朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -35ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

2回目のCovid-19に罹患いたしました。


時系列的に検証しますと、土曜日の昼は



御食事処 みや川

048-577-5819

埼玉県羽生市桑崎360-1 

https://tabelog.com/saitama/A1104/A110403/11056083/


わらじカツが食べたいという同僚に付き合って、こちらに行きました。もちろん、弁慶はもうこんな乱暴なことはやりません(爆)。



夜は高校の同級老人と大宮で、弁慶(笑)、かしら屋、伯爵邸です。


この日に感染だとすると、中3.5日くらいになっちゃうから、まあ、まだ少し早すぎますね。この日同行の人に発症者なし!


日曜日は税理士を訪問。次に整体。夕方は竜巻の映画を観に行ったけれど、観客数人でした。


この日の夜だとけっこうしっくりくるけれど、映画観た後は、閉店間際の山田うどんで、客は他にひとりだったし。



まあ、見ての通り、かなりカオスな懇親会がありまして、それが月曜日。ここで感染したと思うのだが、一番しっくりくるが、確認は出来ていない。


火曜日も飲んだが、それは社内。水曜日はそのメンバープラスαで業績の会議。ともに感染者なし。


水曜日の15時くらいに喉の違和感が強まり、木曜日の朝は微熱。午後検査して陽性🧚確定。


正式に高熱に変わったのは夕方で、最終的に38.3℃。発熱以外には症状は特になく、ただ汗が出なくて、熱中症のような症状で、それは辛かった。


金曜日は38.0℃。身体の弱い部分、頸椎からくる左手の痛みとか、腰とかに痛みが強く出て辛く、あと頭痛。


土曜日は37.3℃ながら、よくわからずに頭痛が酷かった。


日曜日、36.5℃ながら寝られないほどの頭痛に発展。耳のあたりが痛みとか唾を飲み込んだ時にズキっとくるとかから、どうも上咽頭炎が原因のようだとわかったので、高濃度の塩水で鼻うがいを繰り返すうちに、カロナールで我慢できる範囲まで落ち着いて、


月曜日にはいつも通りの、なんとなく不調を感じる普通の老人に戻った(爆)。


火曜日、忘れた頃に少し咳、たまに痰が絡む。前回も、こんな感じだったなあと思う。



水曜日まで体調を整えて、快気祝いの秋刀魚。お店のインスタでまるまる太った秋刀魚を見せられて、行きたくてうずうずしていたんだよ😄


そして、



ねぎとろ丼


どう見ても違うんだけど、大将からのサービス!だそうで🤭


ね。





一般的に、株価が上がると証券会社の口座の資産が増えるので、現実の利益を手にしていないのにお金に余裕を感じるようになり、個人の消費が増える。


今年の弁慶の行動は概ねそれで説明できる。その感覚は暴落して剥落したが、その前に予約してあることがいっぱいある💦。なかなか厳しい。



例年、先斗町歌舞練場を会場にしたサントリー主催のプレミアムモルツ・ビアホールに今年も行った。本来なら、歌舞練場から大文字が見える8月16日に行きたいところだが、今年は16日から仕事になるのと、新盆で13日から15日は自宅に居るようにしないといけないなあと、その前の10日の土曜日に行くことにした。



諸般の事情で舞妓の映った内部の画像は使えないので、説明すると、舞妓2人の踊りがあり、各テーブルを周り歓談もあり(千社札ももらえる)、ビールは飲み放題(ソフトドリンクも含む)。


つまみは、歌舞練場前の料理屋「あだち」の仕出し弁当で、時間は1時間半。350ml缶2本のみやげ付き。


仕出しの写真とかは良いのだけど、芸妓と一緒に行ってるので、そんな無粋なことはしたくないというか笑、、、よって無い(爆)。そう、芸妓さんと行ったのである。



もともとは三味線をやっているMさんと行く予定だったのだが、こちらも諸般の事情により行けなくなり、ちょうどそれがわかった頃に市琴さんとご一緒したことがあって、なんとなくそんな流れになった。



