こんにちは。

今回は、地震や豪雨といった大きな災害が以前より多発するご時世で、我々がすべき備えと適切な心持ちを紹介します。今後どんな大きな災害が起ころうとも、恐怖心に支配されず、冷静さを失うことなく、適切な行動を取るための手掛かりにしてください。今後の不安解消新たな知見の獲得の機会になり、後悔の無い選択をする後押しになると思いますので、当記事や参照記事を最後までご覧いただければ幸いです。また、良かったらどんどん記事を拡散してください。

 

太陽暦八月八日の夕方、宮崎県沖での大きな地震があったのは記憶に新しいです。震源地が南海トラフ地震の震源地と言われる範囲内であり、南海トラフへの警戒が以前に増して強まりました。

また、地震だけでなく、特に近年では豪雨や台風や猛暑による被害が多発しています。「十年に一度の~」等の言葉をよく聞きますが、もう毎年のように必ず聞いていますね…。直近では、非常に強い勢力で九州南部に上陸して日本列島を縦断する今年の台風十号により、鹿児島県を中心に特別警報が発表され、暴風かつ総雨量六百ミリという豪雨を記録しました。台風から離れた各地域でも豪雨被害が相次ぎました。

 

以前から、南海トラフや首都直下地震、富士山の噴火と、とりわけ関東での危険度が高いです。災害に限らず、もし日本で戦争が起こったら(戦争が起こされないように、憲法改悪の発議自体させてはならない)、人口が最も集中する関東が狙われることは想像に難くありません。百年前の関東大震災では、死者と行方不明者が推定十万人超であり、現代では建築物の耐震や防火の技術が高まってはいるため単純比較はできませんが、それでも当時より遥かに東京近辺への人口が集中してる現在、有事の際の被害は一体どれ程でしょうか。百年前と比較して、南関東の人口が日本全国に占める割合は二倍以上になっています。

※千九百二十年は国勢調査、二千二十四年は推計人口から抜粋

 

色んな意味で安全な地域への移動を真剣に考える人は一定数居ると思います。勿論、田舎だから絶対に安全とは限らず、各地に原発がありますし、交通網が脆弱過ぎる場合もあり、災害予測図を参照しながら慎重な検討が必要です。それでも、聖書には「山に逃げよ」という主イエスによる勧告があり、田舎、特に山が比較的安全と言えるでしょう。

 

ところで、貴方は次のように考えてはいませんか。

「早速、具体的に移動先を決めて行動に移したい。」

「移動をいつしようか。緊急事態が起こってからでは遅いだろうか。」

「住むところだけ取りあえず安全なら良いかな。」

 

このように考えてる人、あるいは既に移動した人も、元から田舎に在住してた人も、敢えて大都市に残ろうと考えてる人も、是非一度は読んで欲しい記事を紹介します。「田舎への移動と憲法改悪」(真の聖書福音と預言)という記事(以下、「紹介記事」と表記)です。これは六年半以上前に書かれた記事ですが、毎年変動する不確実な事柄(例:人気移住先の順位)は載っておらず、情報が古いわけでは決してありません。むしろ、すべての人が今後の生活の選択について改めて考えさせられる内容です。

 

紹介記事の内容を大まかにまとめると、次のとおりです。

一、都会に住み続けるのが危険である根拠

二、田舎に移動する場合の適切な動機や決め方

三、聖書に基づく健全な精神の形成には田舎の方が適する

四、移動するなら今の内(憲法改悪によって移動したくても出来なくなる)

 

単に田舎暮らしを推奨するサイトでは得られない知見です。聖書の内容が欠かせませんが、「自分はキリスト教徒じゃないから関係無いわ」で片付けては非常に勿体無い程の、深く考えさせられる内容です。

