朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -42ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

京都駅の混雑にも巻き込まれることなく宿にチェックインした弁慶であったが、この日の夜は特に考えてもいなかったので、大津に行った時に気になった鰻屋に行ってみようと出かけた。なんと思慮の浅い弁慶なのだろうか。なぜなら、不通のJRを回避してなんとか家に帰ろうとする滋賀県民で京阪の京津線は超の付く満員だったのである。


大谷駅でおりた私は、へとへとであった。いや、まじで疲れた😓。



蝉丸神社


蝉丸というと百人一首をやったことがあれば(もちろん弁慶は坊主めくりのことを言っている(爆))、知っていると思う。


これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも 逢坂の関


蝉丸さんはこの辺りに住んでいたらしい。元々山上に猿田彦命、山麓に豊玉姫命を祀る上社下社があり、没したのちに蝉丸さんがそこに合祀された。蝉丸さんは琵琶の名手だったので、歌舞音曲、芸能の神として崇められた。


この蝉丸神社は、関蝉丸神社上社と下社の分社と位置付けられている。



見えているのは神楽殿でその奥に拝殿がある。iPhone 15は暗くてもこんなによく撮れるのだなあと関心するレベルで、わずかな照明を頼りに拝殿まで行って参拝させてもらった。



駅を降りると「日本一のうなぎ」という看板が目立つ。



逢坂山 かねよ 本店

050-5570-9968

滋賀県大津市大谷町23-15 

https://tabelog.com/shiga/A2501/A250101/25000117/


かねよ本店。個室で落ち着いて食事が可能らしい。到着時には入店待ちが発生していた。



逢坂山 かねよ レストラン部

050-5890-8288

滋賀県大津市大谷町22-13 

https://tabelog.com/shiga/A2501/A250101/25002530/


別にそんなに気取って食べる必要なんてないので、レストラン部へ。特に待ちもなく入店。



店に入るとすぐ左にメニューが陳列されている。ここから2階へ階段を登るとレストランのフロア。



ビールと鯉のあらい。店内の様子が多少なりともわかるようにワイドに撮ってみた。



上きんし丼。肝吸いは京湯葉のお吸い物とのどちらかを選べる。玉子焼きはう巻きということではなく、普通の厚焼き。ボリューム的には充分だった。



大谷駅。反対側のホームの写真。なぜ撮影したのか、記憶がない笑笑。



京阪京津線は路面電車の区間が一部あって、大谷駅の手前までは道路上の軌道を走ってくる。


大谷から戻り普通に呑んで、深夜に宿に戻った。ゴールデンウィークなのに?ゆえに?先斗町の会員制バーには弁慶入店時に1名の客しかおらず、その客がすぐに帰ると、その後客は現れなかった。


当日のお茶席当番の秀千代さんと秀多恵さんが23時すぎにやって来たが、弁慶が呼んだわけではない。お茶席当番はその後のお座敷に全て挨拶に廻らなくてはならないらしく、たいへんだから休ませてあげたいとお店でリザーブしたのだとか。優しい姉さんだねえ。


一緒に餅を焼いて食べたりして、まあ客というよりは賄いを食べてる感じて過ごしたのだった。



宿の朝ごはん。前回は二日酔いで1時間かけてゆっくり頂いたが、今回は二日酔いもなく、もりもりと美味しく頂いた🤭。


ね。

天橋立の対岸側、籠神社前のバス停で下車。



元伊勢籠神社


第10代崇神天皇の御代に、天照大神が倭国笠縫邑からお移りになり、天照大神と豊受大神を吉佐宮という宮号で4年間合祀した。その後、天照大神は第11代垂仁天皇の御代に、豊受大神は第21代雄略天皇の御代に、共に伊勢に移られたことにより、元伊勢と呼ばれている。


お詣りを済ませてうどん屋に向かうと臨時休業の貼紙があって、内心葛藤していた1日1食が継続出来たことを喜んで良いのやら、残念がるべきなのか(爆笑)。



うどんを食べるモードになっていた胃袋を誤魔化すには運動が良い。ということで、天橋立を歩いて渡ることにした😆。



天橋立を通る道路は、徒歩、自転車、2種原付までの通行が許可されている。このような松林が続き、松林の外側は当然、海である。



なぜか内海側のほうは濁っている。天橋立の両側を結ぶ遊覧船と、ハイスピードで往復できるモーターボートが運行している。



そしてヨットがセイリングしている外海側は綺麗なブルーだった。



籠神社から天橋立駅までは3.5kmということだ。この辺まで来ると、日本酒をしまったボストンバッグが肩に食い込むように重くて後悔した。



羽衣の松など、いくつかの松の大木には名称が与えられていた。



特に表示のない石仏。



天橋立神社の裏手にある磯清水は、周りが海なのに真水の湧く井戸である。名水百選なのだが、飲水不可で、神社の手水として利用されている。



天橋立神社は八大龍王を祀り、恋愛成就のご利益で人気があるとか。御朱印は、ちょっと離れるのだが、宮津の宮津山王宮日吉神社にて頂ける。



与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑


夫妻は昭和5年5月に丹後に8泊の旅行をし、そのうちの2泊を天橋立で過ごして多くの和歌を詠んだ。昭和10年に鉄幹がなくなり、傷心の晶子は昭和15年に1人で再訪したが、帰京後病に倒れ、昭和17年に没したのだそうだ。


