朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -2ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

最後に温泉に入る。その為に途中のLAWSONで持ってくるのを忘れたタオルを買ったのだから。



薬師の湯


泉質 硫化水素含酸性緑ばん泉

泉温 74.4℃



恐山には薬師の湯、古滝の湯、冷抜の湯、花染の湯とあるが、地蔵堂の前にあるのは、花染の湯以外の3棟である。花染の湯は混浴であるが、その他は入替のようで、この日は右側の薬師の湯が男湯で、左側の2つは女湯と掲示されていた。



笹濁りの熱めの湯である。掛け流しだが、もともとの源泉は高温なので、湯船に至るまでに何らかの方法で適温に落とされている。酸性の数値はわからないが、玉川温泉のようなピリピリするほどではない。ちなみに見ての通り、風呂桶以外、何もない。


手前の方が熱くて、奥は適温。良い湯であった。


さて、恐山温泉も入り時刻は午後5時を廻っているので、そろそろ宿へと向かうことにした。


この日予約したのも、また別の温泉のある旅館である。



薬研温泉 薬研荘


現在、薬研温泉で宿泊できるのはここだけのようである。



お寺みたいに木の板を木槌で叩いて呼び出すと

「はーい」と女将が登場。


弁慶「予約した弁慶ですぅー」

女将「弁慶さん???牛若丸さんじゃなくて、弁慶さん???。楽天?」

弁慶「あー、えーとホームページで直接・・・10号室で予約したんですが・・・」

(沈黙)

女将「みっちゃーん、とりあえず10号室案内してー」

み「○○さんは」

女将「別の部屋に回すから」

女将「コースは何?」

弁慶「ダブルなんとかだったと・・・」

遠ざかる我々の背中に聞こえたのは、

女将「あ!メールあった。」

という声。


とりあえず部屋へは入れるらしい😓。予約も確認出来たらしい😓。でも、晩飯、大丈夫かな😓


「晩御飯は6時半です」と、みっちゃんは去って行く。



とりあえず風呂入るかぁと。


男湯、女湯みたいな暖簾だが、基本的に貸切スタイルで運用。使用していない時は、このように開放されており、使用中はドアが閉じていて、外にスリッパが置いてある状態になる。



青い暖簾の掛かった方は、すこし温めだというので、まずはそちらに。源泉掛け流しである。湯口から静かに投入され、左下の水路から溢れて流れて行く。



源泉名 薬研1号泉

泉質 単純泉(低張性弱アルカリ性高温泉)

泉温 47.7℃

pH 7.5


薬研温泉は豊臣方の落武者、城大内蔵太郎が発見し、その湯口が薬を作る薬研台ににていることから薬研温泉と命名されたと伝わる。江戸時代の初めあたりということか。


城大内蔵太郎については不明だが、城氏といえば、埼玉の熊谷には徳川に仕えた城氏がいたが、こちらは桓武平氏の流れらしい。一方、熊本にも城氏があって、藤原北家を祖とする。こちらは豊臣秀吉に仕えたらしいので、その一族なのだろうか。


ちなみに奥薬研温泉という温泉もある。そちらには恐山を開山した時に円仁さんが大怪我をしたようで、その時に河童に助けられ、その時に浸からさせてもらい傷を癒したという「かっぱの湯」があるのだが、こちらは恐山開山まで遡るから862年ということになる。残念ながら、今回はこちらには立ち寄っていない。



こちらは赤い暖簾の掛かっていたほうで、やや熱めということだったが、そうでもなかった。造りが対照的なので、両方の湯口が背中合わせにあることになる。



ちなみに脱衣所である。恐山にも三途川にも近いが、奪衣婆は居なかったので安心して入浴できた。


しかし、残された問題を忘れてはいけない。そう、夕食である。


ね。




恐山は日本三大霊場である。比叡山、高野山、そして恐山なのである。



再び、ここから。まずは菩提寺の山門を潜る。



山門を潜ると境内の真ん中を参道が通り、左右に湯屋が建っている。右に男湯、左に2棟の女湯だった。右手に見えるのは寺務所。御朱印はこちらで頂く。



曹洞宗 釜臥山 菩提寺 地蔵堂


鳥居は無いが左右に狛犬がある。菩提寺は862年、天台宗の僧侶、円仁さんが創建した。あの山寺も、あの中尊寺も、毛越寺も作った凄い方である。


円仁さんは鵜に導かれてこの地に来て地蔵菩薩を祀ったのだという。しかし、その後、荒廃してしまった。そこで、曹洞宗の僧侶、聚覚が南部氏の支援を受けて円通寺を建立し、菩提寺を中興し、宗派も曹洞宗へと改宗した。


