度重なる資格試験の失敗は28歳の私を35歳にしてしまった・・・一次試験(学科)も落ちるならまだ諦めもつくのだが・・・

実際に何回かの2次試験は良いとこまでいっていたという実感もあったのだが

 

 さすがに打ちのめされた、親や家族に申し訳ないし社員たちにも面目ないと恥じた私・・・あまりの不甲斐なさにその年の年末は深く落ち込んだ

 

 そんな姿を見かねて尊敬する義理の父が私を訪ねてきてくれた、今でもその情景は記憶している、彼は優しい微笑で私に話しかけた「テルちゃん、君は気づいてないかもしれないな・・・資格試験は残念だったねぇ、でも君は人を引き付ける普通の人には無い魅力のある人なんだよ、だから人に関わる仕事にシフトしたらどう?きっと成功するから」と言ってくれた

ありがたかった・・・・

 

 つまりは営業だ!それから営業に力を注いだ、今に繋がっている色んなお客様に合うことができた、仕事のきっかけをつくり交渉して仕事をまとめる、これを楽しいと思えたし達成感を生きがいとして感じることができた!

 

 挫折・・・心の傷のおかげで人の心が少しは理解できるようになったと思う、そして資格修得にはいたらなかったが勉強した分の知識は身についた!建築の営業の知識になった!つまり無駄ではなかったと信じている

 

 35歳の時に資格チャレンジは止めてしまった訳だが、その後20年経過してまた勉強を始めた・・・会社の倒産により失業してしまった・・・建築の仕事しかしたことのない私『ああ、あの時一級建築士とれてたら・・・』無資格の私には良い仕事に就くことが困難だという現実に向き合うことになった

 

 では次回!第二期資格試験チャレンジ編に続く

 

 さて、日曜だけどダラダラ仕事しています(^_-)-☆

 

 

 2月18日(水)昨夜は久しぶりにラジオ(ギフチャン)に呼んでもらって会社のことや仕事のことを話させていただきました

さらに拙い素人の自作曲を歌わせていただきありがたくも楽しい時間になりました、また応援していただいた皆様に心から感謝であります(^^♪

 

 さて、今回は私の資格試験の思い出を書かせていただこうと思っております。

 

 建築屋の息子に生まれた私は学校を卒業して準大手ゼネコンで働かせていただき5年務めて親の会社に入った、親は一級建築士

だったので私も一級建築士になろうと思い(動機付けが軽い( ;∀;)受験することにした、この資格は1次試験(学科)と2次試験(製図)であり1次試験をクリアしないと2次試験に進めず2次試験まで合格しないと取得できない仕組みになっている

確か私が28歳の時に初受験で1次試験に不合格だった、これは勉強しなくては合格できるものでは無いと知り次の年は真剣に勉強したら1次試験に合格できた アホな私は『1次が受かれば2時は余裕だ』と勘違いしていたら2次試験に落ちた・・・この資格は当時1回学科に受かれば次の年に2次試験を受けることが出来たので次の年に製図試験を受けた、題は神戸淡路の震災の後だったので震災対応の施設の設計の問題だった、ヤマが当たった!5時間半の制限時間で書き終えた、しかし不合格だった・・・・落ち込んだ

 

 しかし諦めの悪い私は次の年に再び1次試験から受験し1次試験をクリアした、この年は100点満点中85点という高得点で学科に通り2次試験に進んだ、さすがのアホな私ももう舐めてはいない!来る日も来る日も製図を書きまくり万全の準備で挑んだ!一緒に勉強した仲間たちも沢山出来て「みんなで合格しよう!」と励ましあった!本当に張り詰めた空気の中の試験だった、試験中に隣の席の仲間が製図台に伏せて泣き始めた・・・試験中だが私は心配になり「どうしたんや?」と聞いた、彼は「計画がまとまらない・・ダメです・・・1年間努力してきたのに・・・」と泣いていた・・・私は「ばかやろう!あきらめるな!!顔を上げろとにかく書け!!」と励ました、彼は書き始めた、とにかく完成させなければ合格はしないから、後日、彼は無事合格した!よかった(^^♪

