昨日テレビでディズニー/ピクサー映画「カーズ」が放送されました。
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カーズ (吹替版)
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私は東京にいた頃一度観たことがあるのですが、昨日再びテレビで観て改めて気付いたことがあります。それは「クソ田舎の町おこし描写のリアルさ」です。
この「カーズ」という作品は、車を擬人化というか「世界を擬車化」したヒューマンドラマです。ストーリーを一言で言い表すと「『デイズ・オブ・サンダー』だと思って観ていたら『ドク・ハリウッド』だった」。車に目と口を付けた男児どストライクのキャラデザインなのに、ストーリーの対象はむしろ子供や孫を映画に連れてきた保護者という渋いお話です。
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そもそも2000年代の子供たちがこれらを知っているはずがない。
冒頭、新人レーサーとして頭角を現し調子をぶっこいている主人公のライトニング・マックイーンは、あるアクシデントからルート66沿いにある寂れた田舎町「ラジエーター・スプリングス」に迷い込んで暴走し、道路に亀裂を入れてしまいます。ちなみにこのあと彼が保安官に捕まるシーンはスティーブ・マックイーン主演の名画「大脱走」のパロディなんですが(おそらく”マックイーン”つながり)、そんなのに気付く子供なんていません。このことからもやはり本作は大人向けであることが分かります。
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まあスティーブ・マックイーンはバイクで有刺鉄線に絡まるんですけどね。
で、裁判所で「壊した道路を補修しろ!それが終わるまで解放しねえぞ!」と命令されて渋々アスファルト舗装をすることになったマックイーンですが、この後のラジエーター・スプリングスの描写がクソ田舎としてムチャクチャリアルなんですよ。もう壊された云々の前にヒビだらけで隙間から雑草が生えて荒れまくった道路の感じとか、どう見ても儲かってそうにない商店街の雰囲気とか、どこからどう見ても完璧なクソ田舎です。「ピーターラビット」とか「指輪物語」のホビット庄のような理想化された快適な田舎ではなく、夢も希望も未来もなく滅びが必然となった正真正銘のクソ田舎!このダメな空気の表現が残酷なくらいリアルで、さすがディズニー/ピクサーのリサーチ力!と感動してしまいました。
電線の地下埋設が主流になっているアメリカで未だに電柱と電線がある町並み、景色は美しいのに町自体はボロクソ、道路の両端が丸く摩耗して両脇から土が迫ってきている、あちこちに雑草が生えてその雑草すら枯れているetc...全てがリアルで完璧。設定上はアメリカ(おそらくアリゾナ州あたり)ですが、寂れた田舎町の空気感に洋の東西は関係ないのかもしれません。
マックイーンが壊す前から既に道路全体に亀裂が入っているディティールの細かさといったら。これはもう山間の限界集落の道路そのものですよ。
早く自由になりたかったマックイーンは急いで道路を補修しますが、その際に使用するアスファルトがグレイのやつじゃなく、ひび割れや穴ぼこを一時的にふさぐ簡易的な黒いやつ。なのでマックイーンが補修した部分だけ道路の色が違うのです。
これもクソ田舎あるあるです。部分的な補修ばかりしているから、道路がグレイと黒のアスファルトのパッチワークのようになってしまうという。
ところが、そんな部分的な補修にも関わらず、平らでなめらかになった道路に住民みんなが大喜び。さらにせっかく道路が綺麗になったのに店がみすぼらしいのは恥ずかしいと自発的に店の補修まで始め、それをきっかけに住民も徐々に活気付いてくるのです。これはまさに犯罪学者のジョージ・ケリングが提唱した「割れ窓理論」。地域の些細な破損や汚れをそのまま放置しておくと、それが呼び水になってさらなる環境悪化が起こり、モラルが低下して住民の地域振興や安全管理に対する関心が薄れ、犯罪も増えていくという理論ですが、ニューヨークのジュリアーノ元市長が、これと逆に地域の些細な破損や汚れを迅速に補修して環境美化に務め、先に軽犯罪を徹底的に取り締まることで最終的に凶悪犯罪の発生率まで低下させたことで知られています。ラジエーター・スプリングスは犯罪こそ起こっていませんでしたが、道路補修をきっかけに町の住民が元気になる様は「割れ窓理論」の逆パターンと言えます。
■アメリカでも地域活性化の切り札はよそ者、バカ者、若者か
ラジエーター・スプリングスは架空の町ですが、モデルはかつてルート66沿いで繁栄していた小さな町です。ルート66は1929年に指定されたイリノイ州シカゴからリフォルニア州サンタモニカを結ぶ陸横断国道で、アメリカ西部の発展に貢献し、交通量の増加に伴い沿道も繁栄。モーテルやガソリンスタンドなど様々な店舗が開店し、マクドナルドなどファストフード産業も生まれ、ただの国道という存在を超え「アメリカ文化の礎」となりました。しかし作品の中でも語られていましたが、後に州間高速道路が敷かれたことにより交通量は激減。1985年に遂に廃線となり、それに伴い沿道の町々も衰退し、中には住民全員が他に引っ越すか死ぬかして町が丸ごと廃墟になっているところすらあります。
ラジエーター・スプリングスはまさにそんな高速道路のせいで衰退した町で、かつての繁栄を取り戻そうと町の敏腕弁護士であるサリー・カレラがあれやこれやと頑張ります。
ところが、実はサリーはロサンゼルスから流れてきた新参者で、かつての町の繁栄を知ってはいるものの実際に見たことはない若者だったのです。元からの住民でもなく、町の昔の姿も見たことのない若者が一番町おこしに熱心な様は一見奇妙に見えますが、実はこれもクソ田舎の町おこしあるあるです。外から来た者だからこそ町の良いところを見付けることができ、それが正当評価されていない現状を憂い、なんとか状況を良くしたいと思うもの。一方、昔から住んでいる地元民は町の良いところも悪いところも日常でしかなく、衰退すらルーティンとなっているため危機感がなく、町おこしをしようと言い出す者がいてもイマイチ消極的です。
そこへ、調子をこいて散々文句や悪態をつくバカタレのマックイーンが迷い込み、住民と衝突しながらも道路を補修し、少しずつ交流することによりマックイーンと住民たち双方が変化し、最終的にマックイーンがラジエーター・スプリングスに移住することで町おこしは成功します。よく、「地域を変えるのはよそ者、バカ者、若者だ」なんて地方創生論を目にしますが、これは日本に限ったことではなくアメリカでも同様なのかもしれません。
この映画を作るにあたり、ディズニー/ピクサーはルート66沿いの町々や実際に町おこしに従事している人達をかなり念入りにリサーチしたと思います。でも私は、それらに加えて制作スタッフの中に実際にクソ田舎出身のクリエイターがいると思えてならないのです。本作には、本当にラジエーター・スプリングス並みのクソ田舎に住み、町おこしのあれやこれやを見た人でなければ分からないディティールがてんこ盛りに盛り込まれています。