『笑う介護士』袖山卓也さんの講演の中で


「介護とは何なのか?」というお話がありました。




一般的に教科書で教える「介護」とは、


①入浴・食事・排泄介助+レクを行い



②利用者の方に”人間らしい生活”をして頂き



③その上で”いきいきとしたその人らしい人生”を生きてもらおう



という順番で捉えられることが多いです。




ですから、教科書通りに①入浴・食事・排泄・レクが最優先事項だ!


と考えられている介護現場では


①、②が出来てはじめて、職員の意識が③にいくようになっています。




そしてほとんどの現場は、


利用者さんの③これからの人生を考える余裕なんてあるわけなくて、


日々の①入浴・食事・・・をこなすだけで手一杯という状態です。




利用者さんが笑顔になれる趣味、


今したいこと、聴きたい曲、食べたいもの、行ってみたい所、


死ぬ前に会いたい人・・・


そんなことは二の次、三の次で


まずは体温チェック、トイレ誘導、食事介助、入浴、あぁ忙しい・・・なのです。




家族に代わって①をするのが「介護」の仕事なんだから


それで十分ではないか?と考える人もいるでしょうが、


袖山さんの主張は違います。




「確かに食事も入浴も排泄も、


生きていくためには欠かせない、大切な行為です。



でも、人間は入浴するために生きているのですか?


違うでしょう??


排泄するためだけに生きている人間なんて、いるんですか?




入浴や排泄をするためだけの人生ってどうなんでしょうか。


あなたは、食事、入浴、排泄だけの人生で満足なのですか?



栄養を与えて、体調を管理して、身体を清潔にして、・・・(要するに①)


それを行うだけが”介護”なんですか?


そんなの僕は、金魚にだってやってますよ。


餌をやって、身体の変化を観察して、水槽の水を取り替えて・・・



それだけが「介護」であるならば


「金魚の世話」と変わりないですよ。



金魚と人間の扱いが同じでいいんですか?!」



と、大体こんな感じの事を、


「笑う」要素は一切なしに熱く語っておられました。




「やじるしが逆なんですよ。


①⇒③ではなくて、③⇒①なんです。



①入浴・食事・排泄介助+レクの上に


③いきいきとしたその人らしい人生があるのではなくて、



まずその人の③生きたい人生があって


その人生を生きるために、


人は①の行為を行っているのです。




そして、その「生きたい人生」をサポートするために


腕になったり、足になったり、知恵を出したりするのが


介護士の仕事
なんですよ!!




だから、トイレも食事もお風呂ももちろん大切だけど、


利用者の方に、行きたい所はどこですか?


会いたい人はいませんか?って


気にかけて話しかけてくださいよ!」




なるほど、袖山先生が理想とする「介護職」とは


利用者の方の人生に彩りを添える


「最期の人生プランナー」のような立ち位置なのですね。



①のケアの技術が完璧だとしても


③利用者の人生を満足させないと介護士とはいえない!!といった感じでしょうか。




そうだとしたら介護職は


毎日の①食事、入浴、排泄・・・といった身体のケアだけでなく、


利用者ひとりひとりの今までの歴史を一緒に振り返り、


思い出の地を一緒に訪ね歩き、


介護が必要となった今の苦しみを理解できるように努め、辛さに共感し、


夜間不安や寂しさを訴える利用者とは添い寝をし、


これからの人生をどうやってイキイキと過ごしていくかを話し合い、


毎月、毎週、多種多様なイベントを企画して


利用者の方に孤独感、絶望感、閉塞感を感じさせないように


ワクワクや感動、ときめきをたくさん与えられるように


かつ、自己肯定感、自己受容感を高められるように


細心の注意と配慮をもって心のケアにあたる、といった事を


しなければいけないことになります。




介護だけでなく、カウンセラーや旅行代理店の機能も


兼ね備えろということでしょうか。




こんなにあれもこれも出来ていないにしても


「①の介護を提供しているだけでは人間らしい生活とは言えない」と


誰もが何となくは感じている
ようで、


日頃①の介護で手いっぱい、疲労感いっぱいの介護スタッフが


レクやお祭りや旅行の計画なんかを


仕事終わりに頑張って計画したりしていますよね。



(「いきがいづくり、脳への刺激、四季を感じてもらうため」


といったような思考停止ワードに煽られながら。)




