---概略---
今の若い人ってこういうことを求めているようだ。
そんな考え方がある組織はとても魅力的。
安心して成長できる仕組みや文化がある会社、それって大きな武器。
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「誰にでも可能」
この言葉に対して変な感情をもっている。
昨日(2018/9/4)の記事で使っておいてなんだが。
真であって偽。
これってアンビバレンスって言うの?
※アンビバレンス:ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、相反する態度を同時に示すこと。wikipediaより
最近覚えた言葉で使いたいだけだろ? なんて突っ込みはナシね(^^;)
ちなみに、某アイドルグループのファンな訳ではない。
人に夢を持たせることはできるかもしれんが、なんだろう、この無責任な言葉。
本当に誰にでも実現できることもあるが、そうは言っても簡単じゃない、って場面は結構ありそう。
「そりゃあんたはうまくいっただろうけど、あんただから出来たんだろ!」
なんていう気持ち、あるあるじゃない?
ちょっと定義したい。
「誰にでも可能」
ドアが開いている状態。
そこに入るのには何の制限もなく、足を一歩踏み入れるだけでいい。
物理的には誰でも入ることは可能。
「実際にできる」
そのドアに実際に入ること。
世の中で聞く「誰にでも可能」は、成功者がよく使う言葉。
実際にそこに入ってしまっていて、色々な経験をしているからこそ言える。
実際に、自身も何の制限もなく外から入ってきたのだからそう言うのだろう。
その言葉にウソがないことは理解でき、異存はない。
だからこれは真。
一方、「実際にできる」が難しい人にとっての感情はこう。
「だけどあなた、その昔にそこに入るとき、躊躇はなかったですか?怖くなかったですか?高級外車のショップなんて、そりゃなかなか入れませんよ。」 ←あるある
そうなると「誰にでも可能」は偽。
こういうときに使う「誰にでも可能」は、物理的に可能ということを言っているに過ぎないもので、「実際にできる」ことへの精神的障壁をあまりにも軽く扱っている。
そこへ入る恐怖を無視して、ドヤ顔で「みんなこっち来いよ!」なんて言っている。
つまり、成功者で「誰にでも可能」と「実際にできる」をごっちゃにしている場面をよく見る。
これはいかんでしょ。
昨日(2018/9/4)の記事で言えば、
「承認をするのには何の制限もいらない」
これは、
「誰にでも可能」
「承認をしてあげるのは照れくさい、あいつのことは認めたくない」
これは、
「実際にできる」かどうかの問題。
特に、自分が間違っていたときなどにありそう。
また相手が年下やポジション的に下の場合、自分よりいい発言をしたり手柄を上げたりしたときには認めたくない、ということは「あるある」じゃないかな。
前述したが「誰にでも可能」は無責任な言葉。
というより、「誰にでも可能」だけを強調するのは無責任。
赤ちゃんに対して「誰でも歩ける!さぁ、今すぐ歩け!」なんて言っているようなもの。
それはとても乱暴。
「誰にでも可能」は言ってもいいと思うが、それを言うなら必要なことが二つある。
1、「誰にでも可能」と「実際にできる」の差を理解しておくこと。
2、「相手が感じている障壁や恐怖を意識する」こと。
特に2については、それを取り除く対策を一緒に考え、具体的な仕組みを作る必要がある。
これは「見てくれている」という安心感につながる。
そこで初めて「なるほど!自分にも実際にできる!」という、納得や手応えを得るんじゃないかな。
人って、それがあって初めて一歩を踏み出すことができると思う。
「大丈夫!」という精神論だけでは動けない。
今の若い人ってこういうことを求めているようだ。
そして、そういう考え方がある組織にはとても魅力を感じるようだ。
安心して成長できる仕組みや文化がある会社、それって大きな武器になると思う。
これは会社の規模とか、そういうこととは全く異なる価値観。