相性、、、、の問題なのかな
どうやら、私は いらない といわれたようで
私は、邪魔、らしい。
私の存在は、彼にとってどの程度のものなのか
世界最高の女性で、、優しくて、支えで、、というのに
愛する者の希望や、肝心の痛みや、感情は、どうでもいいのか
私の存在は、彼にとってなんなのだろう
まぁ、ずっと心の底に、、想い続けてはいたけれど。
世界最高の女性で、、優しくて、支えで、、というのに
愛する者の希望や、肝心の痛みや、感情は、どうでもいいのか
人と共にいても、人は裏切るもの。
だから、本質なんて見ない。自分も出す必要はない。
どうせ裏切るのに、他人と受け容れ合うなんて、くだらない。
他人は偽善者だ。 どうせ裏切られるのなら、先に裏切ってしまった方が賢い。
それが彼の想い。
2011年春、、、彼が東京に来て、私と行動を共にし始める時の彼は、そんな感じだった。
正直、、、酷かった
自分は腹黒いのだから、誰とでも上辺の振る舞いのみで付き合う。本音でなんて接することはしない。
そうすれば一切のトラブルを回避出来るのだから、あらゆる人間関係の本質なんて見る必要もない。それが賢い。のだと、、、、、、
だから、私と行動を共にしている時も、、常に上辺の振る舞いのみで、怒りやストレスや、一切の想いは全て奥にしまいこみ続けていたらしい
私には、、、唯一、心を開いて、、、受け容れているのだと、、、、
私はそう想っていた、、、
どうせ本音の付き合いしていたら、自分自身のドロドロしたものが全部外に出てしまって、、
傷つけたり、怒らせたりと別れとかに繋がってゆくから、だからそれが怖くて、私に対してすら上辺で振る舞うんだと、、、
まあ、、愛する人を傷つけてしまうのも怖いのだろう、、、
彼が東京に来た三月。
この三ヶ月、、、、あれから、彼とは色々あった。
様々な事を語り明かしたし、受け容れ合おうと、互いの捉え方、感じ方、等を話し合って、考えて、見つめあって、、、
自らの傷を乗り越え、、見つめたりも、、、
彼とは、遠距離で付き合い続けて実に、五年、、、、。
衝突は、付き合い始めた当初から、ずっとあった。
ずっと、、避けられなかった。
けど、、それでも愛しあっていたから、どんな衝突でも、捉え方の違いでも、なるべく受け容れ合おう、、わかりあおう、、と、頑張って見つめあってきた。
正直、最初の彼は、あらゆるものに疑心暗鬼だった。
でも、それは彼の辿ってきた道、、それに環境が、そうさせたんだろう。
戦いだらけの世界に生まれついて、、、長い間、ずっと戦い続けてきた彼だったから。
あらゆるものへの疑い全て、、
心の底の、、、傷だったのだと。
それを理解していたのは、唯一私だけだったらしい。
どんな裏切りも、、どんな怒りも。
全ては、、その根底に傷があるから、させたこと。
だから、、、それを癒す支えがあったらいい。
それを受け容れる者になれたらいいと、、、、
そうして、、遠距離という関係にありながらも、彼とは様々な出来事を乗り越えてきた。
そして、春、東京で彼との生活が始まった。
正直、今までのは演習。だったんだと想う。
二人が見つめ合うのは、これからがスタートなんだと。
しかし、、、私と東京で、共にいて、、、ずっと互いを、受け容れ合おうと、、試み続けていて、、、さすが、本番だとも思う。
受け容れ合う難しさを、ずっと、痛感している。
覚悟はしていたけれど、、
またまたかなりの悲痛、、、、
衝突する事が多すぎる。
正直、、気持ちを相殺するのは私の方が多いのだろう。
心身、、色々とボロボロになっている。
彼は、、たくさんの間違いを犯す。たくさん、、たくさん傷つけるし、たくさんのものを失うことも、承知していた
癒しや、支えが必要であるということも、、、、
それは、、始めからわかっていたこと。
なのに、、、、、
本当に、、彼は、、私を愛しているのか、わからなくなることが、度々ある
その心には、誰が 映っていて、
貴方は、"だ れ" を愛しているの?と 疑ってしまう
余りにも無意識に傷つけるから、、、、、
無意識に私のあら探しをしたり、捉え方や感じ方に、余りにもジャッジをする。難癖
本質的なことを話し合っている時ですら、、なんなんだ。それは。怪しい宗教か?なかなか懐疑的な人間だなぁ。
ただ、、たった、それだけ。
それなのに、一体どうして、
私に惹かれるのですか。と問うたら、、
その答えは、わからない。ただ、、自分を受け容れてくれたり、それが支えになるからかなぁ。
あとは、、どんなところが、、とか、わからない。けど、きっと憧れとかあるのかもしれない、、、、と。
一体、、彼にとって何が憧れなのだろうか、、、、 ?
彼の目の前にいて、私の全て、、純粋に、全ての心を開いた本質の私は、、、もう、そこにいるのに。
なのに、、、そのあら探しをして、、、
そうゆうことが、楽しいのか、、、疑っているのか、、、
決して偽善なんかじゃないのに
それに あなたの、、、、、可愛い可愛いお人形。でも、、ないよ、、
ほんとうに、本質を愛したいのだろうか、、、
ずっとずっと、、、アルトリア、君の全て。その本質を愛したい。と言っていたのに、
全て、受け容れたい、、そう言っていたのに
私の何かが気に入らなければ、
それだけで、、、私の本質すら、見なくなる
ほんとうの私を、、彼はまだ
知らないのではないのだろうか?
私は、、傷ついていてはいけないのに
この三ヶ月、、何度、、、
様々な衝突に傷ついて、悲痛になった?
それでも互いに先に進みたくて、私はボロボロになっても本質を信じ続けてきた。
そう、、全てには、本質が宿っている。
それは、人間関係や、動植物、政治や、戦いや、病や、神秘や、死にさえも、、、、
あらゆる事象に
その根源には、必ず万物共通 愛があるのだって、、、
私は 道 に成りたい、、、
神秘には果てはないから 完成にはないかもしれないが、
完璧であることを想いだしたい。
全ての生命、、魂が、完璧だった、あの原初に
それが、、私の根底。
だから、、進み続ける。
(自らを導き続ける)
愛に成るために、、
そうね 愛は、、、、、痛い。
受け容れるには、精神力がいるし、気力もいる。
何より、自分自身を、しっかり持っていなければならない。
けれど、、どんなことがあっても、信じる術は、きっとある筈なんだ。
愛することには痛みを伴う。
究極、素晴らしいと想うのは、迫害されても、偽善だと裏切られても、痛めつけられても、、その迫害者の愛を想えること。
その人は、自分自身が何をしているのか、本質的に、わかっていないのだから、相手を痛めつけたり傷つけたりすることが、どうゆうことなのかわかっていないのだから、どうか、、この者を気付かせてあげてください。
と、その者の 愛に願い、祈ること。
そして、、その人が、何に怒り、それによって何に傷ついて何に怯えているのか、、どうかその傷を、、癒したいのだと
そう願える、私のかつての隣人のように、なりたい。
犠牲を背負って、全てを愛に昇華した、十字架のあの人に。
まだまだ、私は頑張らなくてはいけないし、たかが20歳そこらだ
まだまだ、、幼い、、、、
でも、、、時々、むしょうに支えが欲しくなることがある。
それが、、蓮梨さん、貴方なのかもしれませんね、、、