久坂玄瑞、吉田稔麿等の寓居跡とあるが、法雲寺を訪ねた目的はそれではない。それにどうも住んでいたというよりは、寺に謹慎させられていたらしい。
その御神体は石である。
その石は悪縁切りの神様である。名前を深草少将腰掛け石という。
元となっているのは百夜通いの伝説である。深草少将は紫式部に求愛し、百夜通ったら願いを叶えましょうと言わる。そこで、ひたすら通い続けたが九十九日目の雪の夜に倒れ、そのまま息絶えてしまう。こちらは能の作品なので美しく描かれているが、もう一つの逸話として、九十九日目が雪の夜だったので、家来を代理に立てて愛想をつかされてしまったというのもある。さて、どっちが本当なのだろうか。
この深草少将が紫式部の元へ通う時に途中で休憩したのが、この深草少将腰掛け石なのである。
願いが叶わなかったのが、鉄輪の女と同じで九十九日目なのは、やはり物語だからなのだろうが、なぜか同じように悪縁切りの神様になってしまうのは、なぜなのか。
御朱印を頂き、最寄りの市役所前から地下鉄東西線で小野に向かう。
真言宗善通寺派大本山で、小野流の開祖、仁海僧正が創建した牛皮山曼荼羅寺の塔頭であった。小野流とは、真言密教を実践する方法と理論により分かれた流派である。
開祖仁会海は雨乞いの祈祷のたびに雨を降らせたので、雨僧正と呼ばれた。
花のいろはうつりにけりないたづらにわが身よにふるながめせしまに
「ふる」は「福る」と書かれているのかな・・。
預けてあった御朱印帳を貰い受け、外に廻る。
小野小町化粧井戸は小野小町の邸宅にあり、おそらく小野小町が化粧をしたのではないかと言うことで名付けられた。残念ながら、この時は長梅雨の影響であまり化粧したくないような水質になっていた。
あ、小町文塚を見忘れた。
ね。