しかしそれでは結局、心も身体も人生のケアも中途半端になってしまう。


いっそのこと介護職は①に専念して


他の「人生を楽しくする彩」は外注してしまう、というのはどうでしょう。




「このまま年を重ねて、身体が動かなくなる事が辛い…」


「今までの自分の人生ってなんだったんだろう…」


などと考えて気分がふさぎ込んでいる時は、


出張カウンセラーに話を聞いてもらえばいいのです。


これからの生活のこと、人生や生きがいについて


1対1の個室で、真剣に話を聞いてくれるでしょう。




介護スタッフが何カ月も残業して


やっと年に1回だけの旅行の計画を完成させるくらいなら、


高齢者の施設に旅行会社がツアーの売り込みに来ればいいのです。


「2泊3日の〇〇の旅はいかがでしょうか?


介護が必要?心配いりません。


わが社には介護付きツアー専門の介護士が配属されていますから」




「明日1日、お墓参りに行きたいから外出したい。」と要望があれば


デリバリー介護士が派遣されて付いていけばいいし、




デパートへの買い物だって、


週に1回くらい介護付きのバスが迎えに来て


利用者の方を乗せてお店にお連れしたらいいのです。


お店の各フロアに、介護士を配置していたら何の問題もありません。



そういった”サービス”が存在すれば、の話ですが。


 
いや、カウンセリングも旅行サービスも


確かに「存在」してはいるのですが、


”福祉・介護仕様”にカスタマイズされてはいないのです。




今のところ、デパートの洋服売り場の店員さんは、


足元がおぼつかなくて、トイレの場所をすぐ忘れてしまい、


拘縮があるため一人では試着ができない「お客様」に


洋服を売ることはできないのです。




福祉・介護の情報や技術は


福祉・介護の箱の中だけで大切に保管され、


制度上許された人に、特定の場所でのみ、提供されています。





「こっち側」にしか福祉・介護の知識や技術を持った人間がいないから、


その知識や技術を必要としている人には


「こっち側」に来てもらうしかないのです。



(なぜなら、その人が「あっち側」に居続けたら、


誰かから嫌な事を言われる、人と会うことや外出が嫌いになる、


身体を壊す、食べ物が食べられなくなる、


動けなくなる、他人を傷つけてしまう、


怪我をする、最悪の場合死んでしまう
等といった事があり得るからです。)



でも、もし「あっち側」の人達が、「こっち側」に関する知識や理解を


一般常識として当たり前に持つようになったら、


「あっち側仕様」のサービスに少しだけ


「こっち側」の人も利用できるような工夫を施してくれたら



人は住み慣れた家でずっと暮らせたり、老後の楽しみが増えたり、


偏見や非難の声で悲しむことが減ったりするのではないでしょうか。




とはいっても、年金世代や介護サービスを受けている高齢者が


「お金を使ってサービスを受ける、物を買う」といった経済(消費)活動を行うことは


特に福祉関係者から、タブー視されているような気がします。




(「年金暮らし」=「貧困」という関係が


必ずしも成り立つわけではないにも関わらず。)



