なんかゆっくり正月を過ごしている、ずっとバタバタだったから良い気分だ

 

 暇だから子供の頃の正月を思いだしていた、正月は親戚のみんなが集まって飲んだり食ったり、お年玉をもらえるし嬉しい♡

 

 普通にコマ回したり凧上げたり竹馬に乗ったり人生ゲームしたりして楽しかったな(今はあまり見かけない)正月は楽しかった

 

 でも苦手なものがあった・・・・獅子舞・・・・こいつはヤバイ・・・あんな怪物みたいなヤツに嚙まれたらヤバイ・・・目が怖いし

 正月は好きだけど獅子舞はキライ。

 

ああユルユル ユルユル

 

それでも行くとこなく会社にいる私・・・・まあ良いか(^_-)-☆

 新年あけましておめでとうございます。

 2026年が始まりました、今年もよろしくお願いいたします。

 

 さて、前回で2012年のお化け屋敷が終わった、大成功だった・・・・?表面上は、でもあんなに賑わったのに結局私は赤字だった

まあ60万円程度を個人的に供出で済んだわけだけど成功のために人も物量も大量投入したわけだからしょうがない、閉会あとも会場の跡片付けや残務処理が沢山残って全ての残務が片付いたのは秋も深まり冬のおとずれを感じるころだった

 

 私は文字通り燃え尽きてしまった・・・・その冬は全くやる気がない、簡単に使いたくないが「鬱」に近い状態か?

表面上の成功体験は次の年2013年も開催を後押しすることになった結果として2013年は前年を大きく上回る期間動員2万2千人に上り大成功となった!しかし私の心は最初の年のようにときめくことはなかった(もうこれでやめよう・・)利益が上がった分は全額寄付することにした170万円ほど寄付できた(これには後日談があるが、今回は触れない)・・・・上出来だ

その後も2015年、2016年、2017年(肝試しだったが)

 

 そして最後の年となった2019年、その年は会社が厳しい(ずっときびしかったのだが・・)状況だったが開催することになった

今思えば思いとどまる決断をするべきだったのだろう、誰かが私の代わりに代表を務めてくれないか?・・・そう思ったが虫の良い話だ・・・・どうしようもない会社の状態と並行してお化け屋敷が行われている・・・ただただ不安で怖かったことだけを記憶している・・・・そして2019年の盆明けに会社が継続不能の状態となった・・・当然お化け屋敷も私は関わることが出来ない状況になった・・・心も体もボロボロだった、そして私は代表でありながらケツを割ってしまったのだ、後の期間を仲間がやって閉会まで頑張ってくれたようだ・・・・その後の事は良く知らない・・・迷惑をかけた・・・申し訳ない、会社の清算や個人の破産や壊れてしまった身体(糖尿病をこじらせたようだ)で勇気も持てず仲間にはお詫びも挨拶すら出来なかった。

 

 あれから6年半が経過した、先日も取材を受けたりした、「もう一度お化け屋敷を」という声をきくこともある、正直『もう一度がんばれるかな?』と思ったりした・・・・

 

 でも、もう無理だ・・・それが現状の私の答えだ、悲しいかなもう61歳だ、先日も駅の階段で老人丸出しの不細工な転び方をした

年末にひいた変な風邪も中々治らなくなった・・・・

それにどの面さげてまた人の前に出ればよいのか? 昔の仲間は受け入れてくれないだろ!

果たしてそうでは無いかもしれないが、そういったモノを振り切って「やってみせる!」などとは思えなくなってしまったのだ

 

 会社を一度潰してしまった、それは決してお化け屋敷のせいではないと信じているのだが世間はそう見てはくれない、倒産については本当に親しい仲間ですら「計画倒産した、財産を隠し持っている」などと信じているほどだ、、天地神明に誓って違うのだが

結果は多大な迷惑をかけてしまった

 

 今、この再起の会社を立ち上げた、7転び8起きの8Bornを今は守り抜き社業を通じて社会貢献することが最優先だろうと思っている

 

 いつか余裕が出来て誰かの後方支援が出来れば幸せだ・・・・今は気持ちを封印します

 

 一生懸命仕事をします、それだけです。

さて2026年も始まりました皆さんがんばりましょう!良い年にしましょう!幸せになりましょう!!

