Close To Your Heart | 徒然むかしばなし

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蝦夷地のほぼど真ん中に棲むクイズとロックバンド好きの主婦による、昔の思い出話をまとめたブログ

珍しく女性歌手の推し曲のことを書いてみます。

歌い手さんだった方が最近YouTubeで復帰されたということがありましたので、

見たという報告も兼ねて、こちらに当時のむかしばなしを書こうと思い立ちまして。

 

愛内里菜さんの『Close To Your Heart』という曲が、凄く好きだったんです。

2001年リリースの曲だったのですが、19年経った今も、時々聴き返しています。

これを書いている今日、一番よく聴いていた当時のことを思い出していたのと、

昨日入った、とある悲しい訃報を聞いて思うことがあったのです。

 

楽曲はサブスクリプション配信がされていないようですので、

ひとまずYouTubeで見つけたものを貼っておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=l2gsDLv-Ehg

 

あと、歌詞はこちらへ。

https://www.utamap.com/showkasi.php?surl=68000

 

この曲を一番聴いていたのは、リリースされたばかりの頃よりも、

気に入って聞き始めてしばらく経った2007年の冬頃でした。

京都の宇治に一人暮らしを始めて、半年ほど経った時期です。

この頃、わたしは突然重くなった婦人科疾患と、神経症を患っていました。

そしてその精神的なつらさを共有していた親友と距離を開けていた頃で、

同時に、密かに想い続けていた方とも、一番距離が開いていた頃でした。

 

親友、というか現在の夫とのことは以前に書いた投稿がありますので、

その後の展開などを含めてこちらを見ていただければと思います。

後の展開を思うとこの別離は、結果的に一時的な別離ではあったのですが、

この当時は本当に永久の別れになると思っておりました。

https://ameblo.jp/9rb/entry-12559525286.html?frm=theme

 

わたしは、以前、この頃の絶望から救ってくれたのは、

その年の秋頃に知った9mmの『Mr.Suicide』と書いていたのですが、

逆に絶望への引き金を引いたのが、この曲でした。

不安や、出せない勇気を持ちながらも愛を歌い上げる歌詞のこの曲が

本当に凄く好きだったのですが、同時に、距離を開けなければいけなく

なってしまった状況をどうしても受け入れることが出来ずに苦しくなり、

必要だったとはいえ親友への告白をしたことを激しく後悔していたり、

また遠く離れた想い人へも伝達手段が何もなくてどうすることも出来ず、

今までシンパシーを感じて好きだった歌詞が、逆に苦しい気持ちへの

畳み掛けになるような文章に見えてしまっていたのでした。

 

「言い過ぎた言葉言えない言葉に頬伝わる涙」

「悔しかったよ本音を伝える勇気がここになくて」

「支える力になりたいと思うたび無力さに負けて」

「一人の夜に全ての不安と戦っているときも 君への想いは揺るがない」

「君を愛することだけでも生きる価値になっているから」

 

という歌詞が特に当時凄く刺さっていました。

伝えて上手く行かなかった結末も、伝えなかったことで離れた結末も、

気持ちが揺るがないがゆえに、つらかったものでした。

「愛することだけでも生きる価値になっている」のは重々思っている、

けど今は、それ以上に自分に生きる価値がないと思ったものでした。

実家から離れて一人の部屋で過ごすと外からの声が入らないので、

神経症も相まってどんどんと悲しい考えが押し寄せていたのでした。

それでも実家からの母や趣味の知人などの来客があった時には極力、

そんなふうに悩んでいることも見せたくなかったものですから、

こんなに思いつめていることを報せも出来なかったりしていました。

もう少し器用な性格をしていたら、この辺も違ったんでしょうね。

この頃の絶望感は引き続き強くはあったのですが、先の文章にも

書いていたように、引き続き距離を置きながらも続けていたSNSで

親友が生き延びていて便りをくれていたことや最終ログイン時間が

直近の時間であったというログが、もう少し生きることへの理由に

なったりしていたのでした。

最終ログイン何分以内、というその文字が、どれだけ救われたか。

そのくらい、思い詰めていた、本当につらい時期だったのです。

そしてそのつらい時期の中で、絶望感を歌い上げる歌詞の9mmと

SNSの中でたまたま出会ったことで、共感から次第に興味を持ち、

どっぷりとはまって追い続けて、生きる理由を得られたのです。

 

というようにわたしの悲しい記憶はその後少しずつ薄紙を剥ぐように

ひとつひとつ取り返せていったのですが、これは本当に恵まれた事で、

一歩間違えれば、昨日報道されていたあまりにも悲しい訃報のように、

絶望感に苛まれてひっそりと生涯を終えて居たのかもと思っています。

当時、何度となく京阪宇治線の線路を長時間物思いをして眺めたり、

あるいは剃毛用の刃物を見てこれをすっと引けばという事も思ったりと

何かと絶望感からの一歩を踏み出すことばかりを考えていたのですが、

結局は「親より先にだなんて」「想い人の故郷を汚してはいけない」

「また会おうって親友と約束したのに」というその気持ちだけで、

何とか思いとどまっていたものでした。

亡くなった彼女にもきっと、本当は思いを留まらせる大事な人々も

きっと居たに違いないと思います。ファンも多い方だと思いますし。

けれどそれでも踏み出してしまったのは、あまりにも心無い声のせいで

生きる希望よりも命を終えるというほうが楽になると思うくらいの、

大きすぎる絶望に呑まれてしまったからなのではと思います。

どうして、あんなに可愛らしい、まだまだわたしなんかよりも希望が

いくらでもあるはずの若い女の子が、こんなことになったのか。

あまりにも悲しすぎる結末です。

 

わたしが何かできたのなら、差し伸べて声を届けたかった。

それこそ、『Close To Your Heart』という楽曲の意味のように、

酷い誹謗中傷への気持ちの持ちようだけでも、経験則を話したかった。

亡くなってから彼女の存在を知ったということが本当に悔しいです。