角倉了以が建立した大悲閣千光寺 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

リアルタイムに追いつこうと飛ばしている、というよりはちょっと雑になっているように思う。少しだけ反省。
 
 
 

星のや京都は渡月橋を渡った先の船着場から船で送迎されるようだ。弁慶からは阪急で嵐山に入ったので、渡月橋の手前になる。

 
 
 
星のやに泊まるわけではないので、弁慶は桂川沿いの遊歩道の登り降りをこなしながら、上陸へと向かっていく。
 
琴ケ瀬茶屋
075-871-5069
京都府京都市西京区嵐山元禄山町 
 
琴ヶ瀬茶屋は、嵐山側からこの茶屋専用のボートを漕いで渡って来ることも出来る河原の茶屋で、もちろん上陸して席について頂くことも出来る。また川に向かっても売店を開いているので、レンタルボートを楽しむ人たちも乗ったままで購入できたりもする。
 
 
 
亀岡からの川下りの船に向かっての、船での移動販売もある。屋形船で浅草沖に出ると佃煮売りの船が寄って来るが、あれは停泊中。こちらは下りながらなので、よりテクニックが必要ではないかな。
 
 
 
星のやの裏口のところからまさに裏山を登る感じである。
 
 
 
こうした看板を見ながらひたすら登る。これまでは外国人観光客も多かったのだろう。京都のちょっと外れた場所にくると日本人より外国人のほうが多かったりする。その為英語の注意書きも多く見られる。
 
この登りは朝から歩きまくっているせいもあり、結構厳しかった。
 
 
 
門が見えたので終わりかと思ったら、まだ続く。
 
 
 
そろそろかなと思ってもまだ続く。9月とはいえ、汗が噴き出る。
 
 
 
山門らしき建物の先に鐘楼が見えた。
 
 
 
見上げれば五色幕の掛かった建物も見える。月待和尚が月の出を待つ大悲閣である。(「京都人の密かな楽しみ 月夜の告白」より)
 
ようやく辿り着いたらしい。
 
 
 
残念ながら月待和尚は不在でお留守番の方が居られた。
 
大悲閣の奥のか本堂には本尊、大悲閣観音(恵心僧都作)とその右側には角倉了以の像がある。 
 
大悲閣千光寺は角倉了以が大堰川を開削する工事で亡くなった人々を弔うために建立した当初は天台宗の寺院であったが、子孫の角倉玄寧が再興した際に黄檗宗の寺院となった。
 
現在は臨済宗の単立寺院である。
 
 
 
いよいよ大悲閣に入る。伊勢湾台風で屋根が飛ぶほどの被害を受けたが、現在は改修されている。一方、本堂は完全に解体されて先程の本堂は未だ仮本堂のようだ。
 
 
 
大悲閣の内部である。先客は女子ペアと2組の男女ペア。
 
 
 
 
京都の街を見下ろす。手前は小倉山へと続く尾根である。ここから角倉了以も月を眺めたのだろう。
 
 
 
御朱印所には月待和尚の愛犬すみれが寝ていた。
 
 
 
御朱印は大悲閣
 
 
最後に鐘を余韻を楽しみながら3回突いて下山した。

下山する背後からも鐘の音が響いてきたが、確かに3回までと書いてあったけれど、振り子の往復で3回ならすなんて・・・、最近の〇い者は・・・。
 
ね。