「テルさんのおかげです」とお礼をいってくれた。

 

 とにかく異常な緊張状態の試験なのだ、私も書き上げた!帰り道の車の中で仲間が放心状態で虚ろに「ああ、子どもの時は良かったなぁ 砂遊び楽しかったなぁ・・・お山つくって穴ほって水流して・・・」と訳のわからないつぶやきを言っていいた『こいつ・・・壊れたな( ;∀;)』と思った、彼も合格した

 

 年末に合格発表がある、クリスマスの日だった、当時はインターネットがまだ普及していない時代だったので発表の日に県庁に合否を確認しに行った、県庁の職員の人が「これが今年の一級建築士の合格者名簿です」と言って閲覧させてくれた

私の名前は・・・・・むっ?無い・・・・そんなはずは・・・・無い・・・・間違いでは?私はずっと私の名前をさがし続けた

他県に紛れ込んでいるのでは?と思いズット探し続けた・・・やはり無い・・・一時間も名簿を見続けた、たかだか30か40人の合格者しかいないのだ・・・見かねた職員の方が「残念やったな、また来年がんばれ」と言ってくれて出ていくことになった

恥ずかしい話が腰が抜けた・・・とめどなく涙がでた

 

 この年は日本サッカーがフランスワールドカップの予選を戦っていた年だったカザフスタンからメンバーを外されカズが帰国させられた事と比べて、一緒に勉強した仲間たちが「カズとテルさんとどっちが悲しいかな?」と語ったそうだ・・・・

 

 また次の年も1次試験をクリアし2次試験を受けたけど不合格だった・・・次の年もダメだった

 

 こうして私の一級建築士の受験は合格を得ることなく終わってしまったのでした

 

さて、仕事仕事(^_-)-☆

 サブ4に挑んだ神戸マラソンが終わり、それからも2回ぐらいフルマラソンを走ったが4時間の壁は厚かった・・・・

 

 それからもハーフマラソンは走っているのだが悲しいことにタイムは年々遅くなっていく・・・

やむ終えない・・・・61歳だ、もうサブ4は無理だな

それよりあと何年走れるだろうか?

死ぬまで走っていたいのだが

 

マラソンは自分との会話のように思う、心肺や脚部や頭の中と会話しながら走るのは楽しい(^_-)-☆『おい!?どうした今日は少し疲れ気味だな!」とか「今日は絶好調やないか?」とかね(^_-)-☆

 

 今まで色んな所を楽しく(時に苦しく)走った思い出が沢山できたたし、これからも走っていきたいと思う

 

 Born to  Run!だからね( `ー´)ノ

 

 では、今日も祭日にも関わらず仕事しています(^_-)-☆

 

 今日は日曜日、雪が降っている、そして選挙だ投票にいこう

 

 さてサブ4チャレンジ!神戸マラソンの巻だ!新幹線に乗って いざ神戸!!頭の中ではクールファイブの♪こ~べ~泣いてどうなるのかぁ~捨てられたわが身がぁ~♪が鳴り続けていた・・・

 

サブ4に執念を燃やした2011.年 月間200キロのトレーニングをかさね臨んだ私だった

 

まず、コースが素晴らしかった!街並みは美しくまた関西ならではの元気で温かい声援がうれしかった(^_-)-☆街中を走るコースがメインだったので途切れることの無い応援がわたしのみならずランナーをはげましてくれた!(ありがとう神戸)好調にラップを刻みハーフのタイムは確か1時間50分だった!倍にして3時間30分か、まあ終盤のペースダウンはあるにしてもサブ4はイケル!!と感じた(^_-)-☆実際にこの日は調子が良く30キロ地点でも4時間をクリアするペースを保っていた!!トイレに行くのも我慢して走り続けた私、しかし終盤に罠が待っていた・・・・・

 

 マラソンは30キロを超えたぐらいに『おい!子泣きジジイが乗ったのか?』と感じる程の重さを背負う・・・・さらにこの年の神戸マラソンはゴール前の10キロがほぼ上り坂であったのだ・・・ラップ5分30秒を保っていたペースが子泣きジジいとダラダラとした上り坂のせいでドンドンとペースダウンだ( ;∀;)痛さと苦しさで泣きそうになった・・・・でも死力を振り絞り頑張る私・・・

