ずっと前は瞑想なんかした事がなくて、
今も得意な訳でもなくて、
でも嫌いではない。
瞑想は続けてやった方が良いというのを聞いて、
試しに続けてやってみた事があって、
その時は、
ミディアムシップも安定していた気がする。
ところが、
毎日の瞑想が
単なるルーティンになり、
いつからか
霊界と波長を合わせていないことに気づいた。
なので、
ちょっと待って様子を見てみた。
単なるルーティンでも良いのか?
良くないのか?
立ち止まらないと分からないと思った。
良い瞑想、
よろしくない瞑想、
と言うのがあるかも。
やっぱり、
幸せな瞑想はあるみたい。
取り敢えず、
瞑想を続けてみようと思うならば、
そのモチベーションを必要とするなら、
目標を持つ事。
簡単に挫けないくらいの目標。
それで、
ワタシは続ける事ができる人間だと分かったら、
もうあとは大丈夫。
そこは単なるルーティンでもオッケー。
今は、
又毎日の瞑想に戻さなくては、
と思いつつ。
笑
時間は永遠の現在です。
過去でもなく未来でもありません。
それがあなたの過去となり、未来となるのはその時間との関わりに寄ります。
とても説明しにくいのですが、例えば時間と言うものを回転し続ける一個の円だと思ってください。
今その円の1点に触れれば、そこから現在となります。
すでに触れたところをあなた方は過去と呼び、まだ触れていないところを未来と呼んでいるまでのことです。
時間そのものには過去も未来もないのです。
人生をどう生きるかー霊のことを第一に考えるか、それとも物質を優先させるか、それは本人の自由意志の選択に任されております。
そこに人間的問題の核心があるのですが、援助を求めてやってきた人にあなたは、その選択に余計な口出しをせずに、必要な援助を与えなければいけません。
援助が功を奏さなければそれ以上構う必要はありません。(それであなたの責任は終わったということですと、別のところで述べているー訳者)
縁あって、あなたの元と訪れたということは、その人にとって自我を見いだす絶好機が巡ってきたということです。
成功すればあなたは他人のために自分を役立てる機会が与えられたことに感謝することです。
もし失敗したら、その人のことを気の毒に思って上げることです。
質問者がシルバーバーチに何の悩みもないのでしょうかと尋ねると、
シルバーバーチは答えました。
「あります。が、それも全て今携わっている使命に関わったことだけです。
だからこそ時折地上さて、私を地上へ派遣した霊団の人たちの元へ帰り、今度こうしなさいとの指示を仰ぐのです。
私たちも数々の問題を抱えていますが、それはすべて神の計画の達成と言う目的に付随して起きることです。」
シルバーバーチの霊訓の中で時折、シルバーバーチが霊団の元へ帰ると話をしますが、
その霊団や霊団の活動を思うとじんわり温かなものを感じて、安心感の中にどっぷりいる感覚になります。
私だけでしょうか?
自我の開発、これが人間として最も大切な目的です。
これがこうして私たちが霊界から地上へ戻ってくる目的でもあるのです。
すなわち、人間に自己開発の方法、言い換えれば、霊的革新の方法を教えすることです。
内在する神の恩寵を味わい、平和と調和と協調と友愛の中で生きるにはそれしかないからです。
今の地上にはそれと逆の"内紛"が多すぎます。
指導霊ないしは支配霊としての資格を得るに立った霊は自分自身が崇拝の対象とされる事は間違いであると認識があるのです。
崇拝の念は愛と叡智と真理と知識と啓示と理解力の完全な権化である所の宇宙の大霊、すなわち神へ向けられるべきなのです。
神とその子等との間のいっそうの調和を目的とした感謝の祈りを、いつ、どこで、どう捧げるべきかについて間違いのないようにしないといけません。
自分の生き方は、自分の責任であり、他の誰の責任でもありません。
他人の人生は、たとえ肉親といえども、代わりに生きてあげるわけにはいかないのです。
その人がした事は、その人の責任であってあなたの責任ではありません。
もしそうでなかったら、神の判断基準は、地上の人権の構成な観念よりお粗末であることになります。
自分が努力した分だけを、霊的な報酬として受け、努力を怠った分だけを霊的な代償として支払わされます。
それが摂理であり、その作用は完璧です。
人間は問題をことごとく、地上的な視点から眺めます。
私たちは同じ問題を霊的な視点から眺めます。
しかも両者は大にして食い違うものなのです。
例えば"他界する"と言う事は地上では悲しいことですが、霊の世界では"めでたいこと"なのです。


