私の最愛の師からのメッセージ
愛は、無条件だ。
愛は全面的な愛であり、全面的に愛するとは、
全ての知覚ある存在に、どういう存在で何をし、何を望むかという全面的な自由を与えることだ。
それは愛だ。
愛は手放す。けれど、私達がよく "愛"と混同する、 必要だ。という想いは反対だ。
必要だと思うとしがみつく。
それが、愛と必要だという思いを見分ける方法だ。
期待を手放し、要求を手放し、愛する者に押し付ける規制や制約を手放す。
制約されていたら、愛されていることにはならない。 全面的な愛ではない。
それは、自分自身にもいえることで
自分を制約して全面的な自由を与えないなら、自分を全面的に愛していることにはならない。
だが、選択は制約ではないことを、忘れないように
自分がした選択を、制約と呼んではいけない
子供達、愛する者の全てが良い選択が出来るように、もっている情報の全てを与えてあげること
良い とは、望んだ結果が生まれるような選択、彼らが最も望む結果になるとわかっているような選択のことだ。
つまり、幸せな人生だ。
どんな時にも、しっかりと向かいあうこと。
しっかりと表現すること
全面的な愛とは赤裸々で、隠れた問題や動機が一切なく、なにごとも隠さないこと。
全てを受け容れる~とは、今目の前に表れたものにあらがわないことだ
拒否せず、押し戻さず、逃げ出さず、抱きとり、つかみ、自分自身であるかのように愛することだ。
それは自分自身なのだから。貴方自身が創造した楽しいものなのだから。楽しまなければ別だが。
楽しまなければ、自身が創造したものを引き受けまいと抵抗することになる
抵抗すれば相手はかえって強くなる。
だから、楽しみ、喜ぶこと。
もし、現在の状況や条件が変えたいと思うようなものなら、別の方法で体験することを選択しなさい。
外へ現れた姿 、外見は全く変わらないかもしれないが、内なる体験は変えられるし、変わる。
貴方の決心次第だ。
貴方はそれを追求しているのだということを、思いだしなさい。
外見はどうでもいい。
内的な体験だけを考えればいい。
外の世界はあるがままでよろしい。こう在りたいと思う内的な世界を創造すること
それが、この世界にいるがこの世界のものではない。ということだ
それが、 マスター の生き方だ。
すると、賛成出来ないものであろうと、全てを受け容れるべきだということか?
何かを受け容れることは、変化を拒否することではない。それどこか逆だ。
受け容れられないものは変えられない
とくに自分自身がそうだし、外の世界でも同じだ
全てを、内なる神性の聖なる表現として受け容れなさい
自分自身がその創造者だと宣言しなさい
そうすればやっと、"それを創造するのをやめ"
られる。
そのときやっと、べつの新しいものを創造する力を認識出来る。
つまり、その力をもう一度、知ることが出来る
何かを受け容れるとは、それに賛成することではない。
賛成しようがしまいが、ただ、受け容れる。ということだ
悪魔だって、受け容れなければ悪魔を癒せはしない
このメッセージは、これからも繰り返すだろう
真実を何度でも、体験し、私は繰り返し聴くだろう。
ほんとうに 耳を傾けれるようになるまでは。
意識が繰り返していると気付いたら、
それは精神が繰り返しているから
メッセージ、、、、、、、やはり父は偉大だ