鞍馬山にも夫婦仲良く歌碑があったなあと思い出す。



天橋立から陸に戻るのには最後に橋を渡らなければならないが、この橋は、はね橋で遊覧船が通る時に通行止めとなり、かなりの混雑であった。



天橋山智恩寺は臨済宗の禅寺で、日本三文珠第一霊場である。


日本三××とか三大××とかは、必ず諸説が生まれて3つでは治らなくものだが、日本三文殊も亀岡文殊(山形)、中山文殊(金戒光明寺)、安倍文殊(奈良)、五台山竹林寺(高知)、文殊仙寺(大分)などが含まれるとされる。



文殊堂(本堂)は江戸時代に京極高国により再建されたが、中央の4本の柱は鎌倉時代の建物に使われていた物を使用していることが、柱に残っている文字からわかるのだとか。



本堂を一回りすると奥で坐禅中の猫がいた。撫でてもびくともせず、坐禅に集中しておった笑。



多宝塔は室町時代の建立。



鉄湯船は国重文。もともと風呂だった物を手水鉢としている。


そして天橋立駅からは予約してあった高速バスで京都駅に向かうが、気が変わって手前の西山天王山駅で下車し、阪急電車に乗り換えた。あとで知ったのだが、ちょうどその頃、京都駅では不審物が見つかって大騒ぎになり始めたところだった。気が変わらずに京都駅まで行っていたら、もっと詳しい様子がわかったのにちょっと残念である。


ね。

翌朝は6時に起きて、7時前にチェックアウトした。



道の駅から伊根行きのバスで伊根湾めぐり遊覧船乗り場へと向かう。



伊根湾めぐり遊覧船乗り場にはソフトクリームや伊根バーガーなどもあり、食欲をそそられなくもないのだが、ゴールデンウィークは1日1食を続けているので我慢、我慢🤭



遊覧船は2隻あった。ゴールデンウィークだからか、通常の始発9時の前に8時45分の臨時便が出るということで、早く来た甲斐があった。



うみねこ用にパン屑が売られているので、船が出ると周りを飛び回る姿が見られる。



遊覧船は大きいので、それなりにしか近寄れないが、海上タクシーならもっとそばに寄れるのだと知った。


映っている船は漁船で、今の漁船は大き過ぎて舟屋には入らないのだそうだ。



昔は船で行き来をしていたから、陸には、たいした道はなかったという。



この辺りは寅さんのロケ地かもしれない。遊覧船では、そのような解説もしてくれるのだが、撮影を集中していると大事な話も聞き逃してしまう。



帰港後、我慢出来ずにプリンを購入。


伊根の中心地方向に歩いて向かう。



石段の上に八坂神社があったので寄ってみたが、拝殿と本殿がある立派な神社だった。



八坂神社からの伊根湾。




しばらく歩くと再び八坂神社があったので、こちらにも寄ってみた。中段にあったこちらの社にも八坂神社本殿との立札があったが、更に上になりかありそうだったので登った。



すると更に立派な八坂神社があり、こちらも拝殿と本殿という配置だった。



彫物もすごい。江戸時代の物らしい。



伊根の海はとても綺麗だ



やがて昨夜も飲んだ向井酒造に着いた。六角精児もこの酒蔵には立ち寄っていて、日本で一番海の近くにあるという酒蔵である。こちらで遊覧船の船長のお勧めだった春の海という日本酒を購入し、荷物の重さに喘ぐこととなった。



舟屋食堂のある湾。山側に道の駅もある。



現在地がいる場所。すぐ側にバス停があって、そこから予定より1便早いバスで帰ることにした。前の晩に食事を頂いたなみじの大将がおすすめの天橋立対岸側にあるうどん屋に行ってみたくなったのだ。