紹介記事の最初には、「田舎」の定義が載っています。田舎と聞いて想像する光景は、現在住んでる場所、あるいは生まれ育った環境によると思いますが、紹介記事での定義では、山間の辺鄙な地に限られません。それなら都会で生まれ育った人でも、「田舎」への移住はそこまで困難ではないかもしれません。個人的に、かつては都会に憧れ、大都市で仕事して生活したい願望がありましたが、今ではもうありません。人口が多い大都市でしかできない仕事や出会いは確かにありますが、生きていくために特定の仕事に拘る必要はどこにあるでしょうか。神からの評価において職種は問われません。律法の規定で仕事は~をしなければならないという指示は無いからです。週の第七日目に安息日を守ること、利子を取らないことの他、律法の規定に反しない範囲なら問題ありません。まして、世間からの評価なんぞ気にしても仕方ありませんし、世間的に持て囃される職種が自分自身に適してるとは限りません。それ故、社会的地位や金銭や快楽といった欲望に囚われて、自分の身の安全を蔑ろにしてまで特定の仕事に拘るのはどうかと思うようになりました。また、記事内に、実際に大災害が起きた時の光景を想定した画像が挿入されてるお陰で、都会の脆弱さを容易に想像できたからでもあります。緊急事態に限らず、例えば東京二十三区近辺で、豪雪地帯なら何てことない積雪量(数センチ程度)でさえ交通機関や物流に大きな影響を及ぼし、報道になるのだから、災害時の混乱は田舎以上に計り知れません。関東大震災や過剰な人口集中について先程申し上げたとおりです。世間では自己保身ばかり考える人が多いせいで、物資の買占めも頻繁に起こります。物流が停止すれば、物資の供給どころではないだろうに。

 

田舎に移動する場合の適切な動機や決め方は非常に重要です。しかし、軽視されがちでもあります。単に大都市を離れれば良い、自分さえ良ければ良いという考えが通用するわけではないことも学べます。大都市や都会ではなくとも被災の危険度が高い地域から生活拠点を移したいと考える人の多くは、「現在よりは安全な地域に移動して身を守りたい」「少しでも食料を作って、食料不足に備えたい」のように考えてるのではないでしょうか。考えるだけでなく、しっかり調べて実際に行動に移すのは重要だと思います。必要に迫られたとかでもなく、やむを得ない事情があったわけでもなく、ただ自分の欲に囚われてしまっては必ず後悔します。自己保身とか損得勘定ばかりに囚われる場合も同様です。聖書を学んでいる、あるいはこれから真剣に学ぼうとする人なら尚更です。貴方が聖書には関心を持つかどうかは自由ですが、あらゆる物事を決める上での参考になると思います。計画的に考え、その移住先で自分は何をすべきなのか適切に考える人でない限り、行動に移しても成功した人を滅多に見たことがありません。

移動の自由等が保障されてる以上、他人に居住地も干渉されるべきではありませんが、どこに住むか必要以上に拘泥すべきではないと分かります。絶対こうだと拘ると、視野が狭くなり、せっかくの機会も逃してしまうのがオチですね。

 

今回、「田舎への移動と憲法改悪」の記事を紹介した大きな理由の一つに、大まかな内容として三つ目に書いた「聖書に基づく健全な精神の形成には田舎の方が適する」ことに自分自身も非常に共感できたからです。大都市では娯楽の数も種類も多く、店舗や商品の種類がとても豊富です。一般的に楽しみとされてる物事は夢中になり易く、種類が多くなるほど選択に迷うものです。それらが誘惑となって、神のことを考えたり自己検証および自己研鑽したりする時間は取りにくくなるでしょう。

身の安全を守る目的や、単に田舎暮らしって良いなという理由で移住する人は一部見られますが、霊的成長を目的としてる人はかなり少ないのではないでしょうか。霊的成長というのは、怪しいスピ的な意味ではなく、簡単に言えば主イエス・キリストを模範とすることによる精神的な成長です。また、かなり前から問題視されてる「東京一極集中」問題に関心を寄せてる方々に、根本原因は何かを示す機会にもなると考えました。

霊的成長やキリストに近い品性の形成は田舎の方がし易い事実と理由の詳細は、紹介記事を参照していただくとして、当ブログでは大都市、特に東京二十三区やその周辺に人やものが集中する根源を考えてみました。人々が大都市に吸い取られ、大都市が便利になる一方、比例して緊急時の危険性が増大する…。人々が大都市に吸い取られる原因となる要素があります。(※大都市に住むこと自体を完全否定する意図ではありません)

ご覧になってる方が移動を考えてる場合は少しでも後押しになると思いますし、現在既に田舎に在住してる人も余計な欲に支配されないようになると思います。

 

東京近辺への一極集中具合については、記事の前半で少しお伝えしました。こちら(イエプラコラム)では、東京に住む長所と短所がまとめられています。項目が多いので抜粋しました。

