私事のため、

しばらくの間、

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霊的学びは今後も続けて参りますので、

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伝説。

彼の誕生日は当初、天界の会議で北海道に生まれる予定だったが、

本人は東京に近く釈迦が生まれたインドのカピラに似ている佐久平を選んだと言う。


霊能の中心は霊交信。


10歳の時、突然心臓が停止するが、見知らぬ旅の僧侶に「病気は治る。お前は二重孔(未来透視)であり、霊能力を待つことになる」

と言われる。


自らの死を48才と予告していた彼は、その予言通り48年の生涯を終えている。


明治17年生まれ、岐阜武並村に生まれ大蔵省で働いていた田中の集団は、彼によると、太霊道の太霊とは宇宙の根本原理で、その活動と作用を霊子とよんだ。


その普及に新聞紙一面に広告をうち、

霊子術(ターニングテーブルなど)は9日間の修行コースで誰でも身につくとあり、人気が出た。


カリスマ性があったとされるが霊術家の間では山師扱いされることが多かった。



山口の農村に一人の農婦、北村さよ は

突然神がかって以降、激烈な戦争批判、役人批判、天皇批判を繰り返した。


神がかりしている時は、声が変質していた。

中年の農婦の平凡な声から、10代の少女のような透き通った声になったという。


俗に踊る宗教と呼ばれたのちの天照皇大神宮教(てんしょうこうだいじんぐうきょう)の教祖。


喜捨は受け取らず、説法の移動は三等車で食事は持参した粗末な弁当。



藤田小女姫(ふじた ことどひめ⇒こととめ)、本名藤田東亜子。

昭和13年、博多生まれ。

 

9歳の夏、憑依現象が起こり、その夜枕元にハワイの狐が現れたという。

 

霊感を備えた占い師として、13歳の時に「奇跡の少女」としてマスコミデビュー。

 

現天皇の結婚、朴正煕韓国大統領の暗殺などを予言したとされる。

松下幸之助など財政界の大物との親交も多かった。

 

56歳の時に非業の死を遂げた。

 

 

 

明治4年、京都府亀岡市生まれ。

本名は上田善三郎。


少年時代は聡明で、直感力、理解力に優れていた。

成人後は、霊的修行に励む。

未来予知の評判が広がる。

自動書記をする なお の末娘、澄と結婚後、出口王仁三郎と改名し、大本教(おおもと きょう)を拡大させていく。


宗教弾圧で投獄されていた彼は仮釈放の日、日本の敗戦を的中、広島は酷い目にあうなど予知をした。


明治19年、熊本県生まれ。

父親は漢方医の士族の血を引く家系。

生まれつき進行性の難聴がある。


22才で結婚するが、程なく離婚し実家に戻る。


理由は、霊能力と言われる。


実家に戻ってからは、催眠術を操る義兄が千鶴子をサポート。

人体透視、千里眼をする。

茶壷に入れた名刺の名前を言い当てるなど。


「これは、その人間のカルマが原因で起きた事なので、その人は苦しみを受けるべきだ」などと思ったり言ったりしてはいけません。

実際、人が悪条件に置かれているのは、その人のカルマが原因かも知れませんが、そんなことを言ってもその人の助けにはなりません。