三田光一、

明治18年、宮城県気仙沼生まれ。


幼少期から不思議な言動が多く、天狗小僧と呼ばれていた。


20歳を過ぎ上京し、精神修行の団体「洗心会」を設立。


東京帝国大学で心理学の研究をしていた福来友吉も高く評価していたが、学術的な研究に関心がなく、マスコミからもてはやされるのを好んだ。


昭和6年、「月の裏側を念写」という実験を行う。

40から離れた福来の家の手札形乾板にそれを感光させた。

しかし、それが実際の月なのか議論が続いている。


昭和18年亡くなる。


星2024年現在、月の裏側とされる写真がネットで見られますが、

三田の念写と似ているような、どうかな。

皆さんどう思いますか?笑



世界初の念写成功者と言われている。


明治4年山口県に、厳格な家庭に生まれ、17歳で司法官試補の長尾与吉に嫁ぎ、丸亀区裁判所に転任。


御船千鶴子以上の透視能力を確信した東京帝国大学の福来友吉博士は丸亀に赴き、

透視実験を行いいくつかを成功させた。


一方、詐欺師と疑われる重圧の中、明治44年初頭、急性肺炎で亡くなる。


彼の半生はよくわかっていない。

1875年明治8年に富山県生まれの宇田天皇から32代目の子と自称しているが、

当時の警察の調べでは天皇家とまるで関係ない木引き職人の私生児とある。


生まれてままなく旧家の竹内家の養子になり、財宝を持ち出し上京。

御嶽教に入信し、信仰宗教のノウハウを身に付け、天津教を創設。



「竹内文書」では、神と宇宙創生を語る。

エピソードに空中に文字を書くというものがあるが…

1965年に他界。


学びの旅の途中です。


街を歩いていたら見かけた。



餃子カレー🍛


最高のレストラン!


最高の味!!


食べれなくもない爆笑


私事のため、

しばらくの間、

こちらのブログの更新をお休みさせて頂きます。


いつも訪問下さり、

いいねも有難うございます。



霊的学びは今後も続けて参りますので、

どうぞ宜しくお願い致しますピンクハート


伝説。

彼の誕生日は当初、天界の会議で北海道に生まれる予定だったが、

本人は東京に近く釈迦が生まれたインドのカピラに似ている佐久平を選んだと言う。


霊能の中心は霊交信。


10歳の時、突然心臓が停止するが、見知らぬ旅の僧侶に「病気は治る。お前は二重孔(未来透視)であり、霊能力を待つことになる」

と言われる。


自らの死を48才と予告していた彼は、その予言通り48年の生涯を終えている。


明治17年生まれ、岐阜武並村に生まれ大蔵省で働いていた田中の集団は、彼によると、太霊道の太霊とは宇宙の根本原理で、その活動と作用を霊子とよんだ。


その普及に新聞紙一面に広告をうち、

霊子術(ターニングテーブルなど)は9日間の修行コースで誰でも身につくとあり、人気が出た。


カリスマ性があったとされるが霊術家の間では山師扱いされることが多かった。



山口の農村に一人の農婦、北村さよ は

突然神がかって以降、激烈な戦争批判、役人批判、天皇批判を繰り返した。


神がかりしている時は、声が変質していた。

中年の農婦の平凡な声から、10代の少女のような透き通った声になったという。


俗に踊る宗教と呼ばれたのちの天照皇大神宮教(てんしょうこうだいじんぐうきょう)の教祖。


喜捨は受け取らず、説法の移動は三等車で食事は持参した粗末な弁当。



藤田小女姫(ふじた ことどひめ⇒こととめ)、本名藤田東亜子。

昭和13年、博多生まれ。

 

9歳の夏、憑依現象が起こり、その夜枕元にハワイの狐が現れたという。

 

霊感を備えた占い師として、13歳の時に「奇跡の少女」としてマスコミデビュー。

 

現天皇の結婚、朴正煕韓国大統領の暗殺などを予言したとされる。

松下幸之助など財政界の大物との親交も多かった。

 

56歳の時に非業の死を遂げた。