  • 仕事や大学の選択肢が多く、給与が高い
  • 人との出会いが多い、講習会が多い
  • 新しいお店や商品や役務が集まる
  • テレビで紹介されたお店にすぐ行ける
  • お店の営業時間が長い
  • 「インスタ映え」の場所や物がたくさんある
  • 催しが多い、観光地や娯楽施設が多く遊ぶ場所が豊富

 

身の安全を蔑ろにしてまで、これらの要素は本当に必要でしょうか。自分の天職は大都市でしか不可能とかなら別ですが、大抵は「華やかな都会への憧れ」「有名企業に入って社会的な地位を得たい」のような欲望が動機でしょう。テレビで紹介された商品、新しい商品や役務が良いものとは限らず、特に外資や売国企業に金を落としたところで日本人の富が吸い取られるだけです。あえて夜遅くに買い物に行く意味は無く、長時間労働の原因になってるなら長時間営業には賛同できかねます。「インスタ映え~」と言って自分の承認欲求を満たしたところで何も残らないどころか、悪魔と同様に承認欲求が強い(ルカによる福音書四章六節参照)証拠となります。悪魔は創造主なる神じゃないくせに、神のつもりになって崇拝されたくてたまらない極めて高慢な存在です(イザヤ書十四章十三節参照)(支配層も同様)。また、遊びまくってやるべきことが疎かになっては問題です。

共通して言えるのは、世のものを愛し、己の欲を満たすことばかり考えてる人が多いことです。

特に都会にある要素(現代では地方都市にも点在するが)は一見楽しいようですが、自分自身と向き合い、本来の幸福を忘れさせています。仮にこれらが真の幸いならば、年間多数の自殺者が出たり、精神異常になったりしないはずです。実際そうではないのが、現代の殺伐とした社会から火を見るよりも明らかとなっています。魂から安らぎを与えるのは、神の律法、掟、戒めを喜んで守ることです。人間を誰よりも愛し、誰よりも理解し、義を曲げず、全知全能である御方が制定した、完全な秩序正しい法だからです。

 

現代の西洋化した生活は、本来の人間らしい生活ではありません。日本が西洋化し、無意識に西洋かぶれしてる人がほとんどです。「西洋かぶれ」の意味を改めて確認すると、自身の所属する文化より西洋文化を良しとして、振る舞いや服装などを西洋文化のそれに似せること、あるいはそのように振る舞う人物を指しますこれって、大なり小なりほぼすべての国民に当てはまるんだと気付いてください。欧米の先進諸国を持ち上げて日本を下げたり、やたら英語を使ったりする痛い人に限りません。だから、白人の偽ユダヤ人やイエズス会等の支配層が、世界中で悪事を堂々と働けると言えます。衣食住も価値観の面でも、支配層が敷いた軌道にまんまと乗せられてるから。東京一極集中の是正を唱える人も居ますが、明治以降に社会が西洋化し、そもそも人々が西洋かぶれをやめなければ不可能でしょう。特に、支配層から最も憎まれてる日本の場合、特定の地域に人口が集中してれば彼らが狙いやすいので、政府や企業が一極集中を是正する気も無いに違いありません…。しかし、貴方も西洋かぶれをやめないなら、悪魔崇拝者の支配層の手下(家畜)に等しいです。主イエスが命じられた「異邦人の道へ行ってはならない」の御言葉(マタイによる福音書十章五節より)に従うのか、妥協して悪人に倣うのかの二者択一です。

 

日本で西洋かぶれが進んで大多数が著しく堕落した理由は、江戸時代以前から日本人が主なる神を忘れ去り、自分達の出自を忘れて近現代の西洋文化、価値観、制度等の虜となり、今なおずっと不信仰のままだからです。無神論、唯物論、偶像崇拝(八百万の神信仰といった物質崇拝も含む)に心奪われており、諸悪の根源は創造主なる神への不信仰です。聖書を理解せず、そのせいで善悪の基準を持たず、大多数の人間より狡猾で頭の良い悪魔(+悪魔から知恵を受けた悪人ども)に騙され、地獄行きの道連れの仲間にされます。西洋かぶれ、そして不信仰が諸悪の根源になってることにピンと来ない方は、以下の連載をご覧ください。この件で、適切に論じてる記事は他には皆無です。貴方が抱く疑問なら全部解決してもらえるはずです。

 

 