ね。

宮津に来たのは初めてである。



宮津に来られたのは、この丹後鉄道のおかげかもしれない。呑み鉄本線日本旅で六角精児がこの宮津に泊まらなければ、たぶん弁慶も宮津には泊まらなかった。



宮津はなかなか魅力的な街であった。



レトロな建物がいくつも残っている。



1896年開所のカトリック宮津教会は国の重文。



一色稲荷神社は一色義清自刃の地にある。細川忠興により、この地で丹後の一色氏は滅亡に追い込まれた。







街角には沢山の石仏が祀られているのだが、全てがこのようにカラフルな彩色を施されている。


化粧地蔵というらしい。毎年、地蔵盆の時に綺麗に色を落として新たに化粧するのだそう。



海も近いので海沿いを散歩したが、一応、天橋立の眺望もある。



菊姫稲荷神社



播州皿屋敷は実は宮津城で起きた青山氏にまつわる事件がネタ元だというようなことが書いてある。



さて、ここからが今回の目的地である。



なみじ

0772-20-1188

京都府宮津市波路2402-2 

https://tabelog.com/kyoto/A2609/A260901/26008736/


六角精児が番組の中で訪ねた店。店主夫婦が共に唎酒師の資格を持つ。お酒をどうするか聞かれたので、全ておまかせで料理にあう物を出してもらった。好みを聞かれたので旨口のほうが好きだと伝えたのみ。



お通し。お酒はALBA。池田酒造。



お造り。真ん中(人参の下)にエチオピアという名前の魚がある。



お酒はアサギマダラは山崎合資会社。



伊根の養殖岩牡蠣には、向井酒造の夏の想い出。岩牡蠣にしか、このお酒は出さないんだそうで、岩牡蠣を食べたあとで口に含むと、酸味が旨味に変わる感じのお酒。



天麩羅盛合せには北錦、木下酒造はイギリス人のフィリップ・ハーパーさんが杜氏を勤める酒蔵。



にぎり。左上2番目はカイワリ。右下2番目はザルガイ。お酒は鰌。これ、調べてもわからない😓。



追加で赤貝も頂いた。



丹後とり貝は絶品だそうだけど、普通のとり貝の面積で4倍あるという巨大なとり貝。寿司にすると4貫とれるらしい。そんなに食えない笑。



夜の街も綺麗だ。


ね。

ちょっと手違いがあり、昨日はこちらを先にアップしてしまったので、そのあとで差し替えて本日、再度アップいたしました(という裏事情)。


さて、翌朝、早めに起きて滋賀県大津市に向かった。



まずは大津歴史博物館の「源氏物語と大津」展と「紫式部と祈りの世界」展へ。



そしてすぐそばの三井寺へ。金堂(本堂)では百体観音の特別公開もやっていたのだが、なんとも時間がなく今回は諦めて、境内を飛ぶように廻った。



閼伽井屋。閼伽井とは仏に備える聖なる水のこと。



この閼伽井屋からはこんこんと湧き出ている水の音が聴こえてくるので、聴いていると癒されるように感じる。私は温泉も豪快に投入されている様子を視覚的に見せる演出よりは、こんこんと湧き出すタイプが好きなのだが、そのような温泉に入っている時のような感覚である。



霊鐘堂



弁慶が三井寺から奪って比叡山まで引き摺り上げたと伝わる鐘。弁慶が突くと「イノー、イノー」(帰る、帰る)と鳴ったので、怒って谷に突き落としたのだとか。


そう言われても何のことかわからないだろうが、同じ天台宗でも三井寺は五代座主円珍さん(智証大師)が祖となる天台寺門派で、比叡山は天台山門派。共に比叡山に居たのだが、三代座主の円仁さん(慈覚大師)を師事する派閥が円珍さんを師事する派閥のお堂に火をかけて山から追い落としたので、寺門派はこの三井寺に移り本山とした。つまり弁慶のそれは、その後の敵対関係にあった時代での出来事ということである。



奈良の世尊寺から移築された重文の三重塔



唐院は開祖、智証大師(円仁さん)をお祀りする聖域。



観音堂。西国三十三観音霊場の第14番。しかし時間がなくて本堂ではもらった御朱印もこちらでは頂かず、他にも収蔵庫なども見ずに移動。



わずかな時間で観音堂から琵琶湖をのぞみ、石段を急いで降り駅へと向かう。京阪の上栄町から地下鉄の三条京阪までは直通で行ける。



そして三条大橋から先斗町に戻った。この日は1組の日で1組は昨夜の亜弥さんが立方で舞台に上がる。1日3公演のうち、この日は最初の公演を観た。ちなみに昨日は最後の公演を観た。



席は6ー13とほぼ中央だったのだが、希望としては、もう少し左側だと花道に近いんだけどなあと、だんだん贅沢を言うようになる(笑)。



最初の公演にしたのは、公演後は速攻で三条京阪に向かい、二条で乗り換えて宮津に向かう為であった。


ね。