人間は映し鏡
こんばんは。
金田隼人です。
現在、コルカタから人生初の寝台列車で
ニューデリーに到着しました。
さて今回のブログでは
コルカタで出逢った素敵なインド人男性について
書きたいと思います。
その人とは
偶然サダルストリートで声を掛けられた
日本人男性から紹介され出逢いました。
彼の名はKhan。37歳。
今はちょうどコルカタに帰ってきていて
パシミアを始め高級繊維品~骨董品までを扱った
店をオープンさせた。
驚きなのはまだ開店して1ヶ月も経っていないとのこと。
その他メインで
新たにインドで工場を作るために
動いているらしい。
また、お店をフランチャイズして
2店舗目を出すと言っていた。
日本の会社とやりとりをしているらしいのだが、
日本人は時間に厳しいにもかかわらず、メールが遅く
「日本人がメールの返信でこんなに時間がかかるとは思えない。
もし検討中ならその要件を伝えてほしいし、万が一そうでないなら考え直したほうがいい。
こっちは本気でやっている。」
とメールを送った。
すると、日本の会社の会長から
謝罪のメールと、インドの方にそう言われて本当に嬉しい。
と送られてきた。
Khanさんはその時、
日本人と一緒に仕事をする上で元気付けられたらしい。
今彼はインドにしかないもの、日本で売られていても高価すぎるもの、
そこのギャップをついてビジネスをしている。
手元の金はどんどん外に投資。
色んな方法で仕掛けをしている。
彼のやりたいことは
インドのいい思い出をを日本人が日本でも感じてもらうということ。
僕は彼に国際電話をさせてもらったし、
デリーまでの寝台列車のチケット手配(代理店で買うより安く)、
citi bankまで連れて行ってもらったし
昼食も奢ってもらった。
なぜそんなに親切にしてくれるのか?と聞いたら、
「日本で僕が困った時、助けてくれたのは日本人。
だからインドで困っている日本人がいるなら僕は無償で助けたい。」
そう答えた。
「でも反対に、嫌な人もいた。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここからはKhanさんの日本でのエピソード、意見。
1.
彼は秋葉原でいきなり警察官にパスポートを出せ。と言われた。
持ってないし英語で話せ。と英語で答えた。
いいから出せ。と応じない警察官。
パスポート持ってない。と日本語で返す。
どうして持ってない?と警察官。
日本に住んでいてパスポート携帯しますか?
なくしたらどうするんですか?
家に来たらあるから一緒に来ますか?と彼。
そんな冗談言ってないで出せ。と警察官。
だから今ないと言っている。
こんだけ日本語話せていて嘘ついてると思いますか?と彼。
わかった、もういい。と警察官。
英語しゃべれないんですか?
英語喋れない人は外国ではガードにもならない。
日本人でよかったですね。と彼。
お前何人だ?警察官。
インド人。彼。
あーITか。警察官。
もう行っていいですか?彼
そこで彼は引いたが、本気で憤慨したらしい。
最後の警察官の一言。
なぜ、インド人が秋葉原にいる=IT
となるのか。
2. 彼が会社勤めを日本でした時の上司。
インドには自販機ある?
りんごある?
大きいビルある?
わかっていることをわざわざ大声で聞いてくるらしい。
インド人だとあたかも周りに知らせたいかのように、
日本の方がインドより優れていることを知らせたいかのように。
彼は言う。
彼らのような人は本当の日本人だと思えない。
こういう日本人は日本人に相手にされていないんだろう。と。
日本人はとても優しいし、細かいことに気を配れる。
人のことも考えられるし、アジアではお手本の存在だ。と。
でも彼らのような人が日本をよく映していない。
この言葉を僕は否定出来なかった。
むしろ納得してしまったし、
そう映っているのかと感じた。
人間は映し鏡。
人に行った行為や言動は自分に映され返ってくる。
まるで鏡を見ているかのように。
日本という国が震災の時
外国から様々な支援をもらえたのは
日本がそれだけのことを海外にしたからと言われている。
まさにそうで
日本人一人一人の言動行動は必ず自分自分たちに返ってくる。
それを感じた彼との会話。
どうでしょう?