神の律法やそれに基づく主イエスの御言葉に従うなら、悪人に騙されないようになります。「神に従う正しい人の根は揺らされない」(箴言十二章三節参照)と言われており、かつ、主イエスの御言葉に従う者は頑丈な岩を基礎に家を建てた賢い男(マタイによる福音書七章二十四節参照)、すなわちどんな状況にあろうとも最期まで信仰を守り続ける(信仰が崩れない)と断言されています。神(主イエス)の律法、掟、戒めの内容は知れば知る程、「人として当然だな」と思わせる内容しかなく、それを捨てて生きるなんて考えられなくなります。

日本では、特に東京への集中と英米に蹂躙されてからの日本人の西洋かぶれの進行具合が比例しており、大都市を脱出し、その流れに逆らうのは一つの方法としてありだと思います。ただし、当然ながら、田舎でも西洋かぶれ等の行いを改めなければ無意味です。

 

田舎への移動に関する紹介記事の話に戻ります。田舎への移動を真剣に考えるなら、迅速な検討と行動が重要であり、かつその動機が重要だと学べます。憲法改悪の危険性も絡んでおり、無視できない話です。

まず、移動するのが相応しいと判断できても、その時機を逃さないようにする必要性が分かります。いつまでも自由な機会があるわけではないからです。いつ災害が起こる(起こされる)かは知り得ません。大災害が起きれば(起こされれば)平素の時みたいに冷静に考えられなくなります。移動手段もこれまで通り利用出来るとは限りません。そんな当たり前だけどつい忘れがちなことを、しっかり思い出させてもらえます。

そして、自民党をはじめとする各政党が提唱する改憲案はいずれも不必要で断固拒否すべきものです。「改憲問題」の内容を理解するだけで、素人であれ他の記事を読まずとも改憲案が許されるものではないと分かる内容です。よくある誤解、例えば、緊急事態条項なんか無くたって災害に対処するための十分な法整備が既にあること、現憲法でも自衛権はあって自衛隊は違憲ではないこと等、多くの人が見落としてる知識も数多く載っています。憲法をそのままなぞった説明なので、管理人のミカエル氏による主観や持論ではありません。全日本人必読ですので、併せてご覧になってください。

 

 

 

話題を少し変えますが、大地震や強い台風や大雨が発生すると、X(ツイッター)等で「人工地震」「気象操作」が一時話題になります。気象操作や人工地震と聞いて、すぐに与太話だと否定する者が多いですが、陰謀論ではなく事実です。すべての災害が人工的に起こされたものとは断定いたしかねますが、人工的に起こされたもには必ず不自然な点が存在します。「日本の将来と真のクリスチャンの姿勢」(真の聖書福音と預言)では、地震を例に以下の観点から説明されています。

  • 東日本大震災の不自然な地震波形
  • 米国軍用機による犯行の自供(千九百四十四の東南海地震)と、当時に関する番組制作者の変死
  • 二千十七年の長野県で地震が発生した時の日本放送協会の不自然な動き

支配層の計画や日本の支配構造を理解すれば、莫迦の一つ覚えのように「陰謀論だ」と否定しないはずです。嘲って否定する者は、自ら「自分は無知です」と露わにしてるようなものです。聖書の箴言の一つ「愚か者は無知(愚かさ)をさらけ出す」(箴言十三章十六節参照)が見事に言い当てています。根拠の無い情報には注意しつつ、気象操作や人工地震についても探せば見つかります。

また、気候変動詐欺について、改めて断言します。地球温暖化になっておらず、気候変動も嘘です。それにも拘らず、支配層がここまで気候変動詐欺をやりたがる理由というと、要らぬ規制や人に義務の無い事をさせ、特に日曜礼拝を強制したいからです。

近い将来、ローマ教皇は日曜休業に関する秩序(新世界秩序)を各国に強制するでしょう。なぜなら、日曜日に休むことを守らせるのが、神の掟を破ることになり、それがサタンとサタンの代理人たるローマ教皇の目的だからです。(中略)サタンは、昔から、神の御言葉が詰まった聖書の真理を人々に知られたくないために、あらゆる欺瞞を使って、人々を欺いています。そして、人間を破滅に導くために、神の律法を破らせるのです。

引用元:安息日の重要性とモーセの律法 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)