お金を使うという概念がなくなってしまった場合は


また別の問題になりますが、


「最後までその人らしく」生きるためには


多少の「消費活動」も必要
なのではないでしょうか。




「利用者が介護を受ける権利」は平等にあるので、


介護保険事業所としてそこの部分は保証するべきです。



提供する「介護サービスの質」にこだわるのも、プロとして当然の事だと思います。



しかし介護保険事業所は、「介護・生活の質の保障」を越えて「人生の質」まで


「介護保険」という限りある財源の中で保障すべきなのでしょうか。



「介護保険サービス」は「要介護状態になったことによって失ったもの」を取り戻して


「今まで通りの普通の暮らし」を送るために使われるものであって、


それ(介護サービス)だけじゃ高齢者は楽しい晩年を過ごせないはず!と思う人は、


「あっち側」から高齢者に向けて、サービスを提供すればいいのだと思います。




親切心で守備範囲を広げすぎて、


「あなた達しか守れないのに!」という肝心なエリアが


手薄にならなければいいなぁと思います。
①福祉・介護の事について夜通し語り合える相手。



「社会福祉法人の役割ってこれからどうなる?」


「福祉業界の人材不足のからくりは?」


「ユニットケアってどこがいいの?」



福祉や介護のことを深く、理論的に、建設的に


基本、このままの業界じゃだめだ!というスタンス


突き詰めて話が出来る人物は貴重です。



自分の考えを口に出して、リアルタイムで相手から意見をもらう


これをお互い繰り返していくうちに


だんだんとその「問題の本質」に近づいていく過程には


何ともいえない楽しさがあります。



また、日本の政治や経済について討論していても


「結局、ここで何を言っても変わらないよね」となりますが


自分のテリトリーである福祉・介護業界だったら


少しは変革できる可能性もあります。



福祉や介護には「正解がない」と言われますので


いろいろな人と意見を交えながら


自分でブレない軸を作っていく必要があります。




②自分の福祉・介護実践に「気づき」を与えてくれる環境



同僚、先輩、上司、お客様など他人からの指摘によって、あるいは


自主勉強、書籍を読む、研修に参加するなどの本人の努力によって


「気づき」を得る機会は生まれるものだと思います。



そして、それら外部からの刺激がないと


自らサービスを向上していこう!という意識


生まれにくいと私は思います。



しかし、介護業界に限って言えば


これらの「気づき」を得にくい環境に身を置いている


といえるかもしれません。



・中堅スタッフが育たず若い介護スタッフばかりで


お互いに指摘し合うことなど皆無の


仲良し・馴れ合いサークルになっている。



・組織の長は現場のサービスには無関心。



・外部研修の案内は現場の職員に回覧されることはない。


そもそも、人手不足のため研修なんか行っている余裕はない。



・「介護はチームプレイ」と言いつつも


居室や風呂場、トイレ等利用者さんと1対1になる介護場面が多いため、


同僚、先輩、上司、家族などの第三者の目は届きにくい。


もちろん、お客様である利用者さんは何も訴えることができない。



(こう考えると、介護サービス(特に入所系)は「死角だらけ」のようです。)




また、一般的に


組織内での立場が上になればなるほど


(組織における舵取りの責任は大きくなっていくのに)


自分の至らなさを指摘してくれる人は減っていきます。



自分を「叱ってくれる人」ほど、大切にしたいものです。




③何かを実践するときの組織内における「根回し力」



利用者さんのために「これをしよう!」と考えて提案した時、


(社長や施設長からなら鶴の一声でしょうが)


その提案がいくら根拠に基づいたものであったとしても


反対する人は必ずいます。




そして厄介なことに、その提案を実行に移すには


その反対する人の権限なり、同意が必要な場合も多々あります。



せっかくの提案がボツにならないように、


日頃からそういった”難しい人”とは


程よいコミュニケーションをとっておく事が大切ですね。



ある程度の期間その組織に在籍していたら、


誰に話を通しておくのが良いのか、


どの順番で話を通せば良いのか、



社内の”難しい人”はどのような条件なら動くのか


といった事はだんだん分かってくるでしょう。



下ごしらえは美味しい料理を作るための基本です。


それが出来ていないと


包丁を握る機会さえ与えてもらえません。笑




語りあうことでモチベーションをあげ、


たくさんの気づきを得て技術を磨き、


計画を実行するための機会を自ら作る。




人・環境・能力は必需なのですね。
福祉の勉強をしている学生さんと


現役の福祉現場で働く人たちを集めて


勉強会や交流会やらをしている関係で


福祉系の学生さんたちとお話をする機会があります。




その中で感じたこと1点目は


最近(?)の学生は、多種多様なコミュニティに所属しているんだなぁ、


ということです。



学部・学科、部活、サークル、アルバイトという枠だけでなく、


NPOや市民活動のグループに関わりがあったり


SNSなどを利用して


学校では出会わないような世代の人達とも交流しています。



また、同じ学校の中に社会福祉士、介護福祉士、PT、OT、


看護師などを養成する学科がある場合などは


それらの他専門職と合同で、グループワークや事例検討をする授業があるそうです。



学生の頃から他専門職(の卵)と机を囲んで勉強できるなんて…


とてもうらやましい環境だなと思いました。




2点目は、個人情報にあまり執着がみられないという点です。


(個人情報やプライバシーの問題に世間がうるさくなった。と言われますが、


むしろ行政の方がやたらと「個人情報」という言葉を乱用し、


面倒くさい問題に対しては「個人情報ですので…」という文句を盾に、


我関せずの立場を取っているような感があります。


同じ部署内でさえ、情報が遮断されているケースもしばしば)



