朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -77ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

翌日は連休最終日で、元々行こうかなと思っていた上野村に行こうと思っていると、この前一緒にツーリングした工事屋社長が諏訪湖に向かってるとLINEにあげた。それを見たら気が変わって長野県つながりで東御(わざわざとかワイナリー)とか行って、コスモス街道で戻ってこようと出かけた。

ところが甘楽の手前からスピードメーターが動かなくなって、なんだか気持ちが萎えて下仁田で降りた。さて、どうしよう。スピードメーターはいうと、普通に動いているなと思うと0になったり、ダメかなと思うと復活したりと、かなり天の邪鬼である。

前出の通り、もともとは上野村に行こうと思っていたので、下仁田からは南牧村経由で上野村に向かうことにしたが、途中の30年以上前の大晦日の夜に二年参りに行ったことがある山奥のお寺に行ってみることにした。



黄檗宗 黒瀧山 不動寺

まるで山小屋のようなお寺だが、黒滝山の登山道の途中にあるのだから、山小屋であってもおかしくない。この建物は以前は宿坊兼食堂として利用されていたようだ。一応ここまで車で来られるけれど、健常者は約400メートル下の第一駐車場から葛折りの坂道を登ってくることになっている。



マスクしてるし久々に登場してみた。鐘の音を保存したくて動画撮ったのだ(爆)。この鐘は戦艦陸奥の羅針盤を混ぜて鋳造されている。なお、撞くときは7割の力でとの注意書きあったが、どのくらいが7割なのか、かなり微妙😅。



御朱印を頂く為に御朱印帳をお預けして、山門に向かうと大杉があった。



山門の魚梆(かいぱん)。もっともらしい意味が書いてあるけれど、木魚だから魚の形という洒落で作ったんじゃねーの!と思ったりして(ネタです。決してそのようなことはないです😓)。



不動堂

不動明王の御真言は護摩で繰り返し唱えられるので、唯一空で唱えられる御真言で、みんな知ってるノウマクサンマンダってやつ。



不動堂の背後には滝に打たれる不動明王がいらっしゃいました。



大雄宝堂

不動寺は、開山は行基。綱吉公が帰依した潮音禅師により中興開山された。その歴史は千余年だそうだ。

もう満足してその先には向かって無いんだけど、まだ開山堂とかあったらしい。それすら知らずに戻った(爆)。

帰る時に秋の紅葉は素晴らしいからまたおいでくださいと声をかけられたが、この参道、車道の部分はすれ違うの大変だよね! 坂もちょっと急でサイドカーだと降りる時すごく緊張する。



山を降りてもまだ山なんだけど、集落があって途中に二十三夜塔があるのに気が付いたので立ち寄ってみた。月待塔ってちょっと気になるんだよね。昔の人はここに集まって、二十三夜の月が出るまで呑み食いして過ごしたのだとか。

二十三夜の月が出るのって深夜だよね。昔の人も夜中まで遊びたかったんだよ(爆)。



ここは十二社神社の横だったので、こちらにもお参り。

なぜ見つけられたかというと、南牧村には蝉の渓谷にも二十三夜塔があったので、まだありそうだなと、石塔らしき物を気にしながら走ってたもんで😊。

ちなみに二十三夜の月は勢至菩薩に見立てられている。阿弥陀三尊の阿弥陀如来の左側に居るのは観世音菩薩、そして右側に居るのが勢至菩薩である。


南牧村からは上野村を経由して、神流湖を途中で渡って埼玉へ。神流川は県境なので。



太田部橋。これは帰るところだけどね。


こっち側は埼玉県秩父市。ダム湖ぞいに左に進むとだんだん山の中に入って行く。ファミリアとかジープでよく走り回った林道だが、あの頃はまだ人が住んでいたので、今よりずっと整備されていて安心して走れたような気がする。秩父とはいえ、まだまだ群馬よりの場所にあるのが太田部楢尾。一番近い町は鬼石町だろう。

