朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -20ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

唐津に戻った。



西ノ門館で唐津焼企画展 如月の器展なるものをやっていたので、立ち寄ってみた。



そこで、右下の平皿と真ん中のぐい呑みを買った。平皿はもともと持っている香立の灰の受け皿として。


その平皿の作者は先日行った「ここのき」でも扱っているのだね。



ぐい呑みのほうはこちら。




そして唐津城へ。疲れたから100円の斜めに上がるエレベーターで城内へ。



だけど鉄筋コンクリートだから、天守閣は外から見るだけでにしておいた。


そして城下には窯元があったので立ち寄ってみた。



抹茶椀(左上)はこちらで購入。





唐津といえば曳山だねえ。でもそれに合わせて来たらすごく混んでるんだろうなあ。


さて、帰ろうと思ったけれど、海を眺めながらコーヒー飲みたいなあと思い、



カレント

092-330-5789

福岡県糸島市志摩野北向畑2290 

https://tabelog.com/fukuoka/A4009/A400901/40003090/



なんだか、おしゃれ地区っぽい。スクールバスのお店とか、ロンドンバスのお店とかある一画。



苺のショートケーキとコーヒーのセット。


こちらに案内されてしばらくすると小さい席が空いたので、4人で待ってる人達に譲ってそちらに移る提案をしたのだが、冬は暖炉のある席は特等席だし、それは時の運ですので、お気にせずにとお店の人は言っていた。



窓の外の海を感じられるバルコニー席は素敵だ。


暖かく、そして花粉の飛ばない季節になったらまた来よう(笑)。



帰って早速、呼子の生干し烏賊をバターと醤油で頂いた。



そして、香炉は香炉台の高さだけ燃え残るので、ちょっと無駄が多い。残った分は、あとで今までの香炉台で燃やしている。改良が必要だと思う。


ね。

名護屋城から加部島に渡りました。



加部島の風の見える丘公園からの呼子大橋。



北側を眺めるとけっこう畑が多い。加部島はそこそこ広いのであります。



活魚料理 かべしま

0955-82-5187

佐賀県唐津市呼子町加部島260-1 

https://tabelog.com/saga/A4102/A410201/41000079/


こちらに来るのが楽しみでやってきたので、開店45分前から店の前に待機しました。


開店すると、まずは予約客を1組ずつ呼び込みます。予約客が全て入店すると、今度は予約無しの客を1組ずつ呼び込みました。



一番人気の4400円のコースと、ノンアル。ノンアルです!


茶碗蒸しともずく酢



鮑の踊り



烏賊も踊り


呼子の烏賊はお造り6,000円とかするので、普段はとても手が出ない。社用で、ずうずうしい人とかくれば、遠慮なく頼んだりするのだろうけれど、幸いずうずうしい人を連れて行った店には、下足くらいしか置いてなかった。