若い世代の間では、本名で利用するSNSサイトがすっかり浸透し、


学生(ゼミ)と教授のやり取りに使われていたりもします。



自分の生活を詳細に綴ったり、現在地の写真をアップしたり、


顔写真も堂々と載せているのですから、


明らかに「プライバシーだなんだと騒ぐ世代」ではないだろうと感じます。



そういった意識の弊害なのか、介護職員のブログなどを見ていると


利用者の写真(もちろん目隠しはしています。)を


堂々と載せている人が見受けられます。


利用者さんの写真を携帯の待ち受けにしている強者もいますね。



目隠しをしてサイトにアップするからいい、という問題ではなく、


「写真を撮る」ということは


個人の携帯電話の画像フォルダカメラのSDメモリーカード


利用者さんの画像データが残るということです。



仕事で得られた情報は外部に持ち出さない。


それ以前に、専門職としての常識・倫理観が問われる問題ですね。



いつでも、どこからでも、簡単に画像や動画、文章が発信できる時代。


その文化に、物心ついた時から身を置いている世代。




これからは、「情報は漏れるものだ」という意識で


リスクヘッジする必要がありそうですね。


さっき職場会議で話した内容が


数分後には世界に向けてツイートされている時代
なのですから。




3点目は、学生生活に”無駄”がなくなってきているということです。


年配(?)の方の中には、「学生はね、しっかり遊ばないと!それも勉強だから~」


と言われる方がいます。


(それはその方が特別遊び人だったわけではなく、


そういう感覚を持っていても良しとされていた時代だったからです。)



このご時勢、就職難、就職難とあおられて、学生さんは資格取得に必死です。


福祉の世界でも、「社会福祉士なんかとってもとらなくても関係ないよ~」


と言われる方もいますが、


…もはやそんな次元ではないようです。



(子どもの数が少なくなって種の存続が危ぶまれている時に、


子どもを持たないのも生き方だから…


などと言っている余裕がなくなるのと同じです。)



資格取得が就職の最低条件となりつつある現状もあります。


学校を出たのに資格を取らない事は怠惰であり


志が低いと見なされてしまう、


なんだか、ただでさえ真面目な福祉学生に、磨きがかかったようですね。笑




外国人の就職サポートや「法律と福祉と医療」の連携のあり方、


アジア諸国への介護事業の進出なんかにも目を向けて、


グローバルな視点、多種多様なコミュニティから学ぼうとする柔軟性、


それに加えて真面目で建設的な学生生活。




時代がそうさせる、と言ってしまえばそれまでですが


もう明らかに、就職戦線異状なし世代とは


価値観がずれているのでしょう。



現場の職員としては


そのような学生さんに意識レベルを合わせておく必要がありますし、


資格なんてあってもなくても同じだよ、とか言ってしまったら


何言ってるの、怠惰な人。と言われてしまいかねない!!


と強く感じました。
職員の入れ替わりが激しいといわれる介護業界。


今年の春に入社した新人の方々も、


周りのネガティブな雰囲気に染まらず、また心折れず


信念を持って成長して頂きたいと切に願います。




さて、今回は介護業界の「人材不足」について3方向から考えてみました。



①報告書や提言書では、『高齢社会』や『少子化』が


現代社会を語る際の枕詞としてしっかり定着してきています。



『介護の担い手不足』、『〇人の若者で〇〇人の高齢者を支える・・・』


等という言い回しも頻繁に用いられ、


「今のあなたたち(若者)には、社会保障や介護保険なんか頼りにせずに、


自立した高齢生活を送る以外に道はありませんよ!


