何か理由があるはず
「何か理由があるはず」というお話です。
----------↓
近所の路上店舗を覗いたときこと…
そこでは、数々の野菜が売られていた。
見た目も鮮やか、しかも安い。
スーパーで買うより安そうだと私は感じた。
そこの店で商品を買っている人は、
正直あまりみたことがなかったのだが、
品も値段も悪くない。
小さな店だから見逃されてしまっているのかもしれない。
私は丁度、スーパーで買い物を済ませたところだった。
両手には買い物袋。
これ以上なにかを買う予定もなかったのだが、
安さに釣られた。
覗いて見れば
店主も人のよさそうな笑顔を振りまき、好印象。
レンコンやらじゃがいもやらを購入し、
計230円程度の支払いとなった。
しかし、私は両手に買い物袋。
バックから財布を取り出すのも苦労する始末で、
フタを開けたサイフから、
小銭を取り出すだけの作業にも骨が折れた。
しかも、サイフの中は
十円玉ばかりがぎっしり詰まり、
100円玉の姿がどうにも見当たらない。
一枚ずつ数えていた私は、最後の方面倒になり、
明らかに足りて余りある量を掴むと、店主に渡した。
「足りますか?」
私のその問いは
「余りがあったら返してください」という意味だった。
が、店主はそうは思わなかったらしい。
「うん……ありがとう」
明らかに充分すぎる金額を握りしめ、
店主は奥にさがってしまったのだった。
「高い」「安い」とは
私が余分に渡した量は、
せいぜい50円程度のことだったろう。
たとえば車を購入する時、
よりよい音で曲を聞きたいからとステレオを変え、
最新のカーナビを付け、
座り心地のよいシートに変えようとやっていれば、
あっという間に数十万の金が飛ぶ。
140万円がいつの間にか200万円に跳ね上がるミラクルに、
不平を言う人はいない。
そういうものだと、思っている。
そこの交渉で「50円安くなりますよ」
と言われたところでばかばかしい。
ところが、野菜で「50円」は大きいのだ。
高くなるにせよ、安くなるにせよ。
そうした微妙なラインで暮らす人々にとって、
50円の価値とはどれほどのものだったのだろう。
このご時世・・・
中小企業どころか大企業も悲鳴を上げる中で、
露天での商売がどれほど大変かはなんとなく想像がついた。
たった50円でも、
それが彼の生活の助けになるのかもしれない。
私も金持ちではないが、
50円で生活が逆転するような
位置に立っては暮らしていない。
あと数十円足りないという苦境は、
正直知らない。
しかし、世の中には、
ごく身近な私のご近所さんの中には、
数十円で生きるか死ぬかの瀬戸際に
暮らす人もいるのだろうか。
そう思えば、いたたまれなくなった。
人は集団で暮らし、経済は繋がっている。
誰かが困っているならば、
それはいずれあなたを巻きこむ
津波の兆候かもしれない。
ならば困っているその人を
見過ごすわけにはいかないだろう。
誰かに伝える必要がある。
人にはそれぞれ、見える立場や見えない立場があり、
共感を呼ぶのも難しいが、
しなければただ現象は流れて、消えて行く。
あなたにしか見えないものがそこにある。
それを私は知らないし、
あなたの友人たちもたぶん知らない。
それを伝えることによって、
自分には解決の糸口さえ見当たらない問題にも、
的確な判断が下せる人が現れるかもしれない。
それこそが助けあいの根幹であり、
共同体を盛り上げ、
さらには、自らを助ける一歩になると思うのだ。
–中藤里美
----------↑
いろいろな立場の人が、いろいろな思いを持って暮らしている。
そこには、自分の想像もできない状態や境遇が隠れているかもしれない。
なぜ、この人は、こんな行動をとるのだろう?
不可解に感じるときには、必ず、何か自分の知らない、どうしようもない事情があるのではないか?