日本人は日本を知る海外の人から見るとこのように映っています。
本来のアジアのお手本とされた日本、
東洋と西洋が交わり映し鏡として世界に貢献していた日本。
僕は
これから良きところを残し
変えていくべきところを変えていく日本でありたい、人でありたいと
思いました。
彼との日本での再開を楽しみにつつ
残りの旅を実りあるものにしたいと思います。
金田隼人です。
現在、コルカタから人生初の寝台列車で
ニューデリーに到着しました。
さて今回のブログでは
コルカタで出逢った素敵なインド人男性について
書きたいと思います。
その人とは
偶然サダルストリートで声を掛けられた
日本人男性から紹介され出逢いました。
彼の名はKhan。37歳。
今はちょうどコルカタに帰ってきていて
パシミアを始め高級繊維品~骨董品までを扱った
店をオープンさせた。
驚きなのはまだ開店して1ヶ月も経っていないとのこと。
その他メインで
新たにインドで工場を作るために
動いているらしい。
また、お店をフランチャイズして
2店舗目を出すと言っていた。
日本の会社とやりとりをしているらしいのだが、
日本人は時間に厳しいにもかかわらず、メールが遅く
「日本人がメールの返信でこんなに時間がかかるとは思えない。
もし検討中ならその要件を伝えてほしいし、万が一そうでないなら考え直したほうがいい。
こっちは本気でやっている。」
とメールを送った。
すると、日本の会社の会長から
謝罪のメールと、インドの方にそう言われて本当に嬉しい。
と送られてきた。
Khanさんはその時、
日本人と一緒に仕事をする上で元気付けられたらしい。
今彼はインドにしかないもの、日本で売られていても高価すぎるもの、
そこのギャップをついてビジネスをしている。
手元の金はどんどん外に投資。
色んな方法で仕掛けをしている。
彼のやりたいことは
インドのいい思い出をを日本人が日本でも感じてもらうということ。
僕は彼に国際電話をさせてもらったし、
デリーまでの寝台列車のチケット手配(代理店で買うより安く)、
citi bankまで連れて行ってもらったし
昼食も奢ってもらった。
なぜそんなに親切にしてくれるのか?と聞いたら、
「日本で僕が困った時、助けてくれたのは日本人。
だからインドで困っている日本人がいるなら僕は無償で助けたい。」
そう答えた。
「でも反対に、嫌な人もいた。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここからはKhanさんの日本でのエピソード、意見。
1.
彼は秋葉原でいきなり警察官にパスポートを出せ。と言われた。
持ってないし英語で話せ。と英語で答えた。
いいから出せ。と応じない警察官。
パスポート持ってない。と日本語で返す。
どうして持ってない?と警察官。
日本に住んでいてパスポート携帯しますか?
なくしたらどうするんですか?
家に来たらあるから一緒に来ますか?と彼。
そんな冗談言ってないで出せ。と警察官。
だから今ないと言っている。
こんだけ日本語話せていて嘘ついてると思いますか?と彼。
わかった、もういい。と警察官。
英語しゃべれないんですか?
英語喋れない人は外国ではガードにもならない。
日本人でよかったですね。と彼。
お前何人だ?警察官。
インド人。彼。
あーITか。警察官。
もう行っていいですか?彼
そこで彼は引いたが、本気で憤慨したらしい。
最後の警察官の一言。
なぜ、インド人が秋葉原にいる=IT
となるのか。
2. 彼が会社勤めを日本でした時の上司。
インドには自販機ある?
りんごある?
大きいビルある?
わかっていることをわざわざ大声で聞いてくるらしい。
インド人だとあたかも周りに知らせたいかのように、
日本の方がインドより優れていることを知らせたいかのように。
彼は言う。
彼らのような人は本当の日本人だと思えない。
こういう日本人は日本人に相手にされていないんだろう。と。
日本人はとても優しいし、細かいことに気を配れる。
人のことも考えられるし、アジアではお手本の存在だ。と。
でも彼らのような人が日本をよく映していない。
この言葉を僕は否定出来なかった。
むしろ納得してしまったし、
そう映っているのかと感じた。
人間は映し鏡。
人に行った行為や言動は自分に映され返ってくる。
まるで鏡を見ているかのように。
日本という国が震災の時
外国から様々な支援をもらえたのは
日本がそれだけのことを海外にしたからと言われている。
まさにそうで
日本人一人一人の言動行動は必ず自分自分たちに返ってくる。
それを感じた彼との会話。
どうでしょう?
日本人は日本を知る海外の人から見るとこのように映っています。
本来のアジアのお手本とされた日本、
東洋と西洋が交わり映し鏡として世界に貢献していた日本。
僕は
これから良きところを残し
変えていくべきところを変えていく日本でありたい、人でありたいと
思いました。
彼との日本での再開を楽しみにつつ
残りの旅を実りあるものにしたいと思います。
ダッカでの出逢い
こんばんは。
金田隼人です。
この間
ダッカ大学(university of Dhaka)に行ってきました!
