勢いで籠神社から天橋立まで歩いて | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

天橋立の対岸側、籠神社前のバス停で下車。



元伊勢籠神社


第10代崇神天皇の御代に、天照大神が倭国笠縫邑からお移りになり、天照大神と豊受大神を吉佐宮という宮号で4年間合祀した。その後、天照大神は第11代垂仁天皇の御代に、豊受大神は第21代雄略天皇の御代に、共に伊勢に移られたことにより、元伊勢と呼ばれている。


お詣りを済ませてうどん屋に向かうと臨時休業の貼紙があって、内心葛藤していた1日1食が継続出来たことを喜んで良いのやら、残念がるべきなのか(爆笑)。



うどんを食べるモードになっていた胃袋を誤魔化すには運動が良い。ということで、天橋立を歩いて渡ることにした😆。



天橋立を通る道路は、徒歩、自転車、2種原付までの通行が許可されている。このような松林が続き、松林の外側は当然、海である。



なぜか内海側のほうは濁っている。天橋立の両側を結ぶ遊覧船と、ハイスピードで往復できるモーターボートが運行している。



そしてヨットがセイリングしている外海側は綺麗なブルーだった。



籠神社から天橋立駅までは3.5kmということだ。この辺まで来ると、日本酒をしまったボストンバッグが肩に食い込むように重くて後悔した。



羽衣の松など、いくつかの松の大木には名称が与えられていた。



特に表示のない石仏。



天橋立神社の裏手にある磯清水は、周りが海なのに真水の湧く井戸である。名水百選なのだが、飲水不可で、神社の手水として利用されている。



天橋立神社は八大龍王を祀り、恋愛成就のご利益で人気があるとか。御朱印は、ちょっと離れるのだが、宮津の宮津山王宮日吉神社にて頂ける。



与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑


夫妻は昭和5年5月に丹後に8泊の旅行をし、そのうちの2泊を天橋立で過ごして多くの和歌を詠んだ。昭和10年に鉄幹がなくなり、傷心の晶子は昭和15年に1人で再訪したが、帰京後病に倒れ、昭和17年に没したのだそうだ。


鞍馬山にも夫婦仲良く歌碑があったなあと思い出す。



天橋立から陸に戻るのには最後に橋を渡らなければならないが、この橋は、はね橋で遊覧船が通る時に通行止めとなり、かなりの混雑であった。



天橋山智恩寺は臨済宗の禅寺で、日本三文珠第一霊場である。


日本三××とか三大××とかは、必ず諸説が生まれて3つでは治らなくものだが、日本三文殊も亀岡文殊(山形)、中山文殊(金戒光明寺)、安倍文殊(奈良)、五台山竹林寺(高知)、文殊仙寺(大分)などが含まれるとされる。



文殊堂(本堂)は江戸時代に京極高国により再建されたが、中央の4本の柱は鎌倉時代の建物に使われていた物を使用していることが、柱に残っている文字からわかるのだとか。



本堂を一回りすると奥で坐禅中の猫がいた。撫でてもびくともせず、坐禅に集中しておった笑。



多宝塔は室町時代の建立。



鉄湯船は国重文。もともと風呂だった物を手水鉢としている。


そして天橋立駅からは予約してあった高速バスで京都駅に向かうが、気が変わって手前の西山天王山駅で下車し、阪急電車に乗り換えた。あとで知ったのだが、ちょうどその頃、京都駅では不審物が見つかって大騒ぎになり始めたところだった。気が変わらずに京都駅まで行っていたら、もっと詳しい様子がわかったのにちょっと残念である。


ね。