という気持ちで、温かく、状況を見守ることを忘れないようにしたいと感じた。
以前、ピエロの風船と男の子の話をしたが、それときと同じ気持ちになった。
----------↓
近所の路上店舗を覗いたときこと…
そこでは、数々の野菜が売られていた。
見た目も鮮やか、しかも安い。
スーパーで買うより安そうだと私は感じた。
そこの店で商品を買っている人は、
正直あまりみたことがなかったのだが、
品も値段も悪くない。
小さな店だから見逃されてしまっているのかもしれない。
私は丁度、スーパーで買い物を済ませたところだった。
両手には買い物袋。
これ以上なにかを買う予定もなかったのだが、
安さに釣られた。
覗いて見れば
店主も人のよさそうな笑顔を振りまき、好印象。
レンコンやらじゃがいもやらを購入し、
計230円程度の支払いとなった。
しかし、私は両手に買い物袋。
バックから財布を取り出すのも苦労する始末で、
フタを開けたサイフから、
小銭を取り出すだけの作業にも骨が折れた。
しかも、サイフの中は
十円玉ばかりがぎっしり詰まり、
100円玉の姿がどうにも見当たらない。
一枚ずつ数えていた私は、最後の方面倒になり、
明らかに足りて余りある量を掴むと、店主に渡した。
「足りますか?」
私のその問いは
「余りがあったら返してください」という意味だった。
が、店主はそうは思わなかったらしい。
「うん……ありがとう」
明らかに充分すぎる金額を握りしめ、
店主は奥にさがってしまったのだった。
「高い」「安い」とは
私が余分に渡した量は、
せいぜい50円程度のことだったろう。
たとえば車を購入する時、
よりよい音で曲を聞きたいからとステレオを変え、
最新のカーナビを付け、
座り心地のよいシートに変えようとやっていれば、
あっという間に数十万の金が飛ぶ。
140万円がいつの間にか200万円に跳ね上がるミラクルに、
不平を言う人はいない。
そういうものだと、思っている。
そこの交渉で「50円安くなりますよ」
と言われたところでばかばかしい。
ところが、野菜で「50円」は大きいのだ。
高くなるにせよ、安くなるにせよ。
そうした微妙なラインで暮らす人々にとって、
50円の価値とはどれほどのものだったのだろう。
このご時世・・・
中小企業どころか大企業も悲鳴を上げる中で、
露天での商売がどれほど大変かはなんとなく想像がついた。
たった50円でも、
それが彼の生活の助けになるのかもしれない。
私も金持ちではないが、
50円で生活が逆転するような
位置に立っては暮らしていない。
あと数十円足りないという苦境は、
正直知らない。
しかし、世の中には、
ごく身近な私のご近所さんの中には、
数十円で生きるか死ぬかの瀬戸際に
暮らす人もいるのだろうか。
そう思えば、いたたまれなくなった。
人は集団で暮らし、経済は繋がっている。
誰かが困っているならば、
それはいずれあなたを巻きこむ
津波の兆候かもしれない。
ならば困っているその人を
見過ごすわけにはいかないだろう。
誰かに伝える必要がある。
人にはそれぞれ、見える立場や見えない立場があり、
共感を呼ぶのも難しいが、
しなければただ現象は流れて、消えて行く。
あなたにしか見えないものがそこにある。
それを私は知らないし、
あなたの友人たちもたぶん知らない。
それを伝えることによって、
自分には解決の糸口さえ見当たらない問題にも、
的確な判断が下せる人が現れるかもしれない。
それこそが助けあいの根幹であり、
共同体を盛り上げ、
さらには、自らを助ける一歩になると思うのだ。
–中藤里美
----------↑
いろいろな立場の人が、いろいろな思いを持って暮らしている。
そこには、自分の想像もできない状態や境遇が隠れているかもしれない。
なぜ、この人は、こんな行動をとるのだろう?
不可解に感じるときには、必ず、何か自分の知らない、どうしようもない事情があるのではないか?