しまいには沿道の「がんばれ!頑張りなはれ!!」という声援にも「がんばっとるやろう!”」と言い返すほどに精神も荒廃してしまった(沿道のみなさんすみません( ;∀;))

 

 最後のポートアイランドのゴール手前ではほぼ歩くスピードまでペースダウンしてゴールした・・・・・

 

 結果、4時間19分とサブ4ならずに終わった・・・・残念・・・・

 

 これが今までで一番サブ4に近づいたマラソンだった

 

 とてつもない疲労感が残り帰りの新幹線で駅弁を2.5個やけ食いした、、悔しかったなぁ

 

でも神戸の街並みや美しいシーサイドを楽しめた本当に良いマラソンだった、最近は最後の上り坂が不評でフラットなコースに変更されたそうだ、また走ってみようかなぁ(^_-)-☆

 

 では、日曜日なのに事務所で仕事しています(^_-)-☆

 2006年の初フルマラソンの灼熱の地球に生まれて良かった!ホノルルマラソンを終えて(まあどうあれ完走した)

私は次の目標をフルマラソンサブ4に定めた!サブ4とはフルマラソンを4時間以内で走る事を言う、私は確か2009年の揖斐川マラソンに出場したフルマラソンだ、『よーし4時間切ったるわーい!』と意気揚々と走り出したのだがアップダウンの激しい山岳コースの消耗は予想を超えて厳しく確か4時間40分ぐらいかかってしまった、しかし揖斐川マラソンもとても温かい良い大会で満足感は素晴らしかった、翌2010年も出場したが同程度のタイムだった(残念( ;∀;))やはりマラソンをするには体重が重いのか?しかし食いたい盛りの40台後半で摂生は苦手だ・・・・

 

 そして2011年 サブ4チャレンジ第一回神戸マラソンに挑むことになった! なった!!

 

 さて、仕事が忙しいので本日はここまで(^_-)-☆

 さて、ホノルルマラソンについて書こう! 私の初フルマラソンだ、憧れのホノルル(^_-)-☆

 

 私は青年団体のマラソンクラブに所属しており毎月述べ200キロ走ることをノルマに練習を続けてきた!ホノルルを完走するために!

 当初はクラブで結構な人数で(5人ぐらいかな?)走る予定だったが直前になって次々に脱落していき会長と私の2人での出陣となってしまった・・・・しかし男が一度行くと決めた訳だから・・・・走る!(実際には会社とか家庭とか風当りが厳しかったな( ;∀;))

 

 それでも飛行機は飛び立ちホノルルに降り立った! やはりハワイは素敵だビーチやハーバーをジョギングするだけでウキウキした気持ちになる、プールでビールを飲むだけでもリゾート感スゴイ(^_-)-☆ 芸能人にも沢山出会った(間寛平師匠にも会って少し話した)自ずと気持ちは高まりいざ当日! 確か朝の5時頃のスタートだった、まだ暗い時だ号砲一発!!花火も上がるワイキキビーチを走り出す感激だしばらくはアップタウンを抜けダイヤモンドヘッドあたりで日の出を迎える!素晴らしいロケーション!!

テンションはパンパンだ、心から『よかったぁ地球に生まれてよかったぁ!!」と織田裕二の気持ちが理解できた!!

 

 しかし熱帯の太陽が昇り始めたころランニングコースはひたすらハイウェイだった・・・・灼熱のハイウェイ!!一本道が延々と続く・・・ハイウェイスターだ熱い!アツイ、朝早くスタートした理由はこれか!? 道は熱射病か?死屍累々の様相で倒れている

『あかん・・・俺もクラクラしてきた・・・やめたい!走るのやめたい!』そんな感じだった

騙されてはいけない、あのテレビに映る素敵なホノルルマラソンはスタート直後のせいぜい10キロ程度の距離だけだ!