今日はそのことについて書きたいと思います(^-^)/
ダッカ大学は
バングラデシュのトップの名門校と言われ、
歴史も古く多くの学生が在籍しています。
大学がいくつもある、いわゆる大学街の中にあり
敷地面積は一番あります。
キャンパスをMAP上で見て四角形と例えるなら、
辺に門がいくつもあり、それが各学部ごとの入り口となっています。
中ではほとんど交わることがなく
それぞれの学部ごとに入り口が異なるわけです。
僕は全ての門を見るためぐるっと周りを歩きましたが、
正門らしきものはなく
それぞれが独立しているような雰囲気でした。
僕が行った日はちょうど式典の日だったらしく
学生だけでなく親御さんや小さい子までいました。
僕はイマイチ場所を掴んでなかったので
学生らしき人にiPadを出し
「ここはどこ?」と聞いたら親切に教えてくれました。
その後、逆に質問があると言われ、
「あなたは何人?」と聞かれ
「日本人だ」と答えると、
席を出されたくさん質問されました。
その子はお友達と講演会のチケットを門の前で売っていたらしく
6人でお話ししました。
ミルクティーを奢ってくれ、
志ボードを書いてくれました。
彼らの年はバラバラで21歳~29歳。
世界一周をして大学巡りをしていると言ったら
写真や体験談を聞きたいと言ってくれ、
プロジェクトのことや各国での話、日本の話をしました。
最後には震災のことについて。
彼らは
すごい心配してくれていました。
最初に声をかけた子は涙ながらに
「日本には本当に感謝している。早く日本の人たちが元気になってくれることを願っています。日本の人たちに幸せと希望を」
とずっと握手をしながら言ってくれました。
僕は涙が出そうになった。
僕はただただ
「ありがとう。本当に。みんなの思いをしっかり伝えます。」
としか言えませんでした。
最後に
「最高の時間と出逢いをありがとう。
今日から俺たちはブラザーだ。」
と言ってくれました。
最高の出逢い。
出逢いは一瞬、出逢えば一生。
シンガポールの先輩にいただいた言葉が
蘇ってきました。
バングラデシュ・ダッカ。
ここで僕は最高の出逢いを多くしました。
当初のイメージでは
貧困の差が激しい、奪い合いが多い
とか勝手なイメージでしたが、
きて人と触れて出逢ってイメージは変わりました。
でもこれでいい。だなんて思いません。
彼らは口々に言っていました。
「貧しい人たちを救いたい」と。
その希望の光は彼ら自身であり、もしかしたら日本人なのかもしれません。
希望の光を紡ぎ大きな光となれるよう
彼らとの絆をしっかり持ち
僕は何かアクションを起こそうと思います。
金田隼人です。
この間
ダッカ大学(university of Dhaka)に行ってきました!
今日はそのことについて書きたいと思います(^-^)/
ダッカ大学は
バングラデシュのトップの名門校と言われ、
歴史も古く多くの学生が在籍しています。
大学がいくつもある、いわゆる大学街の中にあり
敷地面積は一番あります。
キャンパスをMAP上で見て四角形と例えるなら、
辺に門がいくつもあり、それが各学部ごとの入り口となっています。
中ではほとんど交わることがなく
それぞれの学部ごとに入り口が異なるわけです。
僕は全ての門を見るためぐるっと周りを歩きましたが、
正門らしきものはなく
それぞれが独立しているような雰囲気でした。
僕が行った日はちょうど式典の日だったらしく
学生だけでなく親御さんや小さい子までいました。
僕はイマイチ場所を掴んでなかったので
学生らしき人にiPadを出し
「ここはどこ?」と聞いたら親切に教えてくれました。
その後、逆に質問があると言われ、
「あなたは何人?」と聞かれ
「日本人だ」と答えると、
席を出されたくさん質問されました。
その子はお友達と講演会のチケットを門の前で売っていたらしく
6人でお話ししました。
ミルクティーを奢ってくれ、
志ボードを書いてくれました。
彼らの年はバラバラで21歳~29歳。
世界一周をして大学巡りをしていると言ったら
写真や体験談を聞きたいと言ってくれ、
プロジェクトのことや各国での話、日本の話をしました。
最後には震災のことについて。
彼らは
すごい心配してくれていました。
最初に声をかけた子は涙ながらに
「日本には本当に感謝している。早く日本の人たちが元気になってくれることを願っています。日本の人たちに幸せと希望を」
とずっと握手をしながら言ってくれました。
僕は涙が出そうになった。
僕はただただ
「ありがとう。本当に。みんなの思いをしっかり伝えます。」
としか言えませんでした。
最後に
「最高の時間と出逢いをありがとう。
今日から俺たちはブラザーだ。」
と言ってくれました。
最高の出逢い。
出逢いは一瞬、出逢えば一生。
シンガポールの先輩にいただいた言葉が
蘇ってきました。
バングラデシュ・ダッカ。
ここで僕は最高の出逢いを多くしました。
当初のイメージでは
貧困の差が激しい、奪い合いが多い
とか勝手なイメージでしたが、
きて人と触れて出逢ってイメージは変わりました。
でもこれでいい。だなんて思いません。
彼らは口々に言っていました。
「貧しい人たちを救いたい」と。
その希望の光は彼ら自身であり、もしかしたら日本人なのかもしれません。
希望の光を紡ぎ大きな光となれるよう
彼らとの絆をしっかり持ち
僕は何かアクションを起こそうと思います。
世界の学生に日本のことをどう伝えているか。
こんにちは。
金田隼人です。
現在はバングラデシュ・ダッカにおります。
今日は読者の方にご質問いただいた
「海外の学生に日本のことをどう伝えているか」
簡単に書きたいと思います。
大きく分けて
1. 日本の大まか流れ
2. 大学の環境
3. このプロジェクトの目的
です。
1.