という気持ちで、温かく、状況を見守ることを忘れないようにしたいと感じた。
以前、ピエロの風船と男の子の話をしたが、それときと同じ気持ちになった。
笑っているから幸せ
「笑っているから幸せ」というお話です。
----------↓
ある児童施設でのお話です。
その施設で働く寮母さんは50歳を過ぎて老眼鏡を必要とするようになりました。
肉体の衰えは誰にでも訪れると思いながらも、どこか寂しい気持ちを抱いていました。
ある日のこと、施設の子どもが声をかけてきました。
「先生、眼鏡をかけてるの?」
寮母さんは恥ずかしさから「老眼鏡だよ」と無愛想に答えました。
すると、その子どもは意外なことを言いました。
「よかったね」寮母さんが「何がよかったの?」と聞き返すと、
その子は次のように答えました。
「老眼鏡がかけられるまで生きられてよかったね」
その施設で暮らす子どもたちは、
みんな成人するまで生きるのが難しい障害を持っていたのです。
限られた命を生きる子どもたちは、こんな夢を持っています。
「お父さんとお母さんと、外でラーメンが食べたいな~」
「自分の家でゆっくりしたいな~」
「みんなと一緒に学校に行きたいな~」
そして何より「大人になりたいな~」というのが、彼らの夢なのです。
私たちは、今すぐラーメンを食べに行くことだってできるし、
家でゆっくりくつろぐことだってできます。
私たちは、彼らの夢をいとも簡単に叶えているのです。
普通の日、それは彼らにとって夢のような一日なのです。
夢は、いつか叶えるものではありません。
朝、目が覚めたときに、すでに始まっているもの、それが夢なのです。
愛する人と一緒に、ご飯を食べるときには、いつもこう思い出してください。
「私は、今、彼らの夢の中を生きている!」
会社から自宅に帰ってきたら、こう思い出してください。
「病院ではなく、自分の家でゆっくりできる。
私は、今、彼らの夢の中を生きている!」
そして、あなたの誕生日には、こう思い出してください。
「私は、また一つ大人になれた。
大人になりたかった彼らの夢の中を、今、生きている!
そして、大人になりたかった彼らの分まで、しっかり生きよう!」
あなたの今日の一日が、彼らの夢なのです!
だから、感謝の心で、勇気を持って、元気を出して、一歩を踏み出しましょう。
前向きにポジティブに生きましょう。
あなたは、楽しいから、嬉しいから笑うと思いますか?
それとも、笑うから嬉しいし、楽しいと思いますか?
どちらでしょうか?
小児ガンで8歳で亡くなった男の子が教えてくれた言葉があります。
それを私は生涯忘れないでしょう。
「悲しいときや、苦しいときほど、笑うんだよ」
田渕 裕哉
----------↑
田淵さん、ありがとうございます。
幸せだから笑っていられるのではなく、笑っているから幸せなんですね。
幸せの基本は、毎日笑顔、毎日爆笑 ですね。
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ある児童施設でのお話です。
その施設で働く寮母さんは50歳を過ぎて老眼鏡を必要とするようになりました。
肉体の衰えは誰にでも訪れると思いながらも、どこか寂しい気持ちを抱いていました。
ある日のこと、施設の子どもが声をかけてきました。
「先生、眼鏡をかけてるの?」
寮母さんは恥ずかしさから「老眼鏡だよ」と無愛想に答えました。
すると、その子どもは意外なことを言いました。
「よかったね」寮母さんが「何がよかったの?」と聞き返すと、
その子は次のように答えました。
「老眼鏡がかけられるまで生きられてよかったね」
その施設で暮らす子どもたちは、
みんな成人するまで生きるのが難しい障害を持っていたのです。
限られた命を生きる子どもたちは、こんな夢を持っています。
「お父さんとお母さんと、外でラーメンが食べたいな~」
「自分の家でゆっくりしたいな~」
「みんなと一緒に学校に行きたいな~」
そして何より「大人になりたいな~」というのが、彼らの夢なのです。
私たちは、今すぐラーメンを食べに行くことだってできるし、
家でゆっくりくつろぐことだってできます。
私たちは、彼らの夢をいとも簡単に叶えているのです。
普通の日、それは彼らにとって夢のような一日なのです。
夢は、いつか叶えるものではありません。
朝、目が覚めたときに、すでに始まっているもの、それが夢なのです。
愛する人と一緒に、ご飯を食べるときには、いつもこう思い出してください。
「私は、今、彼らの夢の中を生きている!」
会社から自宅に帰ってきたら、こう思い出してください。
「病院ではなく、自分の家でゆっくりできる。
私は、今、彼らの夢の中を生きている!」
そして、あなたの誕生日には、こう思い出してください。
「私は、また一つ大人になれた。
大人になりたかった彼らの夢の中を、今、生きている!
