九代目七右衛門の徒然日記 -9130ページ目

鹿島槍スキー場 会社のスキーツアー

会社のスキーツアーで鹿島槍スキー場に行った時の様子です。

準指導員検定でもお世話になった会社のEさんと。

一昨年スキー部で揃えたユニフォームでチーズ。この写真は会社の社内報に載りました。

指導員研修会in日本ランドHOWスキー場

12月18日から20日まで、日本ランドHOWスキー場で行われた指導員研修会に参加しました。昨シーズン準指導員に合格した同期の方々と久しぶりに会う事が出来て良かったです。
九代目七右衛門の徒然日記

秋の我が家

ビニールハウスの片付けに帰省した時の我が家の様子です。

西山の初雪と紅葉

2階の廊下から撮った西山の初雪の写真です。下の山は紅葉まっさかりで、田んぼも脱穀が終わったところです。

乗鞍温泉スキー場 乗鞍岳 サマースキー

結婚する前の年、家内と乗鞍岳にサマースキーに行って来ました。乗鞍岳の大雪渓は、一年中雪が消えないため、サマースキーのメッカとして有名です。積雪の多い11月から4月下旬までは、乗鞍山頂への道路は通行止め。除雪により開通する春から、本格的なスキーシーズンが始まります。県道乗鞍岳線を上がり、位ヶ原山荘からさらに登った乗鞍岳の畳平まで車で行けます。畳平は標高2,702mあり、バスが入る幅員の国道では日本一標高だそうです。畳平の手前東側斜面にひろがるのが乗鞍岳大雪渓です。こんな真夏にスキーをするのは生まれて初めてですが、9時過ぎに大雪渓に着くと駐車場がいっぱいで停める所がありません。なんとか少し離れた所に車を止めて、雪渓まで行きました。平らな良さそうなバーンは殆ど大学の体育会系スキー部と思われる団体がポールを貼ってありました。はしっこのかなり荒れたバーンを一般の人達が滑っていました。スキー場と違い、登るのに時間がかかるので、ゲレンデには大勢人がいて行列になって登っているのですが、滑っている人は数人です。一人が滑り始めるとみんなが注目するという独特の雰囲気で、何か皆が友達みたいなアットホームな感じです。ようやく上部までたどり着き、記念撮影をしました。

スキーを担いで登るというのは大変な事で、リフトのありがたみがわかります。ここで上のほうから、「伊藤さーん!」と声がしたので振り返ってみると、顔見知りの富士通沼津スキー部の方々がいました。世間は狭いです。まさか乗鞍岳まで来て、静岡の方々に会うとは思いませんでした。少し下まで滑って今度は家内と交代で記念撮影。雪質は春スキーと大差ないくらいです。

ここから下まではコブ斜面です。ひとり滑るたびに声援があがるという、モーグルの大会みたいな状況の中で滑りました。声援と視線が恥ずかしいような気持ちいいような、何か学芸会で発表しているような気分でした。先に滑った家内に撮って貰った写真です。

12時過ぎまで、4本くらい滑ったところで、体力の限界を感じて引上げる事にしました。近くのいがやレクリエーションランドにあるスイス風のレストラン「シヨン」というところでチーズフォンデュを食べて、レクレーションランドで軽く遊んだ後、乗鞍温泉湯けむり館の温泉に入って疲れを癒して帰りました。

テレビ東京系の「いい旅夢気分」が我家から放映されました

1992.07.08


テレビ東京系の「いい旅夢気分」が我家から放映されました。ロケ日は平成4年6月20日、放映日は平成4年7月8日でした。制作は近代企業、我家に来たのはリチャードバーガーさんと迫文代さんでした。リチャード・バーガーさんは、国際研究家として活動するかたわら、レポーター、コメンテーター等のタレント活動を数多くこなしている方です。迫文代さんは、アシスタント・レポーターなど幅広くタレント活動。テレビ「なるほどザワールド」「そこが知りたい」「情報・そこが決めて」などで活躍中で、日本女子大を卒業されています。6月20日のロケの後、スタッフの皆さんとの記念撮影です。父の右が迫さん、母の左がバーガーさんです。


7月20日の放映時の様子はおよそ下記のとおりでした。

ナレーション「白馬といえば冬はスキーリゾート、そして夏はおしゃれなペンションをベースに高原で遊ぶというイメージを思い浮かべますね。しかし、この村の本当の魅力は、ふるさとの暖かさ。

そして山里のなつかしい風情なのです。」

父「山道ですが佐野坂トンネルを出てすぐに右に入り、森の中をちょうど1kmで目の前がぱっと開けますので、その正面の家がマル七です。」

ナレーション「民宿マル七の開業は大正9年。柱には百年前から時を刻み続ける百年時計。」

ダニエル「僕、実は民宿に泊まった事無いんですよ。」

父「ああ、そうですか。」

ダニエル「伊藤さんにとって民宿の魅力と言うのは何ですか?」

父「そうですねぇ。他の宿と違って、私共は来て頂く方々はみんな親戚の方のように、家族同然に迎えるのです。まあ、ひとつ食事の例をとってみたら、この囲炉裏端でいつもお客さんと一緒に食事もさせていただいています。」