 

 では1月2日ですが働いています(^_-)-☆

 ついに始まる!恐怖の細道の巻!

 

ついにお化け屋敷が始まることになった、2012年の7月13日の金曜日だ!

この日はアメリカンホラー映画の大傑作『13日の金曜日』その日だ! 更にその日は1973年の7月13日ホラーの金字塔『エクソシスト』が公開された日でもあり、また当日は仏滅ということもあり、お化け屋敷のオープンに最適の日であった!ので結構早い段階でオープン日は決められたのだ・・・・・が制作が追い付かない・・・・・夜通し作業するのだが見えてこない・・・・何分、始めてのことで要領を全く得てない・・・・・

取材に来ていた新聞やTVの記者さんも「大丈夫ですかぁ?間に合いますかぁ?」と心配になり、ついにお手伝いを自主的に始める始末だ(本当に感謝だったな)現場は常にピリピリしていて揉め事が頻発する・・・(あまり思い出したくない)

それでも時は過ぎオープンの日は来てしまった!

私はその朝も仲間と制作していたのだ7月13日オープンの朝だ!私は「おい、朝になってまったぞ、ちょっと会社行ってくるわ、お前も一旦帰れ」

オープンになった!しかし制作はオープンの後1週間ほど続いたと記憶している、つまり未完成で始まってしまったのだ!

しかし、オープンしてしばらくはユルユルした感じだったキャスト(口裂け女さん)も手探りな感じだしスタッフもしかりだ

来店者数も1日50人とかだった・・・・しかし7月も後半になるころから風向きが変わったテレビで盛んに放送されるようになったキー局全部が放送してくれた!岐阜柳ケ瀬で何かが起きている!

客層も若年層から親子連れや子どもたちが中心だった、私も毎日のようにテレビ、ラジオ、雑誌の取材を受けるようになった

お盆頃は凄く!朝10時にオープンするのだが行列が朝からできており夜8時の閉店でPM3時に予約終了になった・・・・

異常な賑わいだった!すごかった!!大成功だった、9月のシルバーいウイィークに閉店したのだが、ずっとその調子で人が押し寄せた!最終日には山車からお祝いの菓子まきをしたり感謝を伝えた、最後のキャストやスタッフが泣き崩れて抱き合いながら歓んでいた姿は本当に美しかった・・・私の宝物だ、みんなで手探りで作り上げたお化け屋敷だ!本当に誇りに思うし一生で一番感動した出来事だった。

 

しかし祭りは終わり祭りの後・・・・・

次回は「祭りの後」です。

 

今日は12月30日ですが、ガツッリ仕事しています(^_-)-☆

 先日12月25日にBS朝日さんで口裂け女の件が放映されたそうだ、私は鹿児島への出張(ふっ、仕事しているアピールか?)

で観れていないが、ちゃんと放送されたか?ええ男に映っていたか甚だ心配ではある

 

 さて、前回の続きだ、ええっと・・・

 

                お化け屋敷をつくることになった・・・・

 

 まことに申し訳ない話だが私はお化けとかオカルトなもの全般について全く興味がなかった・・・・

更に言えば私はお化け屋敷がキライだ! あの得体の知らない怖さが嫌なのだ、ついでに言えばホラー映画も最後まで観たことが無い!

 キライ・・・・でも好き♡というのでは無いただひたすらにキライなのだ!なのにお化け屋敷をつくらなければいけない

 

 私は意を決してお化け屋敷体験ツアーに行くことにした、全国の有名なお化け屋敷を巡るのだ

 

 まず岐阜の近くの遊園地の中のお化け屋敷に行った、入る時は『怖いかなぁ・・・ドキドキ』出るときは『なんや?全然こわくねえな!!』という、私の言う縁日的というヤツだった

 

 更に京都にある有名なヤツ、最恐とか書いてあるが・・・・・全然だめだ看板に偽りありだ予定調和の連続だ・・・アカン参考にならん

何件か言ったが、アカンかった「もっと本気でこい!」と思った・・・・しかし求め彷徨ううちにであった、東京のお台場にある

 

                         怪奇学校

 