そして、大人になりたかった彼らの分まで、しっかり生きよう!」
あなたの今日の一日が、彼らの夢なのです!
だから、感謝の心で、勇気を持って、元気を出して、一歩を踏み出しましょう。
前向きにポジティブに生きましょう。
あなたは、楽しいから、嬉しいから笑うと思いますか?
それとも、笑うから嬉しいし、楽しいと思いますか?
どちらでしょうか?
小児ガンで8歳で亡くなった男の子が教えてくれた言葉があります。
それを私は生涯忘れないでしょう。
「悲しいときや、苦しいときほど、笑うんだよ」
田渕 裕哉
----------↑
田淵さん、ありがとうございます。
幸せだから笑っていられるのではなく、笑っているから幸せなんですね。
幸せの基本は、毎日笑顔、毎日爆笑 ですね。
人生に無駄なものは何もない
「人生に無駄なものは何もない」というお話です。
----------↓
『人生は学校である。
そこでは幸福より不幸のほうがよい教師である。』
- フリーチェ(ロシアの文学者) -
人間、誰でも、不幸な事よりも、幸福な出来事の
方がうれしいと思います。
ですが、人生を学校ととらえ、
成長や学びにフォーカスをあてるなら
問題や課題など、一見、不幸(アンラッキー)に
見える事もとても重要な経験になります。
たとえ、その時は、ただつらいだけ、苦しいだけで
何の意味も無いように感じられる出来事も、
5年後、10年後に振り返ると、非常に貴重な体験だったり、
そのことがきっかけで大きな飛躍なったりという事も
少なくありません。
そう考えると、
『人生に無駄なものは何もない。』
そう感じる事ができます。
また、全ての経験を自分の成長の糧(かて)にするには、
ジェームスから教えてもらった一つの質問が、
とても役に立ちます。
その質問とは
『私はこの経験を通して何を学んだのだろうか?』
というとてもシンプルな質問です。
ですが、この質問を自分の習慣にできるかどうかで
5年、10年のスパンで見た時に成長の度合いが
大きく変わってきます。
ぜひ、この質問を使って、全ての経験をあなたの
成功の糧としてください。
あなたの人生が素晴らしいものになる事を願って。
----------↑
失敗から学び、改善し続ける人生。
その生き様というか、プロセスが幸せを実感するためのスパイスになっていると感じました。
自分に乗り越えられない試練は与えられないんだ。
と思って前向きに生きていける強い心を持ちたいですね。
----------↓
『人生は学校である。
そこでは幸福より不幸のほうがよい教師である。』
- フリーチェ(ロシアの文学者) -
人間、誰でも、不幸な事よりも、幸福な出来事の
方がうれしいと思います。
ですが、人生を学校ととらえ、
成長や学びにフォーカスをあてるなら
問題や課題など、一見、不幸(アンラッキー)に
見える事もとても重要な経験になります。
たとえ、その時は、ただつらいだけ、苦しいだけで
何の意味も無いように感じられる出来事も、
5年後、10年後に振り返ると、非常に貴重な体験だったり、
そのことがきっかけで大きな飛躍なったりという事も
少なくありません。
そう考えると、
『人生に無駄なものは何もない。』
そう感じる事ができます。
また、全ての経験を自分の成長の糧(かて)にするには、
ジェームスから教えてもらった一つの質問が、
とても役に立ちます。
その質問とは
『私はこの経験を通して何を学んだのだろうか?』
というとてもシンプルな質問です。
ですが、この質問を自分の習慣にできるかどうかで
5年、10年のスパンで見た時に成長の度合いが
大きく変わってきます。
ぜひ、この質問を使って、全ての経験をあなたの