こんなに問題だらけの世の中なんだから。」



という主旨のメッセージが絶えず発信され続けています。



この「これからの日本は課題が山積み!ネガティブキャンペーン」のおかげで


私たちは『具体的に誰が今、どのような問題に直面して困っているのか』


『その問題が起こると、具体的に誰がどのように、どの程度困るのか』



といった事を深く追求しないまま


少子化、高齢化、人材不足、介護保険制度の崩壊・・・


といった言葉に怯えています。



この「目に見えないもの」への恐れや不安は、


「物の怪」や「怪し」に対して抱くそれと、大差ないと私は思います。


(実害がないのに、イメージだけで騒ぎすぎなのです。)



特に介護・福祉業界は外野がいろいろとうるさいので


抽象的で根拠のないネガティブなイメージには


引きずられないようにしよう、と思います。




②さて、介護現場からも、「人が足りない」という声をよく聞きます。



これはおそらく、


仮に1フロアにスタッフが2人いたとして


3部屋から同時にコールが鳴り出した!と思ったら、


トイレ介助が必要な利用者の方がトイレの前でスタッフに手招きをし始め、


はっとフロアに目を戻すと、


転倒注意の方が椅子から立ち上がりよろよろと歩き始めている、


かつ、部屋から出てきた怒りっぽい利用者の方が


部屋のトイレの紙を交換してくれ、と訴えてきた、


とそこに、利用者さんの一日の様子を聞きに家族の方が面会に来られ…




このような状況に陥った時に、現場スタッフは


「人手が足りないよ!

もう何人かスタッフがいればいいのに!」



と強く思うのだと推測します。



確かにこの状況は、


『利用者の訴え(危機)や

来訪者の要望に迅速に対応できない』



という罪悪感やストレス


(真面目な)スタッフに(こそ)与えます。



また、「しなければいけない事」が突発的に増えることによる


優先順位を瞬時に考えなければいけない負担や、


”仕事に追われている”という焦りの感覚を


(パニックになりやすい)スタッフが(より強く)感じることになります。



このような状態が起きるたびに


「現場に人が少ない」という意識は強化されていくのでしょう。



しかし、この「人が足りない」という状況は


24時間365日ずっと続くわけではなく、


通り雨のように一時的なものです。


(スタッフの体調不良等による急な休みも然り。)



ですから、この一時的な「人手不足」に備えようと


常時”ゆとり配置”を行うと…


①スタッフが日頃から仕事を分け合いながら行う。



②スタッフ個々の判断能力、危機管理能力、俊敏性、

処理能力全般が育たない、若しくは低下する。



③「一時的な人手不足」の状況に陥った場合に、

「〇〇をしたいのに、人手が足りません!」

「この後はこれ、その後はあれをして…猫の手も借りたい!」


というだけではすまされず、



A.優先順位を瞬時に決めることに慣れていないため


何から手をつけていいのか分からず、


頭の回線が混乱して動作が右往左往する。


ひどい場合は、フリーズしてしまう。



B.効率的な時間短縮方法を学ぶ機会がなかったため


「範囲指定 → Ctrl + C → Ctrl + V」のようなテクニックは使えず、


「1セルごと右クリック → コピー&ペーストを繰り返す」という


非効率な方法を選択せざるをえない。


(『コミュニケーションの省略』『力技』


時間を短縮させようとすることも。)



C.仕事の効率は上がらないけれど気持ちだけは焦るので、


表情が険しくなり、言葉遣いが乱れぶっきらぼうな話し方になる。


人や物の扱い方が乱雑になるので、物は壊れ、人は傷つく。




といった事が起こるのではないかと予想されます。




人手はただ常に増やせば上手くいくわけではなく、


適材 適所 適時 適量が大切なのですね。




③さて、それよりも深刻な「介護業界の人材不足」とは、


「優秀な人材が集まらない、寄り付かない、育たない、」


ということではないでしょうか。



ここでいう「優秀な人材」とは、


社会人としての常識があるのはもちろん、


協調性やコミュニケーション能力がそれなりにあり、


長く組織で働く意思があり


在職年数に相応した責任あるポジションで仕事を全うし、


部下の人材育成や組織の統括業務もきちんとこなす、


いわゆる、一般的なサラリーマン
のことです。




私が介護施設で働いて感じたことは、


職員の構成が他の企業や組織と全く違うということです。


(※性差別や職業に対する偏見があるわけではありません。※)