ダニエル「家庭的って事ですね。」

父「そういう事です。」

迫「どんなお料理を出されるのですか?」

父「いやぁー、特別な料理やごちそうはないですけれど、都会の方々はみんなもう美食を味わっているでしょうから。田舎の良さと言ったら、ここで取れた山菜や、夏だったら庭で取れた自給自足の野菜、お店で買ったものではなく取れたての新鮮な野菜をあがって頂くわけです。」

迫「手作りだから良いのでしょうね。」

ダニエル「そうですね。それに都会から来るとけっこうこういう古い建物を面白がるんじゃないですか?」

父「そうですね。」

(囲炉裏の上の火棚に上げてある藁靴(すっぺんじょ)のアップ)

迫「どうですか、ご主人。白馬村ってどんなところですか?」

父「昔は本当に山の中の寒村でしたけれども、ご承知の通り6年先に冬季オリンピックの開催が決まりまして、一躍、世界の白馬となっていくんでしょうね。これもひとつには白馬岳、あの山のお陰です。白馬村が今日有るのは。」

そして、番組のエンディングも我家の土間からでした。

迫「本当にこの宿は良いですね。」

ダニエル「こういう宿、本当に好きなんですよ。」

迫「私も。こういう宿ってなかなか無いですからね。」

迫「でもどうでした信州高原の旅。」

ダニエル「楽しかったですよ。いろいろやりましたしね。信州って言うのはいろんな魅力があって、美しい景色もあって、遊び場もあって、温泉もあって、いい所ですね。」

迫「観光地っていうとホテルやおみやげ物屋さんがずらっと並んだりしちゃうでしょう?でもここは自然がたくさん残されているでしょう。こういう民家は大切にしていって欲しいですね。自然にはやはりこういう建物が一番似合っていますよね。」

ダニエル「はい。それでは皆さん、よい旅を。」

昭文社"マップル情報版信州"

平成4年6月15日発行の昭文社"マップル情報版信州"P16に我家が掲載されました。

タイトルは、1992夏の信州に遊べ白馬村に、ただ一軒残る 囲炉裏&茅葺きの民宿にふるさとを発見!!というものです。内容は下記のとおりです。

囲炉裏から湧き立つ煙は"おじいちゃんち"のノスタルジア

"ふるさと"のイメージといえば、田畑を前にして建つ茅葺き屋根の農家。そして背後には雪を抱いた山々……。そして囲炉裏から昇る煙が、風にのってほのかに漂う。そうした山村ならどこにでもあった"ふるさと"の風景が、今や、日本中から消えようとしている。昭和50年代、長野、新潟、群馬など、茅葺き屋根が多いといわれる地方の村では、1年間に数軒というハイペースで、茅葺き屋根が消え去っていった。「トタン屋根なら維持が楽ですよ」という営業マンが村々を回り、茅葺き屋根は、次第にトタンに覆われていった。

北アルプスの麓、白馬村も例外ではない。村に残る茅葺き屋根は、多めに見積もっても30戸。ちなみに白馬村には2800世帯が住んでいるから、茅葺きの割合は、たった1%ということになる。最も茅葺きが多く残るのが、白馬村でも南端の内山地区で、21戸のうち4戸が昔ながらの茅葺きである。「それでも、囲炉裏に火を入れているのはうちぐらいですよ。」というのは、内山地区の民宿マル七のご主人、伊藤馨さん。茅葺き屋根は、囲炉裏に年中火が入り、屋根を燻していないと、すぐダメになる。つまり、内山地区でも、囲炉裏を使わない残りの3戸は、近い将来トタンに変わるだろうことは容易に想像できる。

「白馬村の民宿で、昔からの茅葺きで囲炉裏があるのは、実はうちだけなんですよ。」と、伊藤さん。どうして日本中から茅葺き屋根が急速に消えつつあるのか?答えは簡単。材料も、屋根を葺く職人も足りないからである。そもそも茅というのは、山に生えるスゲ、ススキ、チガヤのこと。これを束ねて屋根に積み重ねていったのが茅葺き屋根。「なんとか私の代までは茅葺きを守ろうと、数十回は手を入れているんですよ。」というほど、手間がかかる。伊藤さんの民宿マル七は大正9年築の2階建て。屋根も広いから、もし一度に葺きかえるとしたら、3万5000束という、気の遠くなる量の茅が必要となる。今や、茅葺き屋根は、日本の住宅建築のなかで最も贅沢なものになったのだ。