 ここは凄い!店の佇まいから違う!いけないオーラが外まであふれている・・・『一人じゃ無理や、死ぬかもしれん・・・』

と感じた私は近くの女子高生に「ねえ、オジサンがお金出したげるから一緒に入ってくれない?」とお願いすると何人かいた女子高生のうちの一人が嫌々同行を承知してくれた、助かった!意味不明のカップルで入場だ、良かった、、、、と思ったのも束の間

漆黒の闇の中から何かが「ガサガサ」と飛び出してきた!これに女子高生は「ムリ~ ムリ~ もうムリ~ リタイア~!」と言って途中退場してしまった・・・・一人だ!JKに逃げられてオッサン一人、俺もムリムリ・・・だが行かねば!

 どこをどう行ったかは覚えていないが・・・恐怖の連続を抜けて出口にたどり着いた

 

 散々なこの体験で分かったことがいくつかあった

 

 1.物語をつくる、ミッションをつくる

 2.不安を煽る(照明、音声、映像、五感に訴える)

 3.予定調和を排除する(くるくる・・・こーへんのかい! わっ!キタ~)

 

 こんな感じだ、ここを責めていけば低予算でも 怖いお化け屋敷が出来る!という手ごたえを持った、しかしまだ朧気な手ごたえでしかない、この先(つくる喜び)の何倍もの苦しみが始まった

 

 まあでも記者会見のあと色んな反響があった「新聞みたで、あんたらみたいな人達は初めてや!柳ケ瀬のうちの土地無料で使ってくれ!」と言ってくれた人がいた、

 私は気が小さく自分の会社への遠慮から昼休みに抜け出して制作に行っていたのだが、会場近くの団体職員の『先生』と呼ばれていた人と女子何人かが毎日、昼休みを返上して手伝ってくれた・・・結局『先生』は制作の人が増えてきた時に「もう、大丈夫ですね、頑張ってくださいね」と言って去っていった、名前もわからなかったけど、本当の感謝を感じた、他にも沢山の善意いただいた、もちろん私を良く思わない人たちの声もあった、途中で抜けていく仲間も沢山いた・・・

 しかし感謝なのだ!荒唐無稽の成功が担保されない取り組みに関わってくれたのだから!

 

 このくだりは書きだしたらキリがないのでこの辺りでやめよう

 

 次回は「ついに始まる!恐怖の細道」の巻です。

 

 年末ですが今日も仕事してます(^_-)-☆

 

 

 柳ケ瀬

岐阜に住む人たちの間で柳ケ瀬は憧れの場所でした

美川憲一さん(お化け屋敷の名誉顧問をつとめていただきました)の大ヒット曲柳ケ瀬ブルースにも象徴されるように繁華街として賑わいは昭和の時においては、それは眩しいばかりの耀きを放っていました

大人には歓楽街として、女性やお年寄りには買い物(銀座を買い物をしながら散策する銀ぶらに寄せて柳ぶらという言葉があった程でした)私たち子どもにとっては百貨店の遊園地で遊んだり映画を観たり時におもちゃを買ってもらえる場所でした、当時のアーケード街は人がぶつかりあいながら歩く様な賑わいだったと記憶しています。

 

 時は流れて昭和が平成になった頃からか?様子が変わり始めました

 

 街が寂しくなっていったのです、年月が過ぎるたびに、あんなにいた人たちが少しずつ確実に減少していきました・・・・

すっかり大人になってしまった私は、ぼんやりと悲しい気持ちでその様子を眺めているだけでした・・・・

私はこの現状に何か出来ることはないか?と考え始めました、そんな時、前回書いた口裂け女の話にであいました

 

 うっ? 岐阜発祥の口裂け女? 柳ケ瀬? 街おこし?・・・・・

 

                  柳ケ瀬で口裂け女のでるお化け屋敷

 

 これか?・・・・これや! そう思いついた私は仲間にこの荒唐無稽なビジョンを語りはじめました、普通は相手にもされない話でしょうが、私の仲間は楽しく真面目に聞いてくれました(素晴らしい仲間たちです!)

さあはじめよう!私たちはお化け屋敷製作委員会(やながもん)を立ち上げ走り始めました!

