唐突ですが私は音楽が好きです。

なので今回は音楽のことを書かせていただきます、題は「フィンガー5の話」です。

 

 まずはフィンガー5をご存じない方のために簡単な説明をいたします。

 

 フィンガー5=沖縄がまだアメリカ統治下だった頃に沖縄で結成された兄妹5人組のボーカルダンスユニットです、沖縄での活動を経て東京に移住し下積み活動(しばらくは売れなかったみたいです)を経験し1972年にメジャーデビューしました。

写真の5人組でフロントは4男の晃と長女の妙子となります。

上のお兄ちゃんたち3人は下の二人を優しくサポートする感じの優しさに包まれたアットホームな雰囲気のグループでありました。

そんな中でもフィンガー5の特徴であり最大の武器は晃(写真下段の右端サングラスの子)の楽曲の最も重要な部分で炸裂する少しハスキーなボーイソプラノのハイトーンボイス♪ は今聴いても鳥肌ものであります。 晃は大人気でした・・・

私たちの周りは全員、男子も女子もフィンガーファイブが大好きでした!

 

「フィンガー5」というグループ名はかのマイケルジャクソンたちのジャクソン5にあやかる形で命名されたユニット名ですが

日本では本家を凌駕する人気を誇ったフィンガー5!(その点がビートルズとずうとるびの関係と異なる点です)

 

1972年(昭和47年)に「個人授業」でデビューして以来フィンガー5の快進撃が始まりました「恋のダイヤル6700」(写真のヤツですね❤)「学園天国」(小泉今日子がカバーしてましたね、彼女もフィンガー5世代かな?)と立て続けにミリオンヒットを連発しました!本当に小学校でも近所でも大人気でした。

 

フィンガー5に関する少年時代の思い出があります、、、、その時は「恋のダイヤル6700」がヒットしていました、紅一点の妙子がイントロで「ハローダーリン❤」とかわいい声で囁き、その後に♪リンリンリリン・・・と歌が始まるノリノリの歌で近所で「ハローダーリン❤」という言葉が流行語となっていました。

 

私と近所の子どもたちは地域の習字塾に通っていました、その習字塾は教室の中に電話がありまして電話が鳴ると塾生が「はい〇〇習字塾です」と受け答えして電話の出方を学ぶようになっていました(良いことです)しかしそんなある日、習字塾に電話が鳴った時でした! 2歳年上のヨシ君が敢然と鳴る電話をむしり取るように取り、、あろうことか・・・・「ハローダーリン❤」と言ってそのまま電話をブチ切ってしまったのです!/////

 

なっ!? なに?という驚きの後に経験したことのない笑いが爆発しました、、みんな腹筋をやられて横たわって苦しみながら笑いました、遠ざかりゆく意識の中で塾の先生が狂ったように「あんた!なにやっとるの~( ゚Д゚)!」と叫んでいるのが微かに聞こえました、私たちはその後も断続的に襲ってくる笑いに耐えながら習字を書きましたが誰かが「ハローダーリン❤」と言うたびにリフレインの笑いが始まるのでした・・・

でも、なぜか、その日をさかいにヨシ君は2度と習字塾に来なくなってしまいました・・・・・

 

本当に大好き大人気だったフィンガー5でしたが終わりは突然くるものなのです・・・・・

 

                      晃の変声期

 

10歳か11歳だった晃は大人の階段を昇っていたのでした声変わりしてしまった晃・・・・かわいいボーイソプラノで

♪で~きるな~ら個人授業ぅを受けてみたいよHA~HAHAHA~⤴という晃のパートが1オクターブ下でオッサンの声に変ってしまっていたのでした・・・・私は『何が起きたんじゃ?』と理解できませんでしたが・・・・とにかくフィンガー5が劣化してしまったことは幼心にも理解するしかなかったのでした。

 

 レコード会社やプロダクションは成長を抑制する薬の投与を晃に薦めたようでしたが晃は拒否したそうです。

エンタメの為に人の成長を犠牲にすることは無かったのでした・・・・少し救われる話です。

 

 私が育った昭和という良い時代のヒーロー「フィンガー5」の話でした。  では。