 

 それでも私は走った、意識が薄れたので良く憶えていないが多分、歩いたと思う・・・それでもゴールにたどり着いたタイムは5時間を超えていたが正確なタイムは憶えていない・・・・灼熱の地獄は終わった・・・

 

 それでもホテルに帰って仮眠して夜のワイキキビーチに出ると完走を喜び称えあうランナーたちが溢れてお祭り騒ぎだ!私も大いにはしゃいだ!『こうなりゃどうにでもなれぇ』と飲みまくって騒いだ!楽しかった・・・さっきまでの後悔は消し飛び

 

       ホノルルマラソン最高!!~地球に生まれて良かったぁ~by織田裕二 と思った

 

 もう20年前の出来事だが本当に極彩色の色で彩られた素晴らしい思い出だ、人生は少し無理をした方が楽しいな(^_-)-☆

って思っている

 

 さて、マラソンネタをもう少し書こうかな(^_-)-☆

 

 ああ、今日も激しく仕事をしたなぁ~(^_-)-☆

 30歳を過ぎた頃から再び走るようになった私だ体重増加もありダイエットの意味でも必要だった

レースにも出るようになった、地元岐阜で開催されていた長良川マラソンで最初は10KMに出た(10キロでも凄く長く感じた)

そのうちにハーフマラソン21.1KMにも出たが準備不足もありタイムカットギリギリで走っていた(私の後ろの選手は「はい、タイムカットぉ!」と言われゼッケンをむしり取られていた)その後はハーフマラソンに毎年出場するようになった、ある年はレース中に転倒して足を骨折(ヒビ程度)した・・・・走行不可能と判断されて救護車に乗せられた、それは通称「負け犬バス」と呼ばれている、まあそのうちフルに出たい!と思い始めてフルマラソンに舵を切った私・・・・確か2006年・・・・・

 

                  ホノルルマラソンに出場だ!

 

 次回、激闘ホノルルマラソンの巻 です!

 

 今日も仕事しています(^_-)-☆

 最近は寒い・・・でも朝ランニングしたりしている、冷たい空気の中で走っていると体の内から熱が湧いてくるのが気持ちよいのだ!

 さて、今回のテーマはマラソンについてだ、なぜか私はマラソンが好きだ!子どものころからだ、友だちは「気が知れん」とかいうが好きなものは好きなのだ、中学校の頃からマラソン大会などあると俄然燃えてくる!大会の1か月ぐらい前から走ったりトレーニングするのだ、一番古い記憶では中一のマラソン大会では学年で11位になった(まだ少子化などと言われる前で1学年13クラスあったのでなかなか良い成績( `ー´)ノ)

 

 それから高校でもマラソン大会では頑張った!1年の時は学年で8位か9位になって全校朝礼で表彰されたか?少し曖昧な記憶だ

これも、陸上部や野球部、サッカー部など走る系のメンバーに混じって、私のような柔道部崩れが走った成果としては中々だと思う

 

 その大会でのエピソードなのだが、堤防をメインとしたコースを走るのだが、、、常々『なんかキザやつ』と感じていたI 君という子がいてI君が私を追い抜き際に「テルっお先ぃ(^_-)-☆」と嫌な感じで私を追い抜こうとした、その時、私は『イラッ』と感じて

I君のほうによろけてしまい接触してしまったのだ、するとI君は堤防を転げ落ちてしまった、その様は映画、楢山ぶしこうの母親が山から転げ落ちる様に似ていた(わからんかなぁ)

 私は『しまった!」と堤防下に救助に向かったのだ、I君を無事救助した、彼は無傷だった・・・しかし意気消沈してしまい・・・

先ほどの憎々しいまでの気迫は全く消え失せてしまった・・・彼には悪いことをした

 

 高校を出てからは走らなくなった・・・また走りだしたのは30歳を過ぎた頃からだった

 

 では次回に続きます

 

 最近は何件か遺品整理の案件が入ってきてありがたい

そして仕事はしっかりしています(^_-)-☆

 今日は日曜日、行くとこのない私は今日も事務所にいる・・・最近は遺品整理の仕事がひと段落して暇である、、、

まあ、良い真面目に一生懸命に毎日生きていれば仕事もくるさ!(よろしくお願いいたします(^^♪)

