白馬帰省 蕎麦畑満開 娘が雑誌のモデルに?
9月6日から7日にかけて草刈りのため白馬に帰省しました。前日の夜は家の前で花火をしました。
草刈りの帰りに昨年11月24日のブログで紹介した内山地区の上の方の砂防堰堤を見に行ってきました。
帰ってくると娘が居ません。家内に聞いたところ、泊まりに来ていた雑誌社の方が、モデルに連れてきた小さな子供二人が飽きてしまっているので、娘をモデルに加えて写真を撮りたいという事で、姫川の方に連れて行ったとの事でした。お昼を過ぎても帰ってこないので、姫川の方に見に行ってみました。姫川源流に着きましたが、誰も居ませんでした。
姫川源流から下流に1kmほど行った沢渡沖で、ちょうど撮影しているのを見つけました。
しかしながら、この写真は残念ながら雑誌には採用されませんでした。後ほど雑誌社からお詫びの手紙と、この時撮った写真のボジフィルムが送られてきました。
小学館アウトドア雑誌BE-PAL9月号に我家が掲載されました
平成15年8月9日発行の小学館アウトドア雑誌BE-PAL9月号P126に我家が掲載されました。
「うちは囲炉裏を焚いてるから、足の裏が真っ黒になりますよ。それに、昼間は畑に出るからあまり世話できないかもしれません。そんな宿ですけど、いいかねえ?」民宿に泊まりたい旨を伝えると、そういう答えが返ってきた。宿を切り盛りするのは、ご主人夫妻のふたりだけ。農業をやりつつ、昭和38年から民宿をはじめたそうだ。むしろ、ほったらかしにされたほうが、ふるさとに帰った感じがするだろう。なんなら畑仕事も手伝おう。そんな気持ちで長野県白馬村の民宿「マル七」へ向った。白馬村の中心から南東の山へ少し入ると、内山という小さな集落に行きつく。かやぶき屋根がふたつ見えるが、ひときわ大きなかやぶき民家が、民宿「マル七」だった。
「マル七」は1714年に3軒裏手の本家から分家した。現当主、伊藤馨(かおる)さん(78歳)は、8代目にあたる。現在の家屋は、大正9年(1919)に改築したものだ。家に入ると土間の北側に約1m四方の囲炉裏がある。囲炉裏を日常的に使っているのは、白馬村でも1件だけだという。囲炉裏の縁には電話機が置いてあった。ミスマッチな光景だが、この囲炉裏は、いまだ生活の主役なのである。「どうだい?家の中は古くて汚いし、ここは白馬で最低の宿といわれてるだ。」と、伊藤さんは笑う。たしかに囲炉裏の煙は目にしみる。服も煙くさくなる。足の裏も黒くなった。しかし、いったん囲炉裏のまわりに座れば、離れられなくなるから不思議だ。伊藤さんが昔話を始めると、そのおもしろさにますます離れられない。大正9年の改築の時、祖父が囲炉裏の自在鉤(じざいかぎ)を松本で買ってきた事。25銭のものか、35銭のものか迷ったあげく、安い方にしたこと(今も使っている)。戦争から帰ってきたとき、囲炉裏の火を見て、涙が出るほどうれしかったこと。それが今でも囲炉裏を燃やし続けている理由だということ。こんな話を聞いていると、民宿というより、自分のおじいちゃんちに泊まっているという感じがした。
翌朝、奥さんは僕らが起きる前に、畑から野菜を採ってきていた。その採れたてのキュウリとナスは「これが本当にキュウリとナス?」というほど美味しかった。
薪(まき)は、持ち山から切り出して、2年くらい小屋で乾燥させておく。灰は肥料や山菜のあくとり、雪の上のすべりどめに使う。
①鉄瓶(てつびん)の口は北へ向けるなよ~
農家では北を忌む習慣がある。北まくらと同じで、鉄瓶の口は北へ向けないようにしておく。
②春木は裏から話は元から
春の湿った木は、裏(細い方)からくべないと良く燃えない。話は元(最初)から聞かないとわからない。
③この石は囲炉裏の神様だでね
囲炉裏の隅には、子供が落ちないように石の守り神が置いてある。また、囲炉裏の四隅はまたいではいけない。
④キセルでたたいて削れただ
囲炉裏の縁は物を置くのに役立つ。ここは伊藤さんの祖母がいつもキセルを叩いていたので削れている。
土間の右手は昔、馬屋につながっていた。今はスキー客に便利な大きな下駄箱がある。
2階の15畳の部屋。かつては養蚕農家だったので、2階はすべて蚕を育てていた。
