学生と接していてこんな場面に出くわすことは少なくない。
「君ってこんな力があったんだな!すごいじゃん!」
しかし当の本人は、
「???」
という感じでキョトンとしている。
若い人たちは「自分がやってきたこと」に関しては割と話せるが、その奥に眠っている価値や学んだこと、それが社会にどう活きるかという「意味」について話すことが難しいようである。
ただこれは本人たちの能力の問題ではなく、とても気づきにくい部分だから仕方がない。
これは読書感想文を例に挙げれば分かりやすいかもしれない。
感想を述べるには物語のあらすじをある程度述べることが必要だが、そのあらすじだけで終わってしまうパターンは「あるある」である。
つまりこういうこと。
「今から桃太郎の感想を述べます。桃太郎は老夫婦に育てられ、鬼ヶ島に猿・キジ・犬と出かけ、鬼を退治しました。たくさんの宝を持ち帰り、老夫婦といつまでも幸せにくらしました。以上です。」
・・・・え? 感想は?
あの〜、あらすじはよく知ってます。
それより知りたいのは、そこであなたが「何を感じたか」なのですが・・・。
本の紹介になってますケド。
ってな感じ。
学生さんが貴重な経験をした部活動やアルバイト、それらに似た経験は多くの人も持っている。どんな経験をしたかは大体予想できる。
だからこそ聞きたいのは活動内容ではなくそこから得た「価値や意味」なのだが、いわゆる行動だけを話した「行動記録」になっているパターンも「あるある」。
多くの人々も似たような経験はあるため、 これではその人でなくても話せる内容になってしまう。
「あらすじ」だけを話した感想文モドキと同じで、主張がない。
おそらく、学生さんたちは行動を伝えただけでその「価値や意味」も述べた気になっているのだろうと思う。
この状態のままで面接に挑むことは何とも残念なのであるが、そういうことは決して少なくない。
そして、このことに本人たちが気づくのはちょっと難しいのかもしれない。
多くの採用担当者からそのような話も聞く。
問題は、それでその学生の人生がある意味決まってしまうこと。
「行動記録」だけで終わってしまい、相手に「価値や意味」が伝わらなかったらそれはとてももったいない!ということである。
その学生に眠っている力が評価されず、チャンスを逃してしまう。
これは企業にとっても学生にとっても損失である。
これは繰り返しになるが、学生はインプットの機会は多いがアウトプットの機会は少ない。
たくさんの知識や経験を自分の中に入れる事には慣れているが、それは教科書や参考書にあること、先生や親が言うことを言葉は悪いが「言われるがまま」取り入れている。
その意味について深く考え、外に出すことについては慣れていない。
その「慣れていない」ことを初めて現実として意識し、自身に向き合うのが就職活動ではないだろうか。
だから急に「価値や意味」を求められても戸惑って当然だし、それに気づく事も難しい。
学生とは「そういうもの」だ。
そこに良いも悪いもない。
学生が「価値や意味」を言えない原因は2つあると考えている。
1、そもそも気づいていない
2、なんとなく分かっているが言葉になっていない、定義できていない
ここで大事なのは、彼らが行ってきた行動には必ず「価値や意味」があるということ。
誰しも「持っている」のであるが、それを自分で分かっていない。
実にもったいない!
だからこそ、それに気づかせてやる、あるいはなんとなく分かっていることを言葉にする支援をしてやれば、本人たちは自分が「持っていた」ことにとても驚く。
この反応はとても興味深い。
面接を間近に控え、「なにもアピールできるものがない」、「何を話せばいいか分からない」等と言っていた学生が一瞬で覚醒(2018/7/15にも記述)してしまう。
ここでとても大事なのは「教える」のではなく、「気づかせること」である。
教えても納得が得られなければ「ふーん」で終わるし、知識や概念を強引に上乗せしても根っこがなく、表面を繕うことになる。
一方、気づかせれば「なぜできない?どうやればできる?」と、自身の深堀りにつながり根っこを見直そうとする。
これまで述べてきたことは、自分を新たに作るのではない。
繕う事とは全く異なる。
表面的な部分だけが作られた学生(2018/7/11にも記述)には意味がない
あくまで、過去の自分(2018/7/12にも記述)を「再定義」する事。
過去に実際に経験してきたことが根拠となっているので、繕う必要も嘘をつく必要も全くない。
腹の底から自信を持って言える「自身の価値」となる。
一昨日(2018/7/15)に、学ぶ場より表現する場が先だと述べた。
まずとにかく表現をし、愛のあるフィードバック。
さらに表現→フィードバックと、プレゼンを何度が繰り返す。
ここで学生たちは自身の「過去の行動の意味」が「定義」できていないことと、その必要性に気づく。
ここでやっと学びが意味を持ってくる。
そして「過去の行動の意味」が「納得できる言葉」で定義できたとき、彼らは自身の価値を明確に認識し、さらに活躍できる場を意識し、将来を描く。
そして彼らは口と揃えてこう言う。
「自分にこんな力があったなんて驚いた!」
「自信が持てた!」
「未来に希望を持てた!」
もはや目はキラキラである。
「持っている」ことを認識し、「覚醒」した彼らは実に頼もしい。
なおこのとき、「過去の行動の意味」を「納得できる言葉」で定義することはそう難しいことではない。
過去の行動からイメージできるキーワードをいくつか並べてやるだけでいい。
すると彼らは、
「自分が言いたかったのはコレだ!」
「それを言いたかった!」
などと目を輝かせ、次のプレゼンに取り入れる。
なぜそれができるようになったのか?
理由は簡単。
気づくことにより、いわゆる1のヒントから10を学ぶ体制が既にできているから。
この状態にまでこぎつけた彼らは、もはや自分自身でどんどん伸びていく力と、その楽しさが身についている。
そうなるともはや、表立った支援はあまり必要ない。
ちょっと困っていそうなとき、少しだけヒントを与えるだけで十分。
むしろ、そのような気づきや自発性をもたらす状態まで彼らを引き上げるプロセスこそが大事かと思う。
表現から始まり、愛のフィードバックを繰り返し、そこから始まる学び。
これこそが彼らの底力を引き出す大いなる支援になると考える。
フランスの詩人であるポール・ヴァレリー(1871〜1945)がこんな言葉を残している。
「湖に浮かべたボートを漕ぐように、人は後ろ向きに未来へ入っていく。目に映るのは過去の風景ばかり、明日の景色は誰も知らない。」
未来を語ることはやはり難しい。
過去をしっかり見てこそ、未来に目を向けられると思う。
前回予告した、
『「覚醒」のきっかけをつかんだ後の自身の深め方』
については以上。
次回は、
「文章化」、「ビジュアル化」、「表現すること」の意義
について述べてみたい。