 

 しかしとても順風満帆とは言えない船出でした、まず問題は口裂け女というコンテンツを使うことに問題はないか?という問題が会議にて議論されました、この2012年の時点では口裂け女はタブー的な扱いでした、実在の人物がモデルである?障がい者への配慮?などから不適切で使用するべきではない、会議では大方の意見がそうでした、しかし私はタブーに挑戦しなければ活路は無いという確信がありました、ショッキングなテーマを掲げなければ人は注目してくれないという確信がありました、縁日的なろくろ首や傘お化けなどがユルユルと登場するお化け屋敷でこの寂れた繁華街に突破口があくものか!そう思っていたのです・・・

とはいうものの四面楚歌の状態でした、皆がいうのももっともです・・・・・

 

そんな時に私の仲間が発言してくれました「1978年の岐阜日日新聞の記事に口裂け女の記事がある、塾に行きたくない子どもたちの作りあげた幻想か?とあります、大丈夫です」と新聞の切り抜きを示して発言してくれたのです。

ありがたかったです、私は「口裂け女と柳ケ瀬に賑わいを取り戻しましょう!何とか協力お願いします」と言いました。

口裂け女のお化け屋敷が承認されたはなしでした 。

 

 そして、2012年の4月(ゴールデンウイークの直前か?)に記者発表をしました

 

            2012年の夏に柳ケ瀬で口裂け女のお化け屋敷を開催する!と

 

 もう戻れない・・・・退路をなくした4月のことでした。

 

では続きは次回、仕事も結構しっかりしています(^_-)-☆

 

口裂け女のお化け屋敷を開催する

 先日、BS朝日さんというテレビから取材をしていただいた「口裂け女」についてだ

なぜ口裂け女でもない私が取材を受けたかというと私は2012年から2019年まで岐阜柳ケ瀬で開催された岐阜柳ケ瀬お化け屋敷恐怖の細道に関わっていたからだ、このお化け屋敷は口裂け女出現する!という唯一無二の特徴から当時は結構な話題になったのだ

そんな関係で取材していただいたのだ2025年12月25日にBS朝日で放送されるので観ていただきたい。

 

 さて本題、「口裂け女の話」をはじめよう

 

 1978年の秋だったか?当時中二の岐阜市に住まう私の廻り一つの深刻な噂が広がっていた、夜な夜なコートを着た髪の長いマスクをした女性が出没し道行く人に「ワタシ・・キレイ?」と質問してくる、そして「はいキレイです」などと返答すると、彼女はマスクを取り「これでもキレイ!」とパックリ裂けた口を見せつける・・・・・

 

 この一連の確認行為がその後にひろがる都市伝説のベースであり、私たちが最初に聞いた噂話もその程度ではあった

 

 その後に「パックリ食われる」「逃げても100m4秒で走る脚力で逃げられない」とか「ベッコウアメが好き」「整髪料のポマードが嫌い」・・・などの尾ひれがついて全国にひろまっていった、ここではっきり言おう「彼女は岐阜出身だと!」

 

 ともあれ私たちは1978年の秋から1979年の冬にかけて口裂け女に大いに恐怖したのだ!

私などは山道で熊に会いたいと願望するほどの好奇心とアメリカでイエローデビルと恐れられた柔道の技術とフィジカルを持つ男だったので廻りの恐怖する同級生ほどには感じなかったが、それでも街でコートを着た髪の長い女性を見かけると「ビクッ」としたのを記憶している

 そう同級生の大方は口裂け女に完全にビビりまくっていた・・・・当時、受験戦争などという死後がまだ生きていた頃、学習塾に「口裂け女が怖いから塾に行きたくない!」と真顔でいう子どもが続出していた、私も当時、柳ケ瀬(岐阜最大の繁華街)に遊びにいった時の帰り道にふざけて「あっ!口裂け女や!!」と脅かしたら、その子は「ギャー助けて~」と叫び泣きながらすさまじいスピードで走り去ってしまった・・・・・・

 

               恐れられ、一部では信じられていたのだ「口裂け女」

 

 そんな私たちを恐怖に落とした口裂け女だったが春になる頃には「あの人は今?」みたいな感じになり私たちは平静を取り戻し

た、しかし時間差で口裂け女の話は全国に広まっていった・・・・・不思議な感じがした、「アレは何だったのか?」私は疑問に思ったのだが、年月が流れ中二だった少年はいつしか大人になり彼女の事は忘れてしまった

 

 そして40台も半ばを過ぎたある日、私はオカルト研究家の山口敏太郎さんとであった、彼は私に

 

「口裂け女の発祥は岐阜ですよね」と私に言った

またクリプトツーリズムというYUMAやUFOやお化けを題材にした町おこしの手法がある、という話を聞き、岐阜発祥の口裂け女を軸にした街おこしは出来ないだろうか?

