電気羊の夢 (その6)
時代に潮流というものがあり、
どちらの側に身を置くかで
その後の人生が大きく変わるという選択を迫られたなら。
どちらか、一方は間違いなく敗者となる
運命のくじを引かねばならないとしたら・・・・・
当然、迷いますよね。
誰もが必ず正しい選択を選び取れるわけではありません。
敗者の歴史は教科書に載せられることなく
人々の記憶から消えてゆきます。
何を基準に決断したら良いのか・・・・
右か左か
潔く割り切れるものではありません。
そこで、第3の選択肢をご用意しました。
回転です。
潮流という喩えで話を合わせますと、
水の流れに逆らうわけでもないのですが、
さりとて、いい様に流される木の葉のようでもない。
古武道では必ず、円環のエネルギーを技の中に練り込んでおります。
怪しくならない程度に解説しますと、受け流し→方向付け
を回転運動で発動させます。
合氣の理念は専門書に譲るとして、
日本古来の価値観、文化、生活の細部に、
こういった円運動のエッセンスが浸透しており、
現代の混沌とした閉塞感を打ち破る
道標となると確信しております。
今回はちょっと、重い文体になりましたが
いい加減な結論ですと、納得いただけないのじゃないかと、
予想して頑張ってみました。
次回はもう少し、砕けた内容で
回転について語ってみたいと思います。
そろそろ、ガラスの話 しないとね・・・・(滝汗)
電気羊の夢(その5)
「抑圧」と「解放」の二つの極で揺れ動く、
振り子運動のお話をしたところで前回は終わりました。
二元性の代表である「光と闇」の物語は多くの神話や小説、映画で
設定を変えて、長く語り継がれてきました。
宗教、芸術そして大衆娯楽の分野でも
いわば、鉄板ネタであるわけです。
それだけ、重要でもあり、解釈が分かれている
人類の命題といえるでしょう。
「善と悪」のせめぎ合いのゲームにどんな意味があって、
唯一の真実はどんなものなのかを考え始めると
神様にご登場いただくことになってしまいます。
「あ~wwww やっぱりっ!」
と、がっかりされた
あなた
ご安心ください。
当ブログでは一味違う
対案をご用意しております。
正負の綱引き
ガチンコ・パワーバトルから
あっさりと引退できる方法があります。
「人生、ほどほどのバランスが大事よ」
みたいな、ぬるい折衷案ではありません。
振り子運動でダメ なら他にどんな運動があるのか???
ありますっ!
回転運動です。
やっと、話を元に戻せました。(たぶん)
電気羊の夢(その4)
自らの殻を打ち破り、
魂を開放した先にどんなシナリオが待っているのか、
自分が映画監督や小説家になったつもりで考えてみてください。
主人公の隠された真の力を解放し
敵対勢力を退け、ハッピーエンドで幕を降ろしたエピソード1の
その先の話をプロデュースするとしたら、
どんな展開になるでしょうか?
お約束を遵守するならば、
やっぱり、「逆襲」に転じる流れにならなければなりません。
もう、これはそうなるしかないわけですよ。
大河ならば、なおさらです。
長いスパンで主人公の生き様を描くためには
絶対に必要なプロットです。
ズバリ!「葛藤」がないと、話にならないわけです。
次から次へと強敵が現れ、悩み、苦しみ、もがいて抑圧されまくり
で、ついに絶体絶命でございます。
あれ??
でも、これって、エピソード1と同じ展開じゃないですか?
実はその通りです。
エネルギーが大きいほど、反動は大きなものとなって
抑圧と開放の二つの極を振り子のように
行ったり来たりの繰り返しです。
「抑圧」と「開放」はセットなのです。
Luke ,it's your destiny.
Join me.
電気羊の夢 (その3)
今までは一応ですが、
サービス業に従事するものとして
控えめ?な発言を心がけていたのですが、
前回の記事を書いてしまったことで、禁断の蜜の味を
知ってしまったような心境です。
Let it go Let it go~♪
脳内エンドレス再生かっ?