成功の糧としてください。
あなたの人生が素晴らしいものになる事を願って。
----------↑
失敗から学び、改善し続ける人生。
その生き様というか、プロセスが幸せを実感するためのスパイスになっていると感じました。
自分に乗り越えられない試練は与えられないんだ。
と思って前向きに生きていける強い心を持ちたいですね。
サーボメカニズム
「サーボメカニズム」というお話です。
----------↓
From:古賀令子
先日、柔道の師範の方と食事をしながら
「人生の大切な事」を教えて頂きました。
「柔道の基本は受け身である。
受け身とは投げ飛ばされる練習
人の前で叩きつけられる練習
人の前でころぶ練習
人の前で負ける練習。
柔道の基本では、
カッコよく勝つことを教えない
素直にころぶことを教える。
初めに負け方を教える、
しかも本腰を入れて
いさぎよく負ける事を教える。
その代り ころんでもすぐ起き上がる
負けてもすぐ立ち直る それが受け身の極意
極意が身に付けば達人である。」
「人生 七転び八起き」
という言葉がありますが
まさにその生き方ですね。
恥をかかないように
失敗しないように
傷つかないように
とほとんどの人は生きています。
あなたはいかがですか?
恥も失敗も怖くない生き方ですか?
Dr・モルツもプログラムの中で
こういう表現をしています。
私達の脳の中には、
「自動的に目標を達成するロボット」
を持っています。
このロボットのことを
「サーボメカニズム」と呼びます。
そしてこの「サーボメカニズム」とは
目標に向かって軌道修正しながら進む
システムのことです。
私達はちょっと恥をかいたり、
失敗したり傷ついたりすると、向いていないとか、
もう無理とか簡単に諦めてしまいます。
しかし、サーボメカニズムにとっては
非常に必要な情報、体験であり、
その情報、体験を元に私達を目標まで
誘導してくれるんですね。
長い人生には、カッコよく勝つことよりも
失敗したり、傷ついたり、
恥をさらすことの方がはるかに多いと思います。
これからは、人生「七転び八起き」。
失敗や、恥かくことなどを恐れず、
ドンドン挑戦していきましょう。
たくさん体験した人は、人の痛みを
理解できる、優しく暖かい人になれます。
そして自分の目標も確実に達成できます。
今年あなたはどんなことに挑戦されますか?
----------↑
そう、正に「潜在意識」がこの「サーボメカニズム」なのだと思います。
「潜在意識」に成功パターンを植えつけることができれば、人間はみんなその目標を自動的に達成するロボットのように「サーボメカニズム」として、失敗を糧にしながら、成功に向かって、無意識の内に突き進んでくれるわけですね。
この「サーボメカニズム」を使わない手はないですよね!
----------↓
From:古賀令子
先日、柔道の師範の方と食事をしながら
「人生の大切な事」を教えて頂きました。
「柔道の基本は受け身である。
受け身とは投げ飛ばされる練習
人の前で叩きつけられる練習
人の前でころぶ練習
人の前で負ける練習。
柔道の基本では、
カッコよく勝つことを教えない
素直にころぶことを教える。
初めに負け方を教える、
しかも本腰を入れて
いさぎよく負ける事を教える。
その代り ころんでもすぐ起き上がる
負けてもすぐ立ち直る それが受け身の極意
極意が身に付けば達人である。」
「人生 七転び八起き」
という言葉がありますが
まさにその生き方ですね。
恥をかかないように
失敗しないように
傷つかないように
とほとんどの人は生きています。
あなたはいかがですか?
恥も失敗も怖くない生き方ですか?