太田部の住民の一部は、このダム湖に集落が沈んでしまったので、うちの近所などにも転居して来たが(もちろん生まれた頃の話で自分で見たわけではないんだけど)、楢尾地区は山の方なので集落はダム湖が完成したあとでも存続していた。



花のあとさき ムツばあさんの歩いた道

ここが目的地。



坂道登ってムツばあさんの家まで行ってみた。一期一会、肝に銘じますよ。



楓の木の下には、小林公一さんとムツさんが訪ねて来る人の為に用意したという石のテーブル。今は公衆トイレも設置されている。秋になったら美しいだろうが、ここも道は細いよ。

ね。
上野村方面に出かけようかなと思っていたのだが、駐車場に彼岸花が咲いているのを見て、なんとなく彼岸花を見に行こうと思った。



どこに行けば良いのかなと。

そういえば高麗川の巾着田ってそうだよなと思って検索したら確かにそうだったんだけど、三密回避の為に今年は咲く前にすでに刈り払われているというではないか😱。

そういえば十日町に行ったあとで棚田を調べていた時に、たまたま秩父にも棚田の名所があると知って、そこは彼岸花の名所でもあるらしい。ではそこに行こうと思った。

秩父に行くのなら12番目までお詣りして途絶えてしまった秩父巡礼34箇所の御朱印を再開しようと思いたって、御朱印帳を持ち出して出発したんだけど、最後に頂いてからは10年以上経ってしまっている。




寺坂棚田

ちょうど新木鉱泉のバスが前を走っていたんだけど、新木鉱泉から羊山へと向かう途中を丸山鉱泉へと左折した方角にある。でも、曲がるところを通り越して、そのまま羊山公園の交差点まで行ってしまった。R299からのほうが簡単だね。

今思えば新木鉱泉はMihoさんのお気に入りの温泉宿だった。

棚田の真下にはトイレ完備の無料駐車場があって、地元の方が警備もしてくれていて観光協会の力の入れ方が伝わるような場所だったよ。

画像は駐車場から見あげる棚田と案山子群。



一般道の坂を登り棚田の中腹に横に切られた畦道から眺める感じ。棚田の中央まで進んで上に登って行くと東家もあって、そこでのんびりするのも良いね。あいにくのんびりするような物は持っていなかったので、普通に鑑賞。



赤い普通の彼岸花の中に白い彼岸花がちょっとだけ咲いていた。白い彼岸花って変異なのかなと検索して見たら、まずは花言葉が出てきて「また会う日を楽しみに」と書いてあった。

この辺りを走っていると巡礼第二番目から第九番目のお寺くらいの案内看板がたびたび目に入る。次にもらうべき十三番は市内だから、ちょっと場所が違う。

この後、道の駅あしがくぼまで行ってみたんだけど、すごーく人が多くてペットボトルのお茶だけ買って退散したよ。行きも最後に混んだけど、秩父市内に戻る道も渋滞していて、御朱印はちょっと無理かもしれないと諦めた。最初からやり直したほうが良いのかな?

連休初日?2日目?(9月20日)だから日本中の観光地はどこも凄かったらしい。

ね。

ちょっと戻って9月12日


3日に2回目のファイザーを打って、週末はゴロゴロしていて、翌週もなんだか身体がきつくて、夕方になるとソファーに横になったりしていたが、週末に近くなると怠さは無くなってきたので、ふらっと出かけた。


何のあてもなかったが、なんとなく箕郷あたりに来たので、ではなく、インスタで湖を背景にしたバイクの写真を観て、榛名湖ならこんな感じで撮れるかもなと駒寄まで来てみたものの、予想以上に寒くて山に登るのは無理だと断念したのだ。でも、ここまで来てお参りしないと罰当たりかなと思って水澤観音に寄ったわけだが、そう思うほど水澤観音は近くにいたわけではないし、水澤うどんに来ても、伊香保温泉に来ても、ほとんど素通りしてるお寺なのに、なぜそう思ったのか不思議である。


