人生をどう生きるかー霊のことを第一に考えるか、それとも物質を優先させるか、それは本人の自由意志の選択に任されております。
そこに人間的問題の核心があるのですが、援助を求めてやってきた人にあなたは、その選択に余計な口出しをせずに、必要な援助を与えなければいけません。
援助が功を奏さなければそれ以上構う必要はありません。(それであなたの責任は終わったということですと、別のところで述べているー訳者)
縁あって、あなたの元と訪れたということは、その人にとって自我を見いだす絶好機が巡ってきたということです。
成功すればあなたは他人のために自分を役立てる機会が与えられたことに感謝することです。
もし失敗したら、その人のことを気の毒に思って上げることです。

質問者がシルバーバーチに何の悩みもないのでしょうかと尋ねると、

シルバーバーチは答えました。


「あります。が、それも全て今携わっている使命に関わったことだけです。

だからこそ時折地上さて、私を地上へ派遣した霊団の人たちの元へ帰り、今度こうしなさいとの指示を仰ぐのです。

私たちも数々の問題を抱えていますが、それはすべて神の計画の達成と言う目的に付随して起きることです。」

シルバーバーチの霊訓の中で時折、シルバーバーチが霊団の元へ帰ると話をしますが、

その霊団や霊団の活動を思うとじんわり温かなものを感じて、安心感の中にどっぷりいる感覚になります。

私だけでしょうか?


自我の開発、これが人間として最も大切な目的です。
これがこうして私たちが霊界から地上へ戻ってくる目的でもあるのです。
すなわち、人間に自己開発の方法、言い換えれば、霊的革新の方法を教えすることです。
内在する神の恩寵を味わい、平和と調和と協調と友愛の中で生きるにはそれしかないからです。
今の地上にはそれと逆の"内紛"が多すぎます。

指導霊ないしは支配霊としての資格を得るに立った霊は自分自身が崇拝の対象とされる事は間違いであると認識があるのです。
崇拝の念は愛と叡智と真理と知識と啓示と理解力の完全な権化である所の宇宙の大霊、すなわち神へ向けられるべきなのです。
神とその子等との間のいっそうの調和を目的とした感謝の祈りを、いつ、どこで、どう捧げるべきかについて間違いのないようにしないといけません。

自分の生き方は、自分の責任であり、他の誰の責任でもありません。
他人の人生は、たとえ肉親といえども、代わりに生きてあげるわけにはいかないのです。
その人がした事は、その人の責任であってあなたの責任ではありません。
もしそうでなかったら、神の判断基準は、地上の人権の構成な観念よりお粗末であることになります。
自分が努力した分だけを、霊的な報酬として受け、努力を怠った分だけを霊的な代償として支払わされます。
それが摂理であり、その作用は完璧です。

治療を受けていることを知らないでも、顕著な治療効果が現れたケースがある事は私もよく知っておりますが、大抵の場合、それは患者の睡眠中に行われているのです。
その方が、患者の霊的、身体との接触が要因なのです。
(昼間に送られた治癒エネルギーが睡眠中に効き始めると言うケースもある訳者)

所詮は短い人生です。
その短い人生において、たった1人の人間でもいいから、重荷を軽くしてあげることに成功したら、たった1人の人間の涙を拭ってあげることができたら、たった1人の人間の悩みを取り除いてあげることができたら、それだけでもあなたの生涯は無駄でなかったことになります。
ところが悲しいことに、地上生活の終わりを迎えたときに、何一つ他人のためになることをしていない人が実に多いのです。

世間で言う成功者になるかならないかはどうでも良いことです。
その世的な成功によって手に入れたものは、そのうちあっさりと価値を失ってしまいます。
大切なのは、自分の霊性の最高のものに対して誠実であることを、自分でこれこそ真実であると信じるものに目をつぶることなく、本当の自分自身に忠実であること、良心の命令に素直に従うことです。
それさえできれば世間がどうみようと自分は自分たちの最善を尽くしたのだ、と言う信念が湧いてきます。
そしていよいよ地上生活に別れを告げる時が来た時、死後に待ち受ける生活への備えが10分にできていると言う自信を持って、平然として死を迎えることができます。
これが私からのアドバイスです。

一つ一つの経験から教訓を学ぶことです。

難しいと思った時はひるまず自分にムチ打つのです。

そうすればそれだけ前より強い人間となります。

自分が霊であること、それが肉体を通して表現しているのだということ。

そして自分と言う永遠の霊に傷を負わせたり、害を及ぼしたりするものは、決して生じないと言うことを忘れないことです。


続きます