日曜礼拝の強制は、悪魔の最大の代理人(「神の子の代理人」を自称するが大嘘)で強力な反キリストであるローマ教皇の悲願です。ローマ・カトリックは(分派のプロテスタントや正教会をはじめとする諸教派も)成立当初から太陽神崇拝のカルト宗教です。古代から行われてきてる忌まわしい太陽神崇拝の実態、悪の元締めであるローマ教皇とバチカンやイエズス会の本当の実態は、ミカエル氏による「キリスト道」や「真の聖書福音と預言」でしか知り得ません。何故なら、聖書を隅々まで熟読し、原語も調査しつつ研究しなければ、到底分かり得ないからです。世の中のほとんどの人は、聖書の内容をほぼ知らないか、知ってるようでも上っ面だけ知ってるに過ぎません。少なくとも貴方に悪意が無いなら、ミカエル氏がすべて聖書の言葉から裏付けて説明してるとすぐお分かりになると思います。ローマ教皇らの動向にも要注意です。かつ、是非実態を拡散していただきたいです。

悪魔にとっては、自分を礼拝させ、本来の創造主なる神(主イエス・キリスト)に反逆させ、神の怒りを買わせ、大勢の人間を滅びの道連れにするために非常に便利な道具なのでしょう。支配層は悪魔に従うことで確かな地位を確保できるので、願ったり叶ったりです。それ故、気候変動詐欺に抵抗する正しい人間を抹殺しようとしています。神は悪魔や悪魔崇拝者のやりたい放題を決して喜んでるわけではありませんが、悪に抵抗して神に従い通す人間を選別するために敢えて許可なさっています。預言書には共通して、神に逆らう悪人に罰、最期まで従う者に救いを示す内容、そして神の律法等を遵守するよう鼓舞する言葉が繰り返しあるからです。黙示録二章から三章に書かれてる主イエスからの激励の御言葉も同様です。キリスト再臨時での死者の復活と後の世が希望としてあるから、自らの命を惜しまず神に従う道を選んでも一切悔いが残らないのでしょう。

 

これらを正しく理解することも正しい備えに繋がるので、本題とは少し違いますが、ざっとお伝えしておきました。

 

 

最後に。今後も更に災害とかが起こると思うと憂鬱に感じても無理はありません。中にはどうして神は災害から守ってくれないのだろうと思う人も居ます。しかし、神は人間の召使いではありません。神は分け隔てなく絶えず太陽を昇らせ雨を降らせておられることから(マタイによる福音書五章四十五節参照)、人間からの見返りは求めず、十分過ぎる恩恵を施しておられます。それに、現代の日本人の多くの「神」に対する認識からして、どうして神がそんな人間を守ろうと思し召すでしょうか。

自分が神の立場になったとして考えてみてください。不敬な者にそこまでする必要はあるのかと。様々な出来事の中で、人間の無力さや愚かさを理解し、すべての罪(律法違反)を悔い改め、主イエス・キリストに近い品性形成に努めて賢く備える方が、比較ならない程に賢明です。

ヨブ記の一章から、義人とされたヨブは、並々ならぬ状況がもたらされても神に不平不満や暴言を吐いたりしませんでした。

神から認められたヨブは、「悪を避ける」(ヨブ記一章一節、八節、二章三節参照)という姿勢であり、ヨブはこの世の悪を知ってたからこそ、悪を避ける生活をした。神の律法や戒めに反することが罪であり悪であると知らんなら、悪を避ける生活はでけへんからや。

引用元:聖書の終末預言 三 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)

その理由として、上記が挙げられます。「悪を避ける」というのは、上記のとおり、支配層の悪事に抵抗することに限りません。どんな時にも冷静で居られるようになるには、ヨブに倣い、悪を避ける、すなわち主イエス・キリストへの信仰を持ち、神の律法を守り通すことです。黙示録十四章でも、獣の刻印を押されない(最終的に「獣」「小さい角」であるローマ教皇の反律法の秩序に従わないこと)条件は神の掟と信仰を最期まで守り続けることです。しかし、それを目指す段階で、一人では絶対に不可能です。主イエスが兄弟同士で深く交流することを命じられた意義がよく分かります。真剣に聖書を学んで実践しようという方が居られたら、今回の記事の内容を含め、宜しければお気軽にご相談ください。質問もご自由にしてください。出来る限りの回答を差し上げます。

 

 

今回の記事が、皆様にとって今後の不安解消や新たな知見の獲得の機会になり、後悔の無い選択をする後押しになれば幸甚です。