民宿マル七の外見は、上の写真のとおり。これでも充分に"ふるさと"を感じさせるが、玄関奥にある囲炉裏端に腰を落ち着けると、なぜかホッとしたやすらぎを覚える。囲炉裏端は毎日の生活に欠かせない重要な場所。一家団らんの場であるばかりでなく、来客の接待、炊事、夜なべ仕事の場でもあったのだ。つまり、茅葺き屋根が"ふるさと"の原点であるなら、"ふるさと"の生活の中心は、囲炉裏ということになる。主人は、横座(よこざ)と呼ばれる入口に対面する場所に座り、この場所だけは、主人しか座れないのがしきたりだった。民宿マル七では、今でも昔のままに、主人である伊藤さんが横座に座り、客と食事をする。宿泊客の誰もが"ふるさとのおじいちゃんち"に帰ってきたという錯覚に陥る瞬間だ。主人の伊藤さんは横座に座る。

徹底分析!"おじいちゃんち"は、なぜ居心地がいいのか!?

民宿マル七の建物は、大正9年築の茅葺き屋根。茅葺きの2階建ては、白馬村でも珍しいが、2階は養蚕用に使われてきた。道路事情が悪かった大正時代の白馬村のこと、建材はすべて周囲の木、しかも20haという伊藤家の自家山林から調達した。1階の座敷にしても、前座敷10畳、奥座敷15畳というゆったりした構造。一見、急に見える階段も、他の農家に比べればゆるやかな方だ。

建物の周囲は、50俵程度を収穫する1.2haの田んぼ。そして、大根、トマト、キュウリ、ピーマン、野沢菜などを収穫する畑。米や野菜は、すべて自家栽培だ。食卓に登場する新鮮な野菜。思わず滞在日数を延ばす家族連れが多いというのもうなずける。

2階はもともと養蚕用の部屋だが、窓側に廊下がとられ、障子で仕切られている。障子の通気、断熱性を利用して養蚕が行なわれたわけだ。

1階の前座敷の押入れの襖絵。大正9年に今の母屋に建替える以前から伊藤家にあった唐紙障子。江戸時代頃のものと想像される。

電話開通当時の電話機スタイルだが、実は最新式のプッシュフォン。100円玉も使えるこの電話、マル七では「ピンク電話」と呼んでいる。

畑では、野沢菜をはじめ、ありとあらゆる野菜を作っている。夏なら完熟のトマトにガブリとかじりつくなんて贅沢が許されるのだ。

収穫した野沢菜を漬け込むのは奥さんの仕事。「都会の人に人気があるのは、たくあんより野沢菜だね。」とか。野沢菜が味わえるのは冬から春。

茅葺き屋根は夏に涼しいのが特徴。扇風機すら必要ないというから驚く。「扇風機もうちには売りに来ないから。」と、伊藤さんは笑うのだ。

"おじいちゃんち"をベースにすれば、自然観察も楽しめる姫川

源流自然探勝園

民宿マル七に泊まったら、ぜひとも周辺を散策してみたい。民宿から徒歩20分と、散歩がてらに行けるのが姫川源流自然探勝園。大町と白馬を結ぶ国道148号線沿いにもかかわらず、訪れる人も少ない穴場的な存在。

親海湿原

国道148号の佐野坂の直下に位置する湿原で、マル七から徒歩30分のところ。水源は青木湖の漏水であるといわれるこの湿原は、「昭和40年頃までは、大部分が水田だった」(伊藤さん)というユニークな場所。

塩の道(千国街道)

新潟県糸魚川と塩尻を結ぶ全長30里(約120km)の街道で、海や海産物を待つ信州側では"糸魚川街道"とも呼ばれた。

C級検定員検定会in車山高原スキー場

C級検定員検定会で車山高原スキー場に行ってきました。学科と、模擬検定があり、どちらも合格し、公認検定員証を貰う事が出来ました。
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準指導員検定会in菅平高原スキー場

2月28日から3月1日までの日程で、菅平高原スキー場において準指導員検定会が行われました。いろいろな方々のご指導のおかげで、学科とすべての種目で合格点を取る事が出来、受験者34名中、トップの成績で合格することが出来ました。本当にありがとうございました。今後は準指導員の名に恥じぬよう、広く一般スキーヤーに指導していくとともに、自分自身の技術もさらに向上させていきたいと思います。ゼッケンは28番でした。
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ワッペンです。
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バッジです。
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準指導員証です。
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指導手帳です。
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準指導員要請講習会in菅平高原スキー場

2月9日~11日まで準指導員要請講習会が菅平高原スキー場で行なわれました。1月19日の救急法以来で、一緒に受験するメンバーと顔を合わせました。9日の夜から大雪に見舞われ、10日の朝は腰まで浸かるくらいの積雪になりました。朝からフリー滑走とのことでしたが、大好きな新雪ですが身動きが取れないくらいで、上手く滑れませんでした。

最終日は付近の道路や高速道路が大渋滞という情報が入ったため朝で解散となり、帰路に着きました。普段は4時間程度の静岡までの道のりですが、11時間かかってようやく帰ってきました。