畑でナスの採り方を習う。他にキャベツ、レタス、春菊、とうもろこしなどを栽培。
去年収穫した枝豆を、この夏におしたしにしたもの。おいしくて、食べはじめたらとまらなくなった。
情報誌「民家」(JMRA)夏号に我家が掲載されました
平成15年7月1日発行の情報誌「民家」(JMRA)夏号P22に我家が掲載されました。日本民家再生リサイクル協会(JMRA)の正会員である長谷川和男さんが我家に宿泊して投稿して頂いた記事です。
■信州・白馬、大正9年築の茅葺き民家
北アルプスの麓、白馬村にある今では希少な茅葺きの民宿。パンフレットには、マル七で体験できる事として、「古い家なので隙間風が入る事があります」「囲炉裏の煤で靴下が真っ黒になります」「夏はカエルの鳴き声で眠れない事も・・・」「夏は芋掘りや薪割り、冬は雪かきや屋根の雪下ろしを手伝わされることもあります」と書かれています。都会を離れ、田園地帯の中で忘れかけていた田舎の生活をのんびり体験したい方に最適な宿です。
■田舎の実家に帰ってきたようなもてなし
オーナー夫妻が民宿を始めたのは1963年。当初は、自然の素晴らしい環境のなかで勉強できる学生村としてスタート。以来、ご夫妻の人柄からか、学生が社会人となり結婚して子供づれで再訪したり、成長した子供たちが訪れるなど二世代、三世代のつながりがある心温まる民宿です。
■周辺情報
周辺には白馬連峰、八方尾根や、栂池、青木湖などの仁科三湖、姫川源流などの大自然が、ちょっと足を伸ばせば黒部ダムや日本海にも行けます。マル七から北へ車で30分のところには、伝建地区に指定された「青鬼(あおに)集落」があります。ここには北アルプスを背景に、民家と棚田を一望できるベストポイントがあります。
NBSスペシャル 今となっては最高の仕事~茅葺職人と伝統建築~
NBSスペシャル「今となっては最高の仕事~茅葺職人と伝統建築~」という番組で我家が紹介されました。放送局は長野放送、放映日は平成15年5月26日のPM7:30から、制作はビデオ企画、ロケ日は平成14年11月27日でした。茅屋根の葺き替えを中心に上田市別所温泉にある古刹、常楽寺本堂の改修工事の様子と、長野県内の茅場や茅屋根の家に暮らす人の姿、さらには世界遺産に登録された岐阜県白川郷の合掌造りを紹介し、伝統建築について伝えられました。平成14年11月27日のロケの際の囲炉裏端での写真です。
ナレーション「人の生活、文化に密着し影響する、その時特有の自然環境。緑豊かで自然に恵まれた風景は、私達に郷愁とやすらぎを与えてくれます。今も茅葺き住宅に住んでいる人はどんな暮らしをしているのでしょうか。」
ナレーション「白馬村に住む伊藤馨さんの家は、今から83年前、大正9年に建てられた茅葺き屋根の大きな家です。」
ナレーション「窓はサッシを使わず、建築当時の姿を残しています。」
父「冬暖かくて、夏涼しいというのが本来ですが、うちはご覧のように見渡す限りサッシの戸を全く使っていないのでね。年中全館冷房で、冬は寒くて大変なんです。夏はまあその点、涼しくていいんですけどね。」
ナレーション「伊藤さんは昔ながらの囲炉裏を使った生活を、今でも続けています。家の中を見ると、柱や天井が黒く煤けています。これは茅葺き屋根を長持ちさせるためにも必要な事だと言います。茅にカビや虫が住まないように、火を焚いて燻してやる必要があり、この囲炉裏から立ち昇る煙が家を長持ちさせるのです。
しかし、茅葺き屋根の建物は、生活様式や社会の変化により、急速にその姿を消しつつあります。白馬村の中でも茅葺き屋根の家は20軒ほど。このため、伊藤さんの悩みは屋根の葺き替えだと言います。」
父「修理するには、千束単位でやらなければならない。以前は近所隣、ほとんど全戸が茅葺き屋根だったので、とこの家からでも茅を借りる事ができましたが、今ではもうだんだん茅が無くなってしまっている状態で、村中から買い集めて、修理をしているのです。茅葺き屋根とこの囲炉裏は、まあ後はどうなろうと私一代は続けていきたいと思います。」

























