介護施設には独身の若者(女性が多い)や


家庭があるパートの女性が圧倒的に多く、


働き盛りの年代、特に男性が少ないように思います。



(差別的な意味ではなく)女性はやがて結婚をして職場を去りますし、


子育てや家事をしている方は


仕事に専念出来る環境に身を置いているとは言い難いです。



組織を「成長」という視点から考えると、


『定年退職した古株の方に代わってフレッシュな新人が入ってくる』


という”自然な新陳代謝”がまぁ理想であって、


介護業界のように


盛んに真皮(若者層)の辺りで新陳代謝が繰り返され、


表皮(辞めません、でも頑張りません思考のぶらさがりスタッフ)が


押し出されずにずっとそのまま残っているというパターン



身体(組織)に老廃物が溜まるだけのような気もします。



いくら新人を育てようと教育に力を注いでも


数年後にはスタッフが総入れ替えになっている、


(でも、ぶらさがりスタッフだけはちゃっかり残って人件費を圧迫する)


というサイクルでは、組織のサービスの質が年々向上する


ということは望めないのではないかと思います。



福祉・介護業界はエネルギーが必要な成長や変化をあえてせずに、


生命維持のみを目的としている組織が多いのも現状なのかもしれませんね。



飢える心配も命を狙われる危険もない、安全な檻の中にいるにも関わらず。
☆読者の方からご質問を頂いたので、

私の仕事内容を一部ご紹介します。



無料でお貸ししています。(車いす、杖、介護ベッド、チャイルドシート、

高齢者擬似体験セット、プロジェクター&スクリーン、福祉関係のDVD、

ゲーム、資格関係の本、パソコン、部屋(会議室など)、高齢者向けレクスポーツなどなど。)


●お金も貸しています。たまに、怖い方も来られます。


一人暮らし高齢者の方のお宅を一軒づつ訪問しています。

お話をして、体調についてや困りごとの相談をお聞きします。

生活保護、介護保険、認知症、虐待、警察、成年後見、ご近所トラブル・・・いろいろ絡みます。


●地域の方が使われる福祉用具やパンフレットを取り寄せます。

お荷物預かり所(?!)に利用される方も・・・笑


●震災の影響で非難して来られた方のために

地域の方&大学生と一緒に空き家を改装して、シェアハウスを作っています。


緊急医療情報キット(医師&救急隊員監修)を

民生委員さんと手分けして一軒ずつ設置しています。


情報の中でも特に

①ご家族の連絡先(本人の意思が確認できない状態になれば、なおさら)