その円通寺はむつ市内にあって、現在でも菩提寺の本坊である。


本尊は地蔵菩薩で、この地蔵堂に安置されている。



次に奥の院 不動明王を訪ねた。坂道を上って行かねばならないが、厄除、魔除といえばやはり不動明王である。色々あったので、まずは不動明王。



不動明王をお詣りして戻る坂の途中からの大師堂。



無問地獄



金堀地獄



重罪地獄



慈覚大師堂。祀られている慈覚大師は円仁さんが亡くなられてから贈られた大師号である。堂と言っても壁はない。その中央に大師像が安置されている。



大師説法之地



慈覚大師坐禅石



八葉地蔵菩薩



血の池地獄


観光の為に赤い食紅を投入するらしいが、この日は透明であった。



八角円堂



極楽浜


この酸性の湖には、ウグイなどわずかだが生息しているそうだ。


静寂。恐ろしいほど静寂。



五智如来から観た宇曽利湖



小高い場所にある五智如来


その他、奪衣婆と懸衣翁、太鼓橋、六地蔵などは画像にない。


各々、細かい説明はないので、その謂れなどわからないが、恐山は元々は宇曽利山と呼ばれていたようだ。「うそり」はアイヌ語の入江をさすウショロからの変化ではないかと推測されている。さらにウソリがオソレと変化し、現在の恐山となったのではないかという。


宇曽利湖はカルデラ湖であり、菩提寺のある盆地を含めて半径4キロのカルデラの中にある。現在でもあたりには硫黄臭が立ち込めている。



このように硫黄が吹き出している場所がいくつもあり、そこも境内。すごい。


ね。


日本一周してみたいなあ。



菜の花ソフトである。



帆立丼である。


その日、弁慶はハマに居た。ハマといえば横浜である。道の駅よこはま「菜の花プラザ」。


道の駅 よこはま 菜の花プラザ

0175-78-6687

青森県上北郡横浜町字林ノ脇79-12 

https://tabelog.com/aomori/A0204/A020402/2004567/



日本一周中のHさんと出会った。ここはハマだから湘南ナンバーなのである。お気を付けて、楽しい旅を続けてください❗️



問題はここからである。八戸で借りたプリウスは旧型だったのだが、そのナビもたぶんデータが古かったのだと思う。



本来はこのルートのはずなのだが、恐山寺務所を目的地としてセットし、むつ市を走っていると道路表示で左折するべき交差点でも直進を指示してくる。「そういえばセットした時に規制がある区間があるので、迂回するルートを設定するとか言ってたな。」ということで、ナビに従い走って行くと、ぐるっと太平洋側に回されているようだ。



遠回りだが、しかしながらナビの言う規制の件あるので、規制があるのなら仕方がないなあと素直に進んで行った。


やがて、いよいよ左折の指示がでて、恐山方向に曲がった。もう少しだなあと走って行くと、なぜかルートはダートになった。


「まじか、ダートなのか!」。


でもしっかり青い導線は目の前の道をなぞっている。元々そんな道ばかり走っていた経歴を持つ弁慶だから、そんなこともあるのかなぁと精神的には全く動じることもない。


尚も進むと石がゴロゴロ、轍は深い。とはいえ、走れない道でもないのでまだも進むと、下回りが石に当たり出すし、それを避けようと轍をまたぎたくても左右からは草が覆い茂りそれも困難になり始めた。やがて落石箇所があって、それは越えられるだろうが、それを超えると戻れないかもしれないと思った。