しかし、ここでしばし
引っかかる。
日本語訳では「ありのまま」というフレーズになっていますが、
「Let it go」って放っておけとか、あきらめろといったニュアンスで
「Let it be」 のほうがなんとなくしっくりくるような気がしないでも・・・・
細かいことなんです。
本当に
些細な違和感でしかないのですが、
自らの心の移ろいをカタチにすることを生業とする者として
このザワザワをスルーする訳には参りません。
映画を観ていないのでここを突っ込むのは野暮でありますが、
炎上覚悟で今夜も掘り進めさせていただきます。
本当の自分 とか・・・
覚醒、解除、開放などなど、多いんですよ。
この手の設定が(わたしの周辺ですが、主に)
特にクリスマス直前から年末とかに
真必殺技&ゴールド神衣炸裂の大安売りです。
何を抑圧してるんですかねぇ?
。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+*゚゜゚ *+:。.。:+*゚゜゚ *+:。
脱線気味なので整理します。
社会では概ね、客観的視点と周囲との協調性が重要視されます。
学校や職場、ご近所さんとのお付き合いの場では
円滑な関係を望むあまりに本音や素直な感覚をある程度ではありますが、
封印せざるをえない状況が
常態化しているということなのでしょうか。
だから、「 解き放て 」と心がささやくのでしょうか。
カミングアウト
様々なシチュエーションが想像できますが、
とても勇気がいることですし、
必要なことではあると思います。
何より、スッキリしますよね。
しかし、その後
どのような結末に向かうのかは
驚くほど、ぼんやりとしたイメージに包まれています。
「奮闘しています」という現在進行形の話ばかりで
何が本当の目的かが定かではないのです。
実は抑圧から逃れる「手段」ではありますが、
開放そのものが最終的な「目的」ではなかったりします。
知らず知らずの内に「目的」と「手段」が入れ替わり
「手段」であったはずのものがいつしか「目的」になってはいませんか?
では、解き放たれ、自由を手に入れた後に
何を目指すのか、
考えてみようじゃ、ありませんか。
そこからが本当のスタートです。
あなたも あなたで それでいいのだ
電気羊の夢(その2)
前回の記事ではいきなり
想像力がイコール商品力なのだっ!
とぶった斬ったまでは良かったのですが・・・・
その後、モヤモヤとした違和感を感じておりました。
実は作品を作る際にもこのようなことが頻繁に発生します。
十分に熟考し、デザインを固めたつもりであっても、
実際に手を動かし、カタチにしてみると、
「コレジャナイ感」が全開で満ち溢れます。
本人的には手を抜いたわけでもないのですが、
どうしても納得できないのです。
そんな時はひたすら数の勝負に突入します。
このあたりは個人差があるかもしれません。
ファースト・インプレッションがすべてだという方もいるでしょう。
メロディーが文字通り、意識に降り注いだというエピソードも多いです。
個人的には圧倒的な数量をこなすことで
イメージが増幅され、熟成されて
深みのある表現にたどり着くと感じています。
さて、話を戻します。
なぜ、想像力と商品力が同義ではいけないのか?
確かに想像力と豊かな発想が優れた商品を生み出し、
他者がまねできない領域の価値を世に示すことで
革命的な変化をその時代にもたらすことがあります。
一人の天才によって成される事例です。
しかし、数世代にわたる弛まぬ努力と愚直さがそれに勝る
ブランド力の礎となるケースも有ります。
いわゆる老舗の格に相当するケースです。
受け継がれた志が民族レベルで発動されるような場合は、
もはや文化にまで昇華されて、
果ては人類の宝になる可能性すらあります。
誤解がないように慎重にそして
正直に言葉を重ねると、毎日ブログが書けそうデスね。
吹きガラスの教室でも、
「あー今、すごく いい事言ったかも~」
なんて、有頂天になったりするのですが、
夕飯を食べたあたりで、すっかり
脳内から消去されます。
困ったもんですね。
さて、結局また・・・・
迷路にはまってしまいそうなので、本日のまとめ(仮)を
記して次回につなげたいと思います。
つまり、結局のところ、何が言いたいのかという話。
メッセージがなければ、作品ではないのか?
意味が存在することを許すのか?
差異は優劣なのか?
そのすべての問いに全力でNOと答えましょう。
そんなことは断じてありません。
価値は相対的なものですが、
信念は主観的です。
迷いながらも進みましょう。
怖れながらも作りましょう。
変化と多様性に幸あれ
消しゴムを捨てた、
その先にこそ気付きがあります。