②飲んでいる薬の種類(特に血液サラサラ系、脈を抑える系)、病歴

③かかりつけの病院(カルテがあるため)の情報は大切だそうです。

このような感じです。


●一般の方向けに、手話や点字、認知症サポーター養成などの講習会を開いています。

パソコン、カメラ、ブログ、メールの講座も好評でした。

Ustreamを使いこなす高齢者の方には驚きました。


●小学生・中学生、地域の方と一緒に、運動会をしています。

少子化の影響で、子どもや先生、PTAの方だけで開催するのは大変なのです。


●障がいをもたれている方の、通院や買い物などの送迎をしています。

授産施設で作られたパンや工作なども販売しています。


●地域の方と3000人規模の「福祉のおまつり」をします。

地域の皆さま、行政の福祉課、障がい者施設、高齢者施設、小中高学校、

民間企業、商工会、シルバー人材、幼稚園、保育園・・・


皆さまのご協力があってこそ、です。


心配ごとの何でも相談を受けます。

ケースワーカー、弁護士、民生委員、MSW、ケアマネ、

保育園の先生、保健師、学校の先生、薬剤師、福祉用具販売会社・・・


これも皆さまのご協力があってこそ、です。


津波警戒区域なので、地域の方や消防、行政の方たちと

白地図を囲んで防災訓練をします。皆さん、本気です。


●小中高校に行って、福祉の出張授業をさせてもらっています。

ボランティアで学生さんと一緒に、特養やデイ、授産施設、

保育園などに一緒に行かせて頂くこともあります。


65歳以上の一人暮らしの方と一緒に交流会や研修会、勉強会を開いています。

認知症の方にも、「人に会わなかったら余計悪いから、出ておいで」

地域の高齢者の方たちが積極的に声掛けをされます。

同じような年齢、環境におられる方からの声掛けは、やっぱり違います。


●自分で管理するのが不安な高齢者の方などの

通帳や印鑑、書類等をお預かりしています。


●地区ごとに、100ヶ所ほどサロンを開いています。

介護予防体操、太鼓、カラオケ、三味線、お琴、編み物、

男の料理教室、お花見、スポーツ、映画鑑賞・・・楽しそうです。


●高齢者のお宅へ、お弁当を配りに行きます。

直接手渡しして、生活のご様子をさり気なく見させて頂いています。


●就学前の子ども&親御さんたちと遊んだり話を聞いたりします。

今後は、子どもさんの一時預かりも行う予定です。


老人クラブ、身体障害者福祉協会、手をつなぐ育成会

子育てクラブ、学生ボランティア
などの団体さんと一緒に活動しています。



★ちなみに、私が働いている事務所は地域の方に開放しています。

誰でも気軽に立ち寄ってお茶を飲んで話をしたり、

情報交換をしたり、仕事をして頂きたい
からです。


ですから、地域の方たちがパソコン&お弁当持参で来所され

私の隣の机でいつも仕事をされています。


高齢者の方もよく集まってお茶を飲みに来られます。


家庭介護をしておられる方も来られます。

相談&愚痴にはとことん付き合います!!

ここでいろいろと吐き出して帰って頂いています。


高齢者の皆さんは活気がよくおしゃべりに花が咲くので、

先方の電話の声が聞こえないことがしばしばあります(笑)


(もちろん、事務所は個人情報の宝庫ですので

名簿や書類、データの管理等には気を付けています。)


また、地域の方が気軽に寄ってくださるように

職員の挨拶、笑顔、掃除、接客には厳しい指導があります。

「居心地のよい空間」をいかに演出できるかも重要です。




★さて、私が何の組織に所属しているかといいますと…

とある市町村の社会福祉協議会なのです。


よく「何をやってるのか分からない」と言われるのですが、

入社して数か月ですが私も未だに分かりません(笑)



ただ、


①誰からのどんな相談ごと&愚痴や悩みごとであっても、徹底的にお付き合いする。
(他機関に適切に繋ぐか、問題解決するまで)


②地域の高齢者(特に男性)の方には、”仕事”と”役割”を持って地域に出てきていただく。


③民間、行政、介護保険等のサービスに引っかからない諸問題(個人レベル、地域レベル問わず)を

お金をかけず効率的に、

地域の方、他専門職の方の力をお借りして解決する。


観光・産業の衰退、少子化、高齢化、過疎化を何とかしよう!!


といった事を主軸に仕事をしております。



社協と関わる方には、なるべく介護保険を使わずに

いつまでも地域で元気に暮らしていただきたい!!という想いもあります。

(1回だけ、先取り喪失といいますか、

一緒に仕事をしてくださった地域の方に認知症状が出てしまいました。

職員一同、とてもショックを受けました。)


ですから、職員は

「〇〇さんに役を降りられたら、どうにもならないです~泣」

「やっぱり△△作成には、□□さんのお力が必要なんです!お願いします!」

と地域の方に頼り、甘え、巻き込みます。


まぁ、職員数が10人もいないので、

本当に地域の方の力がないと何もできないのですが(笑)



地域の方に、

「ここに来て仕事をするのがいいリハビリだ~」と言われたり、

「役所より気軽に相談できて助かる」と言われた時は嬉しいです。



法律での設置目的が”地域福祉の推進”なので

これをしたら福祉の向上になりそう!と思ったことは、

何でもすればいいと思います。


(理事さんや会長さんもオーナーではないので、

地域ニーズを前面に押し出しつつ、

コストにも気を配り上手にプレゼン
すれば、企画は通りやすいです。)

活動に制約も規制もありません。

土日にも活動できますし、夜に地域の方と会議をすることも自由です。


※ただし、社協は所によって全く活動内容や組織形態が違います。
介護保険事業や児童デイをしている所もあります。
あくまで私の所属組織では、です。


★最後に、現状では「高齢者の絶対数」が増えることは避けられません。

それならば、どうやって「元気な高齢者」の割合を増やすかという事を

各々が考える必要があるのではないかと思います。


介護予防体操も大切ですが、

「在宅生活維持支援員」「在宅復帰支援専門員」とかが

そろそろできてもいいのに、と思う今日この頃です。