状況を確認しようと、ナビの行先を確認すると、ルートを示す青い導線が、目的地の恐山寺務所に至るまでの最後の区間で途切れている。これは明らかにおかしいだろ(爆)。まあ、普通の人はダートに入ったあたりで疑問を待つのかもしれないが💦。



あとで調べてみると我々がナビに導かれたのは右上から恐山に向かう川沿いの細い道であった。そして、この川は正津川という川であるのだが、上流部は三途川と呼ばれているそうである。


この状況に恐山はもしかしたら我々が来るのを拒んだのかなとは思っていたが、それどころではないのだろうか。と考えると恐ろしくなるので、レンタカーのナビが把握している段階では、この地図にある4号線がどちらとも通行止めだったと思うことにする!


さて、現地に戻る。乗員3人は弁慶を残して前方へ斥候に出てしまってしばらく帰ってこない。ひとりぼっちでなんとも心細い弁慶であったが、後退に備えて後方へと徒歩で調査にでかけた。すると50メートルほど後退すれば、なんとか切り返せるのではないかと状況が確認できた。


そうしているうちに3人は帰還して予想通り前進不可能ということになった。あとはひたすら先進と後進を繰り返し方向を調整しながら切返しポイントまでバックし、無事に戻れたのだった。これにより1時間以上ロスしたのだが、16時には恐山に到着できた。恐山の参拝時間が6時から18時と長かったことで予定の変更をせずに済んだ。


せっかくの場面ではあるが、余裕もなかったし、なんか映っていると怖いので撮影はしていない(爆)。



菩提寺 山門


念の為に宿には遅れる旨、連絡をすると「どんなに遅くなっても6時半には到着します。なぜなら恐山は6時で閉まってしまうからです。」という謎めいた返事が返ってきたのであった。


ね。



境内の真ん中を参道が通り、左右に湯屋が建っている。右に男湯、左に2棟の女湯だった。



本堂。鳥居は無いが左右に狛犬。



まずは奥の院の不動明王を訪ねた。坂道を上って行かねばならないが、厄除、魔除といえばやはり不動明王である。



大師堂



無問地獄



大師堂。ということは、祀られているのは慈覚大師円仁さんである。









血の池地獄



安房鴨川から外房線で千葉、総武線で秋葉原、つくばEXで浅草。



車窓からはしばし海を観る。



浅草、台東区生涯学習センターの池波正太郎記念文庫へと立ち寄った。


館内に池波正太郎の書斎を再現している。


劇場版鬼平も観たことだし。弁慶は池波正太郎との出会いはずいぶんと遅い。剣客商売はテレビで観ていたが、吉右衛門さんの鬼平犯科帳をよく覚えているのも、この5年の間で時代劇チャンネルで観たからである。そして本も読んでいる。エッセイも好きだし、人生の教科書にもなっている。例えば、馴染みの店に手土産など持って訪ねたりすることが多いが、それも池波正太郎から学んだことである。


このような施設としては上田の真田太平記念館以来の訪問であった。


そこから上野駅までは徒歩で向かった。



矢先稲荷神社


途中の商店のあちらこちらにいっぱい祭礼の幟が立っていたので、立ち寄ったのだが、三代家光が作った浅草三十三間堂というのがこの辺りにあって、その守護の神社だったという。拝殿の格天井には豊かな色彩の馬の絵がたくさん奉納されていて、観ることができた。