日本は物価が高く、いろんなものが揃っている。
特に衛生面、治安、交通網はおそらく世界一と言っても過言ではない。
反面、困難なところもある。
就職は大学卒業とともにしなければならない。
それができない学生は失敗と世間から言われる。
また、失敗に対して寛大ではない。
政治が不安定。総理大臣がすぐ変わる。
震災では本当に大きなダメージを受けた。
それは物質的なものだけではなく、精神的なものも。
今もなお辛い思いをしている人がいる。
けれど、世界中の国が助けてくれたり、
日本国日本人同士が助け合おうとしている。
などなど。
2. (多数派を言っています)
日本の大学は自由度が非常に高い。
毎回予習の必要はあまりいらない。
大人数での講義、課題も少なく、単位も簡単に取れたりする。
実践というものは少ないし、
自由がゆえに講義に出なかったりする。
それを日本では“サボり”という。
反対にいい面もあると思っている。
課外活動は積極的に行えるし、企業と学生が近かったりする。
自由がゆえに自分自身で決めていかなければならない。
3.
目的は
世界中の大学生が志をシェアし新たな出逢いを生むということ。
今、あなたが志を言うことは世界の学生に公言するということ。
僕らは去年からこの世界一周プロジェクトを始動し、
30年は毎年続けていきたいと思う。
だからあなたとの出逢いは僕らにとって宝物である。
と言っています。
毎回こんな感じで伝えられたり
もっと脱線したりもしますが、
このようなことを伝えています。
反応はもちろん人それぞれ。
羨ましいという学生は多いです。
このプロジェクトにも幸いながら
共感してくれています。
以上、ご報告です!
ではまた。
金田隼人です。
現在はバングラデシュ・ダッカにおります。
今日は読者の方にご質問いただいた
「海外の学生に日本のことをどう伝えているか」
簡単に書きたいと思います。
大きく分けて
1. 日本の大まか流れ
2. 大学の環境
3. このプロジェクトの目的
です。
1.
日本は物価が高く、いろんなものが揃っている。
特に衛生面、治安、交通網はおそらく世界一と言っても過言ではない。
反面、困難なところもある。
就職は大学卒業とともにしなければならない。
それができない学生は失敗と世間から言われる。
また、失敗に対して寛大ではない。
政治が不安定。総理大臣がすぐ変わる。
震災では本当に大きなダメージを受けた。
それは物質的なものだけではなく、精神的なものも。
今もなお辛い思いをしている人がいる。
けれど、世界中の国が助けてくれたり、
日本国日本人同士が助け合おうとしている。
などなど。
2. (多数派を言っています)
日本の大学は自由度が非常に高い。
毎回予習の必要はあまりいらない。
大人数での講義、課題も少なく、単位も簡単に取れたりする。
実践というものは少ないし、
自由がゆえに講義に出なかったりする。
それを日本では“サボり”という。
反対にいい面もあると思っている。
課外活動は積極的に行えるし、企業と学生が近かったりする。
自由がゆえに自分自身で決めていかなければならない。
3.
目的は
世界中の大学生が志をシェアし新たな出逢いを生むということ。
今、あなたが志を言うことは世界の学生に公言するということ。
僕らは去年からこの世界一周プロジェクトを始動し、
30年は毎年続けていきたいと思う。
だからあなたとの出逢いは僕らにとって宝物である。
と言っています。
毎回こんな感じで伝えられたり
もっと脱線したりもしますが、
このようなことを伝えています。
反応はもちろん人それぞれ。
羨ましいという学生は多いです。
このプロジェクトにも幸いながら
共感してくれています。
以上、ご報告です!
ではまた。