新年明けましておめでとうございます。
いつもこちらにお立ち寄り下さりありがとうございます。
スピリチュアルな学びの一部として、主に書籍から投稿させていただいています。
自分勝手な投稿ですが、
きらりと光る小さなかけらが届けば良いなとも思っています。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
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桑原俊郎は岐阜県、今の美濃加茂市の農村に生まれる。
秀才の誉高く、漢文教師だったが、催眠術に没頭し教えていた学校をやめ、明治35年に東京へ出る。
催眠術を応用したのは病気治療で、結核、腎臓病を治療した。
明治39年に結核で死んでいる。
大著7精神霊動」を残した桑原天然の影響は大きく、死後、弟子が全国に散った。
明治11年、紀州長島町生まれ。
本名は熊蔵。
13歳の時、突如現れた老僧に導かれ、那智山で修行を始める。
山を降りたのは17歳、仏教を学ぶが、気合術で騒がれるたび、警察に700回以上呼び出される。
彼はこの気合い術を「人身自由術」と名づける。
特に抜歯術は見事であった。
患者から大金をせしめることはなく、有罪にはならなかった。
昭和18年、死去。
飯野吉三郎(いいのきちさぶろう)
予言を武器に政界、皇室に深く食い込んだ怪人。
予言者デビューは、詐欺罪での獄中。
同房の囚人たちの経歴を当てる。
又、
オーストリアのエリザベート皇妃のレマン湖での暗殺。
出獄後は飛騨の恵那山で修行を積んだとされる。
伊藤博文の行く末の予言、
日露戦争の日本の勝利の予言など。
昭和19年、78歳で死亡。
国安仙人(くにやすせんにん)
幕末1860年、江戸深川の武士の家に生まれる。
幼名は米太郎。
3年後に母親が死去、1868年箱館戦争で父親は戦死。
1870年に二人の子を伴った老人が訪れ、仙界に招き修行をさせると言う。
二人の子は兄弟子。
修行は12年に及び、病気を治したり、様々な神通力を披露した。
日露戦争の日本の勝利を予言し、明治天皇の相談役になっていたと言う話もある。
様々な伝説を残し、1912年大正元年死去。
友清歓真(ともきよ よしさね)
明治11年、山口県山口市生まれ。
大正7年に大本教に入信し、浅野和三郎と知り合い、盛んに大本教の宣伝活動を行うが、翌年大本教と袂を分かってしまう。
その後、古神道家の本田親徳(ちかあつ)による本田霊学を極めるべく、霊的探究の道へ。
様々な天啓を受け、世界大戦を予期。
三島由紀夫にも影響を与えたとされる。
昭和27年にこの世を去る。
九鬼盛隆(くきもりたか)
明治3年7月5日、和歌山県生まれ。
幼少の頃から漢学、易学を学ぶ。
霊媒師の本田亀次と知り合い、共に霊媒に力を注ぎ、神々や様々な霊との交流を矢継ぎ早に行うようになる。
関東大震災、太平洋戦争開戦などの予言をしたと言われている。
高島嘉右衛門(たかしまかえもん)
1832年天保3年、江戸の生まれ。
占い「高島暦」は彼が易経を元にした占い術。
明治の大実業家。
日本で初めてのガス会社を起こした。
44歳で事業から手を引き、隠居して易の研究に半生を捧げ、
「神意を通ずるの辞書なかるべからず易経すなわち是なり」
と言う。
彼にとって易は、神との通路、神の意思を知る辞書であった。
伊藤博文が満州に出向く前に、
満州行きを諦めて欲しいと頼むが、聞き入れずに、
伊藤博文は満州での暗殺に遭う。
森竹鉄子。
明治11年生まれ、小樽在住、ということしか分かっていない。
福来博士は、長尾夫人にも、千鶴子嬢にも優る透視能力と言った。
実験記録は「心霊と神秘世界」(復刻版は1993年福来出版より出ていた)に唯一残されている。
しかし、実験がはじまりわずか七ヶ月で彼女の能力は失せてしまった。
高橋貞子。
トランス状態で念写。
明治19年、岡山県和気町生まれ。
感情の起伏が激しく、一人で物思いに耽るのが好きな孤独な少女だった。
当時、マスコミを騒がせていた熊本の御船千鶴子、丸亀の長尾郁子が詐欺師などと非難されていたので、夫は敢えて世間の目に晒すことはしなかった。
しかし、福来博士の人格を信頼し、透視実験を重ねるようになる。
彼女の念写方法は、
自分が信頼する日蓮宗のお題目を一身に唱えた後、突然トランス状態に入り念写すると告げるものだった。
貞子の登場をピークに千里眼ブームは冷め、夫婦は岡山に引っ越し、夫は本にしたが、貞子のその後は不明である。