大川山内 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

山を降りて伊万里に来たよ。



鍋島藩の秘窯の里、大川内山。橋も伊万里焼です。



伊万里・有田焼伝統産業会館


やってなかったけれど、ここに駐車した。



街並みを歩きながら、窯元の直売所へと立ち寄る。



案内板も伊万里焼。とりあえず一番奥まで行ってみようと歩いて行くと



集落の氏神様である岳神社があった。喉に効くとあったので、喉が不調な弁慶はさっそくお参りをしようと階段を登ったのだったが、



まずは石仏があった。もともと神と仏が明確に区別されたのは明治維新だから、あっても不思議ではない。



でもそこには神社はなくて、段々畑の上に鳥居が見えた。あそこだと思って登って行ったところ、



鳥居の前を道路が横切り、さらに石段が見えた。手前には手水があったので、もうすぐかなと上を覗くが何も見えない。



延々と登る。何の頼りもないので、どのくらい登れば良いのかわからない😥。



休み休み登ると外国人の男性が降りて来た。山ン寺では誰にも会わなかったが、ここでは人に会えた😄。そして御神木の先にようやく建物が見えたあとで、今度は親子とすれ違った。


最後の階段を登って行くと、なんとなく様子がおかしい。



なんと、岩のトンネルの向こうに社殿が建っているらしい。



岳神社の拝殿と神殿は市内に現存する江戸時代の社殿建築の中でも工夫を凝らした優れた建造物なのだそうです。


源為朝さんが、黒神山の大蛇退治のおりに伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀ったのが始まりと伝わるとのこと。為朝さんは頼朝の叔父さんです。



山の上まで来たのに、この手水も湧水であった。



ここは拝殿。清掃されており、気持ち良い。左に本殿があり、参拝させてもらった。鏡の手前に髭を蓄えた神官のような像が左右に並んでいた。まあ、そうした物はあまり写真に撮る物でもないので、撮ってない。



裏に回ると砲弾があった。



そして岩壁には仏が並んでいた。



青羅公園という名称のとおり、ちょっとした広場であるが、



反対側は崖で降りられないが、伊万里の街から海が見えた。


ね。