 
弁天堂の奥にある無量寿苑という庭園。
 
 
日月門から戻る。
 
 
真如三昧耶堂には黄金色の寝釈迦像があった。
 
 
 
不動堂
 
比叡山無動寺以来、不動明王がすごく気になるようになった。以前は不動堂といわれても、なにが動かないのかなという程度だったが(笑)。
 
 
 
国宝の金堂
 
当初は釈迦堂が建っていたが二度の焼失にあい、その後、秀吉の命令で紀州から移築されたという。御朱印を頂いた本尊薬師如来像はこちらに安置されている。
 
その後、仏像棟を見学したが当然画像はない。もう少し足を延ばすと光秀の討たれた明智藪があると思ったのだが、歩き始めてみると思いのほか遠かったので、通りかかった駅から三条まで帰った。
 
 
 
先斗町を抜けて河原町へ。もちろん夜は戻ってくるつもり。
 
ね。