ビアホールのあとは、肉とおでんのお店に行って、その合間に建仁寺のプレミアム夜間拝観に行った。



なんだかプレミアムづくしであるな🤭。



8時間も一緒にいると、まあ色々と話すこともある。市琴さんは八戸出身の、まだ二十歳の芸妓さんだが、しっかり筋のある芸妓さんだった。


肖像権など問題もあるので、普段は画像はあまり載せるべきではないと思っているのだが、お母様が色々検索されて観てらしゃるそうだ。本人からどんどん載せて欲しいという希望があったので、あえて載せたということでご理解ください。



先斗町に戻ってお茶屋さんの丹鶴さんのホームバーにデビューした。


地下にワインセラーがあって、床がガラスになっていて脚下にライトアップされたワインが見えるという、なんとも煌びやかバーであった。あのワインは弁慶が手を出せるような代物ではないだろうな🤭



帰りにみやげを頂いた。開けて見ると五山の送り火の干菓子であった。


まあ、初めて伺うことは予定されていたので、新橋に途中下車し、手土産としてレーズンウィッチを仕入れて行ったからだと思うけど。


さて、前にも書いたように、二十歳の芸妓さんの食欲に8時間も付き合っていると、翌日、老人は死にます💦


ね。



翌日は後祭の宵々々山だから、厄除粽が販売される。今年は買えないと思っていたが、なんだか毎年続けて来たものを辞めるのが気になる年頃なんだよね。


ちなみに後祭は還幸祭といって、街場にお出ましになった八坂の神さんを弥栄神社にお戻りいただく祭。その道中を清めるのが、後祭の山鉾巡行となる。



鯉山はすごい人気で、まだ10時にもなっていないのに、長蛇の列。



浄妙山



あ、空いてる(笑)。人気ないのかなぁ。



でも、前の晩に飲みながら御利益を検索した結果、一番欲しかったのが浄妙山だったんだよね。手拭いには弁慶もおるし😊。



厄除粽、ご利益は勝運。勝たねばリタイアできないからねえ。


まあ、今だから言えるのだけど、この後、今年の利益が全て消えるのよ(爆)。



役行者山



鈴鹿山は烏丸通でまだ組立中?


朝ごはん食べずに巡っていたら、暑いし体力奪われて腹減ったのでね、ずいぶん彷徨っていたのさ。それで、五条のほうの食堂行ったら日曜日は休みでした😅。



大喜書店


京都って、なんかこんな感じの良い書店があるんだよね。求めて歩いているわけじゃないので、余計に素敵に感じるのかもしれないけれど。



そして、このようにさりげなく佇む神社



朝日神明宮


858年〜876年に造営され、1572年に現在地に遷座された神社。そんなに歴史がある神社が街角にさりげなくある。



佛光寺のあたりの大行寺。このような佇まいを魅せてくれることが素晴らしいよね。ここの住職は尼僧さんだったはず。



タレカツ 京都本店

075-341-8350

京都府京都市下京区綾小路柳馬場下がる塩屋町44 

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260201/26031012/


限界を感じで、ここでお昼となった。秩父を有する埼玉県人としての馴染みの甘だれではない、タレカツであった。


そして京都を後にし、



いきなり浜松に来た。


石松餃子 JR浜松駅店

053-415-8655

静岡県浜松市中央区砂山町6-1 メイワン エキマチウエスト 1F

https://tabelog.com/shizuoka/A2202/A220201/22029778/



浜松餃子といえば、この姿だよ。小麦だけどさ🤭


ね。

盆も過ぎたのに、まだ祇園祭である😅


ホテルにチェックインして少し休んでから八坂神社へ古い厄除粽を納めにいった。


南側の門から入ろうとしたらガードマンに止められてしまい、何かやってるのかなと四条通りのほうに回った。



すると本殿前にはロープがはられ、ただならぬ空気が漂っている。スマホで調べて見ると、延暦寺から僧侶を招いて八坂礼拝講というのが19年ぶりに行われていると書いてあった。