 

 それからぼんやりとお化け屋敷について考え始めた2011年の夏のことだったか・・・・

 

 

では続きはまた、仕事もしています(^_-)-☆

 

 12月になってから遺品整理の現場に入りっぱなしで余裕がなくブログ更新もない・・・・余裕がない中だがふと空を見たら青空に鱗雲(うろこぐも)浮かんでいた

 

 雲のある空の方がいいな

 

って思ったわ、雲一つない青空より良い、人間もそうなんだなあ・・・・って 相田光男かよ(^_-)-☆

 

仕事もしてます(^_-)-☆

 会社が始まったころの話なのですが

 

 意気揚々と事務所を借りて、それ!地域と人のために働くぞ~ と張り切っていたものの2023年の冬から春から初夏にかけて

全然仕事が無い・・・・営業に行っても中々仕事がない、チラシを作製してポスティングをした!会社の近所から、岐阜市内の団地や市街地にポスティングをした・・・仕事がないから毎日ポスティングだ・・・・が仕事が無い・・・・岐阜市の大体の団地を廻りつくした、まあ初めての経験で発見もあり楽しかったのだが、やはり仕事が無いと生きていけない、やはり焦る(失敗体験があるから余計か?)ついに給料が出なくなった・・・まあ社員がいないので大丈夫だが(大丈夫じゃないわ!)

 

 6月か?初夏のある日に愛知県にポスティング進出した、一宮という愛知県北部にポステイングに行ったのだった、やはり土地勘が無いのと初夏の暑さで朝から始めて昼過ぎには疲れてしまった・・・・『だめやなぁ・・・もうあかんなあ』とぼんやり考えて歩いていたのだが

 なぜか神社に導かれるように自然と鳥居をくぐっていた、尾張猿田彦神社という神社だった

そんなに大きな神社ではないのだが、明るいのだ雰囲気が(オーラというのか?)

 

『なんだろう?この感じは』と・・・しばらく飲み物を飲んだりして休憩しながら不思議な感じに浸っていた、お参りして、お守り(商売繁盛)を購入して神社を離れたのだ

 

家に帰って、すっかり神社のことは忘れてしまったのだが・・・翌日に仕事の依頼の電話がかかってきた! 少額の片付けだが、なにも無い状態だからうれしかった!一生懸命仕事をした!ありがたかった!!

 この仕事は長年の友人が自分の従弟に薦めてくれて戴いた仕事だった、チラシをいっぱい配ってくれていたのだ、結局は人に助けられていると実感したのだ(そう感じた)

 

 それからは多少の浮き沈みはあるもののお仕事をいただけるようになって現在にいたる、ありがたいです

いろんな人に助けられ支えられて生きていると感じれた

 

 あまり信心深い方ではないけど、運気が変わったなと・・・神様ありがとうって思った出来事でした、今も月の初めにはお参りさせてもらっています。

 

 さて、今日も感謝とともに仕事をちゃんとしています(^_-)-☆

 学生時代はいつも『なんか面白いことねえかなぁ?』と思って生きていた

私は特に不良とかではなかったが校則とかに縛られるのは嫌だな・・・ぐらいにははみだした人間だった

 

 高校3年生の春の良い天気のある日、その日は体力測定(50m走とか反復横跳びとか測るヤツ)が午前中行われていた

私と友人のI君は「かったるいな、どっか遊びにいくか?そうや!Yの家に行こう、あいつは謹慎で家におるはずや」

ということで授業中だが自転車でYの家に遊びにいくことにした

 

 I君と私はY君の家に体操服のままで遊びに行った、Y君のお母さんは「あら、テル君I君よく来てくれたねぇ、ありがとうね」

と授業中に抜け出して来た私たちを大いに歓迎してくれたのだ

 

 Y君のお母さんは「どうしよう突然やで何もお菓子とかないわ・・・・あっ!?桃缶があったわ桃缶、好き?」

何を隠そう私は現在でも無類のフルーツ好きを自負しておりとりわけ桃は大好きだった特に白桃!