勢いでアメ横を横断して御徒町まで歩いた。まだ昼なのに飲み屋は盛況で、呼び込みも威勢が良かったが、用事があるのでここから山手線へ。



魁力屋になぜこんなに行列が!と思ったら創業記念でラーメン無料券がもらえるようだった。



旧白洲邸 武相荘


久しぶりの訪問であった。町田は何で行ってもそこそこ遠い。今回は初めてイベントに参加してみることにした。



レストランではビールだけ頂き、開演を待った。ちょっとフライングで一口飲んでしまったが。



レストランの天井は撮影できるが、ミュージアムは撮影できないのが残念ではある。



ミュージアム入り口。以前は武相荘の入口に券売所があったが、ここで券を買うように変更されていた。イベント参加者は2割引きであった。



ミュージアム外観。まさにここが白洲次郎・正子夫妻の住処だった古い農家をリフォームした家。


館内に白洲正子の書斎が完全な形で残っている。



庭にある鈴鹿峠は正子が命名したが、新婚旅行で霧の鈴鹿峠で次郎の運転する車を正子が徒歩で先導し越えたのだそうだ。



庭の石。柱でも立っていたのだろうか。



石仏。



正子は、この三重塔の下に次郎の遺髪を埋めた。



次郎が10代で乗り回していたというペイジの同型車両。個人的にはポルシェ911のほうが、ここではリアルかと思うけど。



参加したイベント


白洲正子の蔵書の中から一冊を選んで、その内容を読み解く。実際に白洲正子の蔵書が回覧され、どのようなところに印や線が入れられているかも含めて読み解く物であった。


今回選ばれたのは、馬場あき子著「鬼の研究」。


なんとも面倒臭そうな本であるが、弁慶はこのイベントを知ると真っ先に予約し(実際、1番上に名前があった)、その後のフォーローを怠ったので、何を題材にするかを知ったのは、直前に確認した時だった。したがって、読んでない(爆)。でも結構読まないで来てた人、多かったよ(爆)。


まあ、これから読みます。


ね。



突然だが、東京駅、八重洲バスターミナルからバスに乗って



安房鴨川駅に着いた。



歩いて行くと、ちょっとユニークな建物があって、調べると捨て猫の譲渡などをやるために、犬猫のぬいぐるみを販売しているお店だった。どのタイミングでこの建物を建てたのだろうかとちょっと思った。



須賀神社があった。京都だと聖護院の前にあって、懸想文(恋文)で有名だ。



説明を読んだらこちらの須加神社は京都から勧進と伝わっていると書いてあった。京都は素戔嗚尊、櫛名田比売命だが。こちらは須佐之男命(字が違うだけ)、罔象女神は水の神、源義家は八幡太郎義家といわれた頼朝の祖先だか、3つの神社が合祀されて現在の姿とのこと。



鴨川グランドホテル


ここが宵越しの仕事がある会場。



沖縄民謡でお出迎え


40人ほどで総会と月例会議を済ませてからチェックイン。



予想外の相部屋。コロナ以降初めてだが、毎度登場する足立の爺と一緒だった。



温泉は当然撮影禁止なので、HPから拝借。



ついでだから。これも貼り付けちゃう。これは楽だ(爆)


特に評するとすれば、景色が良く、ゆったりと入れることだが、露天で寛ぎたくて朝行くと、ツレに仕事の愚痴を延々と大声で喋ってる馬鹿がおって、寛げんかった。大きなホテルだから、いろいろな人がいるのは仕方ない。まあ、最近の言葉でいえば宿泊日ガチャって感じ?



宴会食。



左の焼物は鮑



あとから来た茶碗蒸し



右の鍋は、ほたるイカとミツバを卵でとじた物。



練物と揚物に餡をかけた物



〆のご飯


二次会で六角精児を歌う(爆)。



そうそう、コンパニオンに二十歳そこそこで京都の花街にそこそこ詳しい女の子がいたので、なんでだろうと話を聴いていたら、鴨川にも鴨川芸者がいて、彼女はその置屋の娘であった。顔出しOKだというが、わしがグデングデンで恥ずかしい笑。


なんで芸者にならないのか聞いたら、需要がないのだそうだ。 


鴨川芸者で検索したら、少しだけ情報は出てくるが、鴨川からの連想で鴨川をどり、先斗町へと繋がってしまった。



夜の海の見える庭園の様子。あたかも南国の絵面だが少し寒い。



朝になるとホテルの前にもサーファーがいっぱい現れた。


この日はゴルフコンペがあるのだが、頸椎ヘルニアは相変わらず完治せず出ない。腕に痛みだけならまだ我慢できるのだが、痺れが気色悪い。以前はゴルフ練習とか行ってもなんとなく感覚が鈍くなるくらいだったから我慢できたけれど、ピリピリとかジーンとした痺れは憂鬱になるよ。だから、のんびり鉄道の旅で帰る。


ね。