少なくとも30分は待っていたと思う。僧侶達が出てきた。祈祷をする声でわかったが、無動寺谷の叡南浩元大阿闍梨も参加していた。


八坂神社は明治維新の廃仏毀釈以前は、祇園社、あるいは感神院といい、神仏習合の神社であり、比叡山延暦寺の別院であった歴史がある。



現神主は2033年の祇園感神院の復元事業に取り組んでいるのだそうで、神仏習合の形を整えて行きたいのだそう。



八坂神社の斜め前の祇園石屋



そのはなれ あんず家



汁物は鱧でした。



焼物は焼いての提供、タン



なんだっけ爆



ユッケ



大黒しめじ、ひろうす


ひろうす=飛龍頭と書く。これは何?と聞くと、「関東でいう『がんも』です。『がんも』やないけど。」ということになる。何が違うかというと、具に意味があって、龍の鱗に見立てた百合根、目に見立てた銀杏、髭に見立てたひじきなどという具材を豆腐で丸めて揚げている。だから、がんも。でも、がんもじゃない(爆)。



四条大橋は、コロナ前よりは、まだ空いている。空いてないけど笑。先斗町に川床が並んでいる。



八坂神社の御旅所にお参り。



で、祇園に戻って会員制バーへ。



西瓜は大好物なんだよね。



まあ、普通にチーズをおつまみに、大人しく。


ね。

祇園祭である。京都人ではなくても、あの風情はなんとなく恋しい。しかし、この時期の京都は暑苦しい。気温も湿度も人の密度も高い。



満月寺は滋賀の堅田の寺院で、あの恵信僧都が湖上の安全運行と人々の安寧を祈って建立した。恵信僧都は横川の僧都のモデルというだけあって、比叡山横川で修行した。横川から山を降れば坂本であり、この堅田も遠くはない。



有名な浮御堂。千仏閣、千体仏堂とも呼ばれるように、堂内に多くの仏像が安置されている。室戸台風により倒壊し、1937年に再建された。



本堂は観音堂で、聖観音が御本尊である。



近くの伊豆神社は、堅田の総鎮守。大山祇命を祭神とする。


この神社を中心にした宮座という自治組織のようなものが形成されていた。



摂社の天満宮と稲荷神社



幸運を呼ぶ石に願うようになったら、弁慶も焼きが回った証拠だね。



本殿裏の楠の大木



臨済宗大徳寺派 祥瑞寺



大徳寺の華叟宗曇が開祖で、一休宗純はひたすら願い、苦心の末ようやく入門を許され弟子になり、この寺で厳しい修行を行ったことで有名な寺。



都久生須麻神社は、伊豆神社の境外摂社



本福寺 浄土真宗本願寺派



境内には蓮如像がある。親鸞は元々は浄土真宗を起こしたつもりはなく、のちの時代になり新興宗教化したのだが、もともとの信者は一時離れてしまっていた。蓮如はその真宗を親鸞の時代に戻そうとし延暦寺に睨まれ、大津やこの堅田で再起を計ったという。


また、この寺は近江一向一揆の中核を担う寺であったようだ。



光徳寺 真宗大谷派



堅田源兵衛父子殉教の像


何があったのかというと、蓮如は比叡山に追われた時に、比叡山と敵対する三井寺に親鸞の木像を預けていたのだが、山科本願寺を建立したので、返還を願った。しかし三井寺の答えは「生首2つと交換」だったのである。これを聞きつけた源兵衛は父の源右衛門に私の首を使ってくれと申し出た。


その意思は固く、源右衛門は泣く泣く息子の首をはね、その首を持参して三井寺に返還を求めた。三井寺から「首が一つしかない」と拒まれると「もう一つはこの首だから、今すぐここではねよ」と答えたところ、恐れをなして親鸞像を返したという。



それはやめておきます。



湖族乃郷資料館


自治組織であった堅田衆の歴史などが展示されている。



神田神社


堅田が下鴨神社の御厨であったので、その下鴨神社を勧進して創建された神社。創建は949年と歴史のある神社であった。


ちょっと道を外れて寄り道ばかりしていたから、このあとで通り雨にあって、しばらく雨宿りする羽目になったよ。


ね。