 

 さて、若くして糖尿病で入院してしまった私だが一番の悩みは入院先の隣にある焼肉店だ、この店は私の子どもの頃からある店なのだが、昔は庶民的な店だったのだがそのころにリニューアルして雰囲気が良くなりメニューも一新され少し高級感のある良い店になっていた・・・入院前に行ったのだが・・・・残念ながら・・・・美味しかった・・・・ハッキリと素晴らしかった・・・・

 

 そんな店が隣にあって夜な夜な焼肉の香りを私に向かって放ってくるのだ・・・・なんという苦行・・・・本当にパジャマのまま飛び込んでビールとタラフク焼肉を食ってやろうか!?と毎晩思ったものだ(もちろん我慢したのです)

 

 入院は2週間ぐらいで終わった、結構楽しかった(^^♪というのも毎日毎日仕事に追われていたので、その2週間は毎晩睡眠をとれたし本を読んだり、お見舞いに来てくれる人も沢山きてくれてうれしかったし、なんか良い経験だったな(^_-)-☆

 

 しかし退院してしばらくは食事や生活習慣に気をつけているのだが・・・・結局もとの木阿弥で 結果3か4回入院してしまった

発症から20年ほど心筋梗塞や脳卒中などの血管系のいわゆる重篤な合併症に至っていないのは?自分なりの分析なのだが

 

 もともと身体が強い

 

 ずっと有酸素運動(マラソン、キックボクシングなど)を継続しており血圧を正常にコントロールできたこと、血糖値と血圧が両方高いと危ない!

 

そんな理由で20年間無事に過ごせた(無事でもないか?)しかし私の父は60過ぎで人工透析になっている・・・気を付けなければ・・・・

そんな思いで先月から身体に血糖値を測定するセンサーを取り付けスマホで絶えず血糖値を管理することになった

最初は『絶えず血糖値ぃ?( `ー´)ノ』と気乗りしなかったのだが、これがなかなか面白い!

『何食べたら上がるんやろ?』とか『運動との相関関係は?』『睡眠との関係は?』『ストレスとの関係は?』とか試してみるのが楽しくなってきた、今までの気づきは!

 

 1.3食適度にたべること、間食しない(食事を抜いたあとに食べると血糖値爆上がり)

 2. 食後に軽い運動(ウォーキングとか)をする、すぐ寝転がらない

この2つは効果が高かったな!ダイエット効果もあるし

 

 そんな感じで60過ぎても糖尿病克服に向けて格闘中です、相談にのりますよ(^_-)-☆

 

 では、健康の話でした

 

日曜日ですが大丈夫です仕事(^_-)-☆

 少々、ブログがご無沙汰になってしまいました。

さて、今回は健康の話をさせていただきます、まず私は糖尿病です、残念ですがそうです父とお祖母ちゃんが糖尿だったので遺伝的な素因もあったのですが30歳代に不摂生な生活(まさに生活習慣病ですね)を重ねた結果42歳の若さで発症しました・・・

 

 なんでわかったかというと体重減少でした、発症前は90キロを超える体重だったのが2~3か月で10キロほど体重減少がありました、最初は一切摂生していないのに体重が減るので『こりゃぁ良い(^_-)-☆』と思っていたらとんでもない、ある日家内の父(彼は医者です)「君、そりゃ糖尿だぞ、入院しろ!」といわれて緊急入院しました

 

 入院生活は苦しい日々でした、何が苦しいって食べることです! それまで好きなものを好きなだけ好きな時に食ったり飲んだりしていたのが病院では3食決まった時に『なんじゃこりゃぁ( `ー´)ノ』という内容の食事しか食べられない・・・お替わりもない

寝ても覚めても食べる事ばかり考えていました(何度も隣の焼肉屋に飛び込もうかと真剣に思ったものです)

 

 さて仕事の時間です、続きは次回

 

 大丈夫です、ちゃんと仕事しています(^_-)-☆