指導霊ないしは支配霊としての資格を得るに立った霊は自分自身が崇拝の対象とされる事は間違いであると認識があるのです。
崇拝の念は愛と叡智と真理と知識と啓示と理解力の完全な権化である所の宇宙の大霊、すなわち神へ向けられるべきなのです。
神とその子等との間のいっそうの調和を目的とした感謝の祈りを、いつ、どこで、どう捧げるべきかについて間違いのないようにしないといけません。