朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -86ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

オートバイはバッテリーが車より小さいのに、安全のために常時点灯なのであります。オンオフは出来ません。出来ちゃうと車検通りません。

消費電力を減らすことが、バッテリーにとっても弁慶にとっても幸せです。そこでここも先人に習いLED化を進めることにしました。



まずは後方車幅灯は赤色なので、シングルの赤色LED。ウインカーは変えません。



ブレーキと後方灯は赤のダブルLED。赤LEDはこのように白いのです。



下側のナンバー灯は白LED。白LEDは黄色ですね。



大きさとしてはちょっとだけ大きいですが、ほぼ同等。このような画像で何を使っているかわかれば、簡単に真似が出来ますね。



ところで、ウラルはやはりロシア規格ですので、外しただけでレンズ割れました(爆)。張り付いちゃってるのね。



ついでに、こちらはヒューズボックスですが、赤い部分を奥にスライドさせると空きます。



それは左右にあるのですが、こっち側は奥にスライドさせたら、もう戻りませんね(爆)。まあ反対側がロックされていれば開かないから良しとしましょう。



ヒューズボックスには5つのリレーと6個のヒューズがあります。



それと純正シートカバーを1個だけ買いました。国内在庫が1個しかなかったからですが、



こんな感じになるんだけど、きつくてなかなか取り付けられない。(本日現在、いまだ苦戦中)



それに比べて、こちらはアメリカから購入して長距離用のクッションで、ベルトで留めるだけで簡単。でもカッコ悪いです。



練習走行は間瀬湖に来ました。間瀬峠はオートバイ通行禁止なのですね。それで、ここはダムの上です。

今回は前後車幅灯とブレーキ、ナンバーをLED化しましたが、ウインカーはこのまま入れ替えるだけだとハイフラという玉切れでチカチカ細かく点灯する現象が発生してしまうのです。リレーが流れる電流が小さすぎて玉切れと判断してしまうのが原因です。そこで、LED用のリレーを購入するまで保留となります。

側車側の補助灯はもともとLEDなので、残るはヘッドライトですが、どうしましょう。



LEDは白く、ハロゲンは飴色。本当は飴色が好きだよ。

ね。
ウラルを買ったことは少し前に書きました。

オートバイという物は初めての体験ではありますが、やはり弄るのであります。



専用工具が付属しておりますが、何に使うのか謎も多く、これからが楽しみなのであります。



まずは先人の教えに従い、サスペンションを硬めに調整します。



コイルの下になんだか右肩上がりに段々になっている部分があるじゃないですか。これをプリロードと言います。これを回して「自由長を変える」という表現が正しいかどうかはよくわからないけれど、そんなニュアンスで調整します。

出荷時には一番ソフトになっているので、2段階硬めに調整しました。



年間の走行距離で料金が変わる保険会社には乗り出し1200kmで申請したのですが、ちょっと少なかったかな。これは朝2時間の初乗り後のオドメーターです。



ローズマリーの丘という本庄早稲田駅近くの公園ですが、朝練の最後に立ち寄りました。



その後、ハロウィン装飾のオハナでパンを買いました。



夕方はスーパービバ&ヤオコーでお買い物。



翌週には金鑚大師で安全祈願です。護摩とウラルのお祓い。神頼みではなく仏頼みを選んだのは、ここが元三大師を本尊としているからです。

お祓いをしてくれたお坊さまは「南無慈恵元三大師常住金剛」と唱えておりましたな。慈恵(じえ)大師というのが本当のお名前なのですが、正月3日にお亡くなりになったことによる通称としての元三大師のほうが有名になってしまったのです。



こんな処に普通ボックスはありません。便利だなと思っていたら、ウラルディーラーから中の爪が折れて開かなくなる事例があると言われましたをそれならば開かなくなるなっても良いようにとお札等を入れさせていただきました。



安全祈願の後はそのまま下久保ダム方面へ向かいました。車だとそれほどわかりませんが、落ち葉って凄く滑るのですね。



三波石峡です。少し紅葉が始まってました。



それにしても何故サイドカーなのかと言えば、子供の頃の刷り込みかもしれません。小学生のころテレビで放映されたワイルド7で両国、その後チャーシューが乗っていたバズーカ砲搭載のサイドカーには、ずいぶんと憧れたものです。

ああ、撃ちたい奴多すぎ(爆)。

ね。


渡月橋を渡って嵐山の人混みがプレコロナ以上と感じたので、踵を返して阪急から京都に、そして関東へと帰ってきた。

さて、京都に光秀の首塚があることは以前ブログに書いたことがあるが、光秀の首塚のことをちょっと調べようと「首塚」などと検索してしまうと、当然かも知れないが、一番有名な「将門の首塚」がヒットしてしまう。

