---概略---
これではみんなが平均を目指す世の中になってしまう。
そこからイノベーションは起こらない。
今回発表した子供達のように、目をキラキラさせながら自分の夢を語る時期は誰にでもあったはず。
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昨日、地元で開催さた「デジタルコンテスト」に参加してきた。
小学生や若い人たちがプログラミングやCGなど、デジタルな作品を発表するというもの。
小学生の発表を初めて見たが、とてものびのび、イキイキとした姿がすばらしかった。
そしてかわいかった。
まだプログラミングを学び始めて半年も経たないような子たちが、素直な発想で自分達がやりたいことを実際に形にしていた。
うまくいかないこともたくさんあったでしょう、大人たちの前で発表するというプレッシャーもあったでしょう、でもそれらを乗り越えた姿に大人達からは賞賛の嵐。
なにも完成系である必要はない。
未完で十分。
未完だからこそ、それをもっといいものにしようと努力する姿が人の心を打つ。
ブレずに一途に高みを目指そうとする姿はとても美しいと思う。
そういう姿に人は「応援したい」という気持ちを持つのではないだろうか。
まさに未完こそ武器。
若い人たちは自分の未完さを大いにアピールしてほしい。
この子供達のように、どんどん挑戦して欲しい。
そしてそれらを歓迎する世の中でなければならない。
また同時に、ここに問題もある。
未完が許されるのは子供だからだろ?
という声も聞こえてきそう。
確かにそれはある。
オトナになるにつれて完成度の高さを求められるようになってくる。
失敗が許されなくなってくる。
そうなるとこんな思いが生まれてくる。
「失敗をしたら怒られる。」
「何か言っても、どうせ失敗すると言われる。」
「失敗が怖い。」
「何を言っても、何をやっても無駄。」
この無力感と閉塞感・・・
昨日(2018/9/8)、「大学1、2年生が就職したいと思う企業・業種ランキング」について触れた。
いかにも「無難」な所が選ばれているのがとても印象的。
もちろん目的が明確でそこに入る具体的な努力している人には敬意を表すが、それはわずかじゃないかな。
今回発表した子供達のように、目をキラキラさせながら自分の夢ややりたいこと、挑戦していることを語る時期は誰にでもあったはず。
なのにいつからそういう気持ちは薄れていくんだろう?
本当は誰だってそれを失いたくないんじゃないの?
子供のころからあこがれていたこと、本当はやりたいんじゃないの?
いまもやりたい事あるんじゃないの?
っとは言っても、それを容認しない環境があれば誰だって萎縮する。
とてもとてもよく分かる。
「誰にでも可能」と「実際にできる」の差、というものを4日前(2018/9/5)に述べた。
本来、挑戦というものにはなんの制限もかからないものだが、それにリスクやプレッシャー、失敗した後の周囲の空気などが重なって見えてしまうとどうしても断念してしまう。
これではみんなが平均を目指す世の中になってしまう。
そこからイノベーションは起こらない。
平均がよかった時代もあるし、そうでなければならない時代もあった(2018/8/10)。
でも今はそうであっては生きていけないと誰もが分かっているのに、多くの人は飛び出すことに恐怖を感じてしまう。
挑戦できるのは「特別な人」という思いができてしまうのもある意味仕方がない。
そうではない世の中を作ることには意味があると思う。
そのためには、なにより挑戦することに対しての心理的ブレーキをはずせるような仕組みづくりを行っていきたい。
「大丈夫だからみんな挑戦しよう!」なんて言うだけでは誰も納得しない。
まずは挑戦することの魅力を理解できる仕組みがあること。
そしてそれをヨシとする世の中であること。
大きな事を言ってしまえば、そこに経済の発展や人口問題の解決の糸口があると思う。
未完こそ武器。
これが浸透するような活動を行っていく。