黒瀧山不動寺、そしてムツばあさんの家 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

翌日は連休最終日で、元々行こうかなと思っていた上野村に行こうと思っていると、この前一緒にツーリングした工事屋社長が諏訪湖に向かってるとLINEにあげた。それを見たら気が変わって長野県つながりで東御(わざわざとかワイナリー)とか行って、コスモス街道で戻ってこようと出かけた。

ところが甘楽の手前からスピードメーターが動かなくなって、なんだか気持ちが萎えて下仁田で降りた。さて、どうしよう。スピードメーターはいうと、普通に動いているなと思うと0になったり、ダメかなと思うと復活したりと、かなり天の邪鬼である。

前出の通り、もともとは上野村に行こうと思っていたので、下仁田からは南牧村経由で上野村に向かうことにしたが、途中の30年以上前の大晦日の夜に二年参りに行ったことがある山奥のお寺に行ってみることにした。



黄檗宗 黒瀧山 不動寺

まるで山小屋のようなお寺だが、黒滝山の登山道の途中にあるのだから、山小屋であってもおかしくない。この建物は以前は宿坊兼食堂として利用されていたようだ。一応ここまで車で来られるけれど、健常者は約400メートル下の第一駐車場から葛折りの坂道を登ってくることになっている。



マスクしてるし久々に登場してみた。鐘の音を保存したくて動画撮ったのだ(爆)。この鐘は戦艦陸奥の羅針盤を混ぜて鋳造されている。なお、撞くときは7割の力でとの注意書きあったが、どのくらいが7割なのか、かなり微妙😅。



御朱印を頂く為に御朱印帳をお預けして、山門に向かうと大杉があった。



山門の魚梆(かいぱん)。もっともらしい意味が書いてあるけれど、木魚だから魚の形という洒落で作ったんじゃねーの!と思ったりして(ネタです。決してそのようなことはないです😓)。



不動堂

不動明王の御真言は護摩で繰り返し唱えられるので、唯一空で唱えられる御真言で、みんな知ってるノウマクサンマンダってやつ。



不動堂の背後には滝に打たれる不動明王がいらっしゃいました。



大雄宝堂

不動寺は、開山は行基。綱吉公が帰依した潮音禅師により中興開山された。その歴史は千余年だそうだ。

もう満足してその先には向かって無いんだけど、まだ開山堂とかあったらしい。それすら知らずに戻った(爆)。

帰る時に秋の紅葉は素晴らしいからまたおいでくださいと声をかけられたが、この参道、車道の部分はすれ違うの大変だよね! 坂もちょっと急でサイドカーだと降りる時すごく緊張する。



山を降りてもまだ山なんだけど、集落があって途中に二十三夜塔があるのに気が付いたので立ち寄ってみた。月待塔ってちょっと気になるんだよね。昔の人はここに集まって、二十三夜の月が出るまで呑み食いして過ごしたのだとか。

二十三夜の月が出るのって深夜だよね。昔の人も夜中まで遊びたかったんだよ(爆)。



ここは十二社神社の横だったので、こちらにもお参り。

なぜ見つけられたかというと、南牧村には蝉の渓谷にも二十三夜塔があったので、まだありそうだなと、石塔らしき物を気にしながら走ってたもんで😊。

ちなみに二十三夜の月は勢至菩薩に見立てられている。阿弥陀三尊の阿弥陀如来の左側に居るのは観世音菩薩、そして右側に居るのが勢至菩薩である。


南牧村からは上野村を経由して、神流湖を途中で渡って埼玉へ。神流川は県境なので。



太田部橋。これは帰るところだけどね。


こっち側は埼玉県秩父市。ダム湖ぞいに左に進むとだんだん山の中に入って行く。ファミリアとかジープでよく走り回った林道だが、あの頃はまだ人が住んでいたので、今よりずっと整備されていて安心して走れたような気がする。秩父とはいえ、まだまだ群馬よりの場所にあるのが太田部楢尾。一番近い町は鬼石町だろう。

太田部の住民の一部は、このダム湖に集落が沈んでしまったので、うちの近所などにも転居して来たが(もちろん生まれた頃の話で自分で見たわけではないんだけど)、楢尾地区は山の方なので集落はダム湖が完成したあとでも存続していた。



花のあとさき ムツばあさんの歩いた道

ここが目的地。



坂道登ってムツばあさんの家まで行ってみた。一期一会、肝に銘じますよ。



楓の木の下には、小林公一さんとムツさんが訪ねて来る人の為に用意したという石のテーブル。今は公衆トイレも設置されている。秋になったら美しいだろうが、ここも道は細いよ。

ね。