サイドカーは水澤うどんのどんつきの石段のところに止めて、登っていった。


仁王門は元禄時代の建築。




天台宗 五徳山 水澤観世音


開祖は約1300年前だという。石段の上の本堂にお参り。普通の駐車場はずいぶん遠回りなんだなあと思った。実はどこが本堂なのか知らなかったということだね。駐車場の方にある新しい建物だと思っていたらしい。御本尊は十一面千手観世音菩薩。


本堂もまた元禄時代。




六角堂は地蔵尊。地蔵尊を信仰すると、地獄に堕ちても救われると解いたのは、恵心僧都。頑張って拝まないといけないな、私は😓。




左に天台宗中興の祖、元三大師。その祠なのかなと覗いた右側は、なんと真言宗の祖、弘法大師。

お参りだけして御朱印はそのつもりはなかったから、御朱印帳を持参してなく頂かなかった。

そのあと、おもちゃの博物館も通り過ぎ、箕郷城址とか鳴沢湖とか標識を見ては向かったものの、駐車場を一回りしただけなので、通り過ぎたのと何も変わらないから何もない。

でも鳴沢湖の存在は実は初めて知ったんだよ。


ね。



毎年のことだが、彼岸なので、墓参りに行った。もう秋なので、草は背の高い物だけ抜いて、その他は残した。これも昨年通りである。

昨日も書いたとおり、ピグ友だったMihoさんが亡くなったので、亡き母にそっちで会ったら宜しく頼むとお願いした。ピグ友とは不思議な物だね。毎晩たわいも無い話をして過ごしていた時期があったからなあ。実際会った訳ではないけれど、とても大切な友達だった気がする。いずれにしても自分よりずっと若い人が亡くなるのはとても悲しい。

そして今日は父親の90の誕生日でもある。胆管閉塞で倒れた時に原因がわからなくてCTを撮ったら肺に影が見つかったのだけど、手術も治療も適用外と言われた。まあ、胆管閉塞で弱っていたからそう言われたんだろうけど、治ったあとでどうするか本人に聞いたらそれで良いというので、何もしていない。肺癌は年齢に関係なく進行するとネットで調べたら書いてあったが、それ以来2年が経過、普通に生活している。まあ、普通というのもいろいろレベルがあるからね。見ようによっては、なんとか生きてるとなるかもしれない。

人生いろいろだ。

歳のせいか、墓とか寺とかが妙に落ち着くと墓地にいて気が付いた(笑)。



そんなこともあって、午後ぶらっと出かけた途中で金鑚大師に立ち寄る。ウラルの安全祈願を昨年して、もうすぐ一年目を迎えるので、今年もお願いしようかなと思っている。



神流川の河原が最初の目的地だったけれど、やっぱりお寺の方が落ち着くかな(笑)。

三波石峡から下久保ダムに行こうかと思ったが、途中で引き返した。



鬼石町 三波山清水院万福寺

ずいぶん歴史を感じる山門で、以前から気になっていた。

昔、この辺りには隠れキリシタンが住んでいたのだそうだ。



左側の地蔵尊の錫杖に十字架が刻まれているというが、よくわからなかった。このような田舎にキリシタンが本当に居たのかなとも思うが、



寺宝の達磨図は明らかに西洋的に描かれている。ちなみに万福寺は時宗である。



本堂



山門には以前の本堂の瓦が安置されている。



メーターがたまに動かなくなって、クレーム処理になったよ。

ね。





3年なんてあっという間だけど、3年後なんて予想もつかない。こんなふうなみんなで集まれる日がくると良いと思う。


Amebaにピグの庭があって、よなよな遊んだいた頃に、ひょこっと出会ったMihoさんは、いつもピグの庭で寝ているようでいて、訪問するとちょこちょこと起きてきてご挨拶してくれたものだった。

会ったことはないけれど、現実の世界でいつか弁慶の脛を蹴っ飛ばすからと、リアル鬼ごっこを続けていたのだけど、あっちの世界に持ち越しになっちゃたみたい。たびたび入院しているようだったけれど、たまにブログに、いいね!してくれるのが嬉しかった。

それを知った日の過去記事にこの3年前の記事が出てきて、そこにもMihoさんがいいね!してくれていて、なんかうるうるした。

ね。