もしも人生が初めから終わりまでラクに行ったら、もしも乗り切るべき困難もなく、耐え忍ぶべき試練もなく、克服すべき障害もないとしたら、そこには何の進歩も得られないことになります。
レースは競い合うからこそ価値があるのです。
賞は楽にはもらえず、一生懸命頑張った後にいただくから価値があるのです。
そういう価値ある人間になるように努力なさい。
この世に克服できない悩みはありません。
ですから悩んではいけないのです。
征服できない困難は無いのです。
力の及ばないほど大きな出来事は何一つ起きないのです。
少年ルースの質問
「わけのわからない夢はどう理解したら良いのですか」
シルバーバーチ
「へんてこな夢のことですか。
あれは異次元体験を脳で思い出そうとするからそうなるのです。
脳は小さな袋のようなものです。
霊体が肉体に戻ってきて、その間の体験を脳に詰め込もうとするのですが、小さな袋には全部が入りきらないのです。
それを無理して押し込もうとするために、あのようなへんてこな形になるのです。
ゆめと言うのは別世界ての体験がそのまま現れるのではなく、その断片的な思い出に過ぎません。
さて、こうした事実から学ばねばならない教訓があります。
それは物質面での発達を全面的ではなくてもいいから、霊的並びに精神的側面にもある程度反映するようにならない限り、人類は自らの存在の産物、自らの創造の成果を平和的生活の中で味わえるようにはならないと言うことです。
そうならない限り、地上には混沌と無秩序と不協和音が絶えないと言うことです。
良いことをしようと言う意欲を起こさせ、協調と奉仕の仕事へ行するのは精神と霊の発達なのです。
物質面では、非常に高度なものを成就しました。
驚異的な発達ぶりであったと言えましょう。
しかし、発達が精神面と霊的な面に見られないのです。
人類は物質と精神と魂のうちの物質面だけが異常に成長してしまいました。
他の2つの側面がそれについて行っていないのです。
それから、利己主義と言う地上で、最も厄介な罪を生むことになったのです。
明日に続きます。
いつも忘れずにいて欲しいのは、無限の存在である大霊のすべてを、限りある言語で説明することは不可能だと言う事です。
大きいものを小さい物の中に入れることはできません。
これは当たり前のことです。
人類の全てがーー地球と言う1個の天体上だけではありません。
数え切れないほどの、天体上の人間的存在全てがそうなのですがーー、私言う大霊、皆さんの言う神の一部を構成しているのです。
大霊とは全宇宙の霊の総合体だからです。
出雲大社から約一キロ離れた稲佐の浜。
天気が良かったので大社から歩いて行ってきました。
この浜は神在月、全国の神様の集合場所らしい。
出雲は神様が新羅(韓国)の土地を引き寄せて大きくしたらしいけど、
ここには韓国の神様は集合しないのかな?
変な話だな。
土地はもらうけど、
神様は呼ばないの?
韓国の神様が怒って来ないのか?
「日本の陣地」最優先、排他的な?
日本神話の神様は往々に心が狭過ぎて気持ち悪い。
でも他の人はその事が気にならないのはなぜだ?
神様なら何でも有難い人種なの?
ここは心が広いと言うものなの?