だから、九州に来てから、この烏賊が初物である。



烏賊焼売



刺身を食べ終わると、下足を天麩羅にしてくれる。ご飯おかわり必要だね。


ということで、ご馳走様でした。


さて島をもう少し回ろうと、先に進む。



加部島の田嶋神社


主祭神は田心姫尊、市杵島姫尊、湍津姫尊で、宗像大社と同じである。 



創建は731年、あるいは738年。



左は佐與姫神社


航海に出た夫の安泰を願い泣き続けて息絶えて神石となられた佐與姫の伝説をつたえ、松浦の姫君たちはお忍びで参拝して良縁を願ったのだそうだ。



境内には梅が咲いていた。



後ろの山を登って行くと太閤祈念石があった。太閤が願いを込めて槍で突いたら真っ二つに割れたと書いてあるけれど、太閤だかんね。



力石は名護屋に陣があった時、武将たちがこの石を何回持ち上げられるか競ったのだそうだけど。



こちらは元寇の碇石だそうだ。歴史だ。


ね。


名護屋城って唐津にあったんだ!ということで、名護屋城跡に来た。



名護屋城本丸跡の石碑



なかなかでかいのでちょっとびびってパノラマで撮影してみた。これ回るのたいへんかもって思ったのだけど、これでは伝わらないだろうなー。



ということで、HPから拝借。


一応、大手口ー三ノ丸ー本丸ー水手口ー二ノ丸ー弾正丸ー搦手口と歩いた。



ここは三ノ丸跡



東出丸と三ノ丸の間からの景色だけど、重きを置いているのは、どの方向に誰の陣があったのか。



左側には呼子大橋。



そこから本丸大手門を登って行くと先ほどの本丸跡の石碑が建っている、だだっ広い平地に出る。



天守台跡は、その本丸の海側。



ここにも陣を書き入れた案内板がある。先ほどの呼子大橋は右側になる。



天守台の礎石



多聞櫓跡は石で枠が造られていて、建物の形を示している。



水手口への道はけっこう急だった。こんな坂を登り降りするのは武士達も嫌じゃなかったのかなあ(爆)。



石垣は野面積み。つまり近江坂本の穴太衆を秀吉はここまで連れて来たってことだ。



二の丸跡は広場という感じで、ここからの眺望はない。右の少し高いところが遊撃丸跡。



弾正丸跡。こちらにも陣を示す陶板。つまり、360度全方向に名だたる戦国武将が陣を構えて、その真ん中に名護屋城があったことになる。


で、今はといえば右正面には原発がある。



戦国武将が囲んでいたことを、もっと大雑把に示すボード。


前日は山ン寺遺跡に岳神社でけっこう足を使っていたので、この名護屋城はかなりきつかった。


ね。

大川山内と唐津で買って来た焼物だけど、



右上の青磁の器は、



青木陶房


で購入した。


岳神社から降りて来たことを伝えると、上まで行かれたのかと問われ、行ったと答えると、それは良かったと、岳神社の話になった。


陶房主さんは、毎朝上まで参拝しに行くのだそうだ。反対側の景色を見られたかと問われ、それも見たと伝えると、あの景色が江戸時代の陶工達が見ることの出来た外界の全てだったのかもしれないとのことだった。この地が秘窯の地で、出入りには関所を通らなければならないがゆえのことで、感慨深かった。



駐車場から一番遠い地域にある青木陶房で小一時間過ごしたので、すこし急いで戻る。



川沿いに戻ったら、少し戻りすぎて伊万里焼の橋の下まで来てしまった。



ここが江戸時代の関所のあった場所とのことだが、この立札以外には遺構はない。


上に向かいながらも数軒寄ったが、その時寄らなかった店に2軒ほど立寄って、青磁の香炉立を買った。一番上の画像の左下だ。


鍋島虎仙窯



時間は16時半を過ぎて閉まり始めた窯元もあったので、大川山内を後にして、唐津へと向かう。



予約したホテルにチェックインして、唐津の街に出てみたが、それほど賑やかとはいえないが、店に入るとみんな満席だった。風呂入ったり、ちょっとのんびりし過ぎたかもしれない(爆)。


週末の酔客と店のバランスが保てるようだと、平日はガラガラで店の運営は厳しくなるだろうから、まあ仕方ない。



旧唐津銀行など眺めながら、ぐるぐるしていると空いている店があった。



バー アティエ なのか バラティエ なのか



飲み物2杯とアテ2品で1,000円のセンベロセット。飲み物は選べるけれど、アテは何が出てくるのか不明。



あまり量はなく足らないので、おでんを追加注文し、お酒ももう一杯お願いして、それでも合わせて1900円だった。


そして、翌朝。



呼子の朝市である。



地ビール工房は銀行員だったオーナーが脱銀行員をしてオープンさせたのだそうだ。



なまこ



焼物



烏賊の生干し



刃物


鮑、栄螺を焼いてある店もあるので、車じゃなければ朝から酔っ払ってしまいたいのであった。


ね。

山を降りて伊万里に来たよ。



鍋島藩の秘窯の里、大川内山。橋も伊万里焼です。



伊万里・有田焼伝統産業会館


やってなかったけれど、ここに駐車した。



街並みを歩きながら、窯元の直売所へと立ち寄る。



案内板も伊万里焼。とりあえず一番奥まで行ってみようと歩いて行くと



集落の氏神様である岳神社があった。喉に効くとあったので、喉が不調な弁慶はさっそくお参りをしようと階段を登ったのだったが、



まずは石仏があった。もともと神と仏が明確に区別されたのは明治維新だから、あっても不思議ではない。



でもそこには神社はなくて、段々畑の上に鳥居が見えた。あそこだと思って登って行ったところ、



鳥居の前を道路が横切り、さらに石段が見えた。手前には手水があったので、もうすぐかなと上を覗くが何も見えない。



延々と登る。何の頼りもないので、どのくらい登れば良いのかわからない😥。



休み休み登ると外国人の男性が降りて来た。山ン寺では誰にも会わなかったが、ここでは人に会えた😄。そして御神木の先にようやく建物が見えたあとで、今度は親子とすれ違った。


最後の階段を登って行くと、なんとなく様子がおかしい。



なんと、岩のトンネルの向こうに社殿が建っているらしい。



岳神社の拝殿と神殿は市内に現存する江戸時代の社殿建築の中でも工夫を凝らした優れた建造物なのだそうです。


源為朝さんが、黒神山の大蛇退治のおりに伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀ったのが始まりと伝わるとのこと。為朝さんは頼朝の叔父さんです。



山の上まで来たのに、この手水も湧水であった。



ここは拝殿。清掃されており、気持ち良い。左に本殿があり、参拝させてもらった。鏡の手前に髭を蓄えた神官のような像が左右に並んでいた。まあ、そうした物はあまり写真に撮る物でもないので、撮ってない。



裏に回ると砲弾があった。



そして岩壁には仏が並んでいた。



青羅公園という名称のとおり、ちょっとした広場であるが、



反対側は崖で降りられないが、伊万里の街から海が見えた。


ね。