 

 私は「好きです!お母さん!!」と目をみて答えた なぜかお母さんは一瞬ドキっとした顔をした・・・・

 

 待望の白桃が運ばれてきた、それも贅沢にも半割のままだ!

遠慮のないタイプのI君は真っ先に半割の桃を口の中に入れた!私はI君の顔に目を近づけて彼の桃の味に対する反応を見逃してなるものか!と凝視した

 

すると奇跡が起きた

 

 先に少しI君について説明しようIは日本人にしてはイタリアっぽい顔・・・ダスティンホフマンのような顔だちで鼻が大きい

 

 半割の桃を丸ごと口に含んだ彼は私の真剣な表情に反応し、次に『カッ!」と弾けるように反応した!そして、あろうことか

 

半割の桃がI君の鼻からそのままの形で飛び出してきたのだ!

 

 口からではなく花の穴から勢いよく飛び出した桃は体力測定の関係で短パンだった私の太ももの上に着地ししばらくプルプル震えていたのだ・・・・

 この奇跡の光景を目にしたY君のお母さんは眼前で展開されている光景に驚き恐怖したのか「キャ~!」という悲鳴をあげ逃げ出してしまった!

 私は私の人体の一部になったかのように震える桃を見て次にIを見たIは鼻水を垂らしながら「マジか?マジかて?」と自らが起こした奇跡に自らが驚きを隠せないようにつぶやいていた・・・・・

 

 とんでも無いものを目撃した私とY君はしばらく意識が危うくなるほど笑った、なぜか張本人のIも一緒に笑った!恐怖のあまりに逃げ出したY君のお母さんも戻ってきて一緒に笑った!「ちょっとI君あんた、そうやって良く鼻から食べ物出すの?」という質問に「はい、でも桃ははじめてです!」と言っていた・・・・

 もうその日はアホらしくなって学校にはもどらなかった・・・・


 しかし翌日私はその奇跡を黒板に図解つきで説明しクラスメイトに周知した!しばらくして学年中いや学校中がこの奇跡を知ることになった!!

 

        以後、彼はピーチ君と言われ人々の尊敬を集めるようになった!”

 

 若い時ってなんであんなに笑えたのだろう?楽しかったなぁ 学生時代

 

 今日は日曜日でもちゃんと仕事しています(^_-)-☆

 この歳になると最も重要なものは健康だとしみじみ感じます

 特に私は内臓に問題を抱えているのでなおさらであります。

 

 健康には気を付けてはいるのです、タバコも吸わなくなったし酒ももともと弱いのもあり、あまり飲まない、気を付けなければいけないのは甘いものだ・・・・甘いものが好きだ

 

 しかし運動は苦にならないのは幸いである、むしろ体を動かすのは好きだ、フルマラソンも6回かな?走った強者であります(マラソンについても書こう)

 

 ウェイトトレーニングとキックボクシングもやっていた

 効果的にパワーをつけて良い肉体を作るためにトレーニングの後にプロテインドリンクを飲んでいた・・・特別なヤツじゃなくコンビニにも売っているヤツだ

 

 『おう、マッチョになっとるわ』と喜んでいたのだが

 定期的に検査をお願いしている病院で血液の検査をしたら・・・・

 

  腎臓の数値が異常に悪くなっていた・・・お医者さんが言うには『人口透析しなければいけない数値だ』と言われた・・・

 

 しばらく茫然としていた・・・・『何が悪いのか?』

 

 いつか聞いた事がある「人によってプロテインで腎臓を壊す場合がある」と

 

 それだ!”犯人はプロテインだ!!と確信し急いでやめた!! そうしたら少しづつ数値が改善され始めた・・・まにあったか?

いや安心はできない!!

 

 体質に合わないものには気をつけましょう

 

 では今日も一生懸命仕事しました(^_-)-☆