興味がないわけではないので、いくつか読んでしまったりすると、その中に埼玉県の幸手に将門の首塚があるという記述を見つけることは容易い。

そして幸手は弁慶の職場へと通う道すがらである。


某流通系ディスカウンター関連の夜の仕事をお手伝いする為に土曜日の昼から出勤してきた日のこと。幸手のラーメンショップ椿で昼食を食べている時に突然思い出して訪問してみた。



通光山 浄誓寺

浄土真宗東本願寺派単立。東本願寺派なのに単立っていう意味が勉強不足でよくわからない。



歴史を感じる石碑には何が書いてあるのか良く見えない。



静寂の本堂である。将門の首塚についての案内はどこにも見当たらない。仕方がないので自分で探そうと左手の墓地伝いに本堂の裏手へと回ってみたら、なにやら築山なのか古墳なのかという山があったので、そこに登ってみた。



平将門の首塚

言い伝えによれば、将門の最期はこの辺りで、将門の血に染められた木があったことから赤木と名付けられた地名が残っているそうだ。

ちなみに将門といえば、加藤剛ですか?たしか笛を吹いていたのは草刈正雄でした。わかる人は歳が知れますよ。

ね。
リアルタイムに追いつこうと飛ばしている、というよりはちょっと雑になっているように思う。少しだけ反省。
 
 
 

星のや京都は渡月橋を渡った先の船着場から船で送迎されるようだ。弁慶からは阪急で嵐山に入ったので、渡月橋の手前になる。

 
 
 
星のやに泊まるわけではないので、弁慶は桂川沿いの遊歩道の登り降りをこなしながら、上陸へと向かっていく。
 
琴ケ瀬茶屋
075-871-5069
京都府京都市西京区嵐山元禄山町 
 
琴ヶ瀬茶屋は、嵐山側からこの茶屋専用のボートを漕いで渡って来ることも出来る河原の茶屋で、もちろん上陸して席について頂くことも出来る。また川に向かっても売店を開いているので、レンタルボートを楽しむ人たちも乗ったままで購入できたりもする。
 
 
 
亀岡からの川下りの船に向かっての、船での移動販売もある。屋形船で浅草沖に出ると佃煮売りの船が寄って来るが、あれは停泊中。こちらは下りながらなので、よりテクニックが必要ではないかな。
 
 
 
星のやの裏口のところからまさに裏山を登る感じである。
 
 
 
こうした看板を見ながらひたすら登る。これまでは外国人観光客も多かったのだろう。京都のちょっと外れた場所にくると日本人より外国人のほうが多かったりする。その為英語の注意書きも多く見られる。
 
この登りは朝から歩きまくっているせいもあり、結構厳しかった。
 
 
 
門が見えたので終わりかと思ったら、まだ続く。
 
 
 
そろそろかなと思ってもまだ続く。9月とはいえ、汗が噴き出る。
 
 
 
山門らしき建物の先に鐘楼が見えた。
 
 
 
見上げれば五色幕の掛かった建物も見える。月待和尚が月の出を待つ大悲閣である。(「京都人の密かな楽しみ 月夜の告白」より)
 
ようやく辿り着いたらしい。
 
 
 
残念ながら月待和尚は不在でお留守番の方が居られた。
 
大悲閣の奥のか本堂には本尊、大悲閣観音(恵心僧都作)とその右側には角倉了以の像がある。 
 
大悲閣千光寺は角倉了以が大堰川を開削する工事で亡くなった人々を弔うために建立した当初は天台宗の寺院であったが、子孫の角倉玄寧が再興した際に黄檗宗の寺院となった。
 
現在は臨済宗の単立寺院である。
 
 
 
いよいよ大悲閣に入る。伊勢湾台風で屋根が飛ぶほどの被害を受けたが、現在は改修されている。一方、本堂は完全に解体されて先程の本堂は未だ仮本堂のようだ。
 
 
 
大悲閣の内部である。先客は女子ペアと2組の男女ペア。
 
 
 
 
京都の街を見下ろす。手前は小倉山へと続く尾根である。ここから角倉了以も月を眺めたのだろう。
 
 
 
御朱印所には月待和尚の愛犬すみれが寝ていた。
 
 
 
御朱印は大悲閣
 
 
最後に鐘を余韻を楽しみながら3回突いて下山した。

下山する背後からも鐘の音が響いてきたが、確かに3回までと書いてあったけれど、振り子の往復で3回ならすなんて・・・、最近の〇い者は・・・。
 
ね。