Dr・モルツもプログラムの中で
こういう表現をしています。
私達の脳の中には、
「自動的に目標を達成するロボット」
を持っています。
このロボットのことを
「サーボメカニズム」と呼びます。
そしてこの「サーボメカニズム」とは
目標に向かって軌道修正しながら進む
システムのことです。
私達はちょっと恥をかいたり、
失敗したり傷ついたりすると、向いていないとか、
もう無理とか簡単に諦めてしまいます。
しかし、サーボメカニズムにとっては
非常に必要な情報、体験であり、
その情報、体験を元に私達を目標まで
誘導してくれるんですね。
長い人生には、カッコよく勝つことよりも
失敗したり、傷ついたり、
恥をさらすことの方がはるかに多いと思います。
これからは、人生「七転び八起き」。
失敗や、恥かくことなどを恐れず、
ドンドン挑戦していきましょう。
たくさん体験した人は、人の痛みを
理解できる、優しく暖かい人になれます。
そして自分の目標も確実に達成できます。
今年あなたはどんなことに挑戦されますか?
----------↑
そう、正に「潜在意識」がこの「サーボメカニズム」なのだと思います。
「潜在意識」に成功パターンを植えつけることができれば、人間はみんなその目標を自動的に達成するロボットのように「サーボメカニズム」として、失敗を糧にしながら、成功に向かって、無意識の内に突き進んでくれるわけですね。
この「サーボメカニズム」を使わない手はないですよね!
足るを知り、感謝の心を持つ
「足るを知り、感謝の心を持つ」というお話です。
----------↓
幸福になり、不幸を避けるコツは「感謝の心」を持つことです。
私たちは生活の中で感謝と幸福の関係を目にしています。
誰もが感謝したいと思っていますが、人生の試練を経験する中で
常にすべてのことについて感謝するのは容易なことではありません。
人生では時に病気や失望、愛する人の死を経験するからです。
悲しみに暮れていると、受けている幸せに気付くことも、
将来すばらしいことが待っていることに対して
ワクワクして感謝することも難しい場合があります。
幸せに気付くには、最初は努力が必要だと私は思います。
なぜなら私たちは良いものを当たり前のように思ってしまいがちだからです。
住居や食物、友人や家族の温かさを失ったとき、そ
れがあることにどれほど感謝するべきであったかを悟るのです。
試練のただ中にあるときでも受けている幸せにはっきりと気付くコツは、
誰かを幸せにしようとすることです。
幸せな人の祈りは
「どうか、私が助けることができる人のところに私をお導きください」です。
ある方の経験をご紹介します。
ある夫婦のところにお見舞いに行ったときのエピソードです。
少しでも励ましや元気を与えられればという思いで行ったそうです。
病院に行くと、自分の片手に収まるほどの小さな赤ん坊がいました。
その子は生後わずか数週間のうちに、何度も手術を受けていました。
その夫婦は医者から、その幼い子供の命を維持するには心臓と肺に
さらに難しい手術が必要だと告げられていました。
私は、少しでもその夫婦を励まそうと思って病院に行きましたが、
自分自身もより深く感謝するという心を授かりました。
このように述べています。
「私たちは、もっと感謝の念を抱くいう選択ができます。
どのような状況にあっても、
受けている幸せにもっとはっきり気付くことができます。
あの日、私は、自分の心臓と肺が働いているという奇跡に
かつてないほど感謝しました!」
そして帰り道にも、自分の子供たちに与えられている幸せに感謝したのでした。
私も昨年の暮れに手術して入院しました。
回りの人は、皆大変な状況の中、明るく前向きに頑張っていました。
クリスマスがやってくるのに私には「クルシミマスだ」と言っている人もいました。
私が一番元気な入院患者だったと思います。
私が入院中にいただいた心は感謝の心、すなわち幸せでした。
そして、その気持ちを今でも度々思い出しています。
田渕 裕哉
----------↑
正に、「足るを知り、感謝の心を持つ」ということですね。
だから、幸せを実感するのは、そんなに難しいことではないわけです。
自分の気持ち一つで、すぐに、幸せを実感できるわけですから・・・
----------↓
幸福になり、不幸を避けるコツは「感謝の心」を持つことです。
私たちは生活の中で感謝と幸福の関係を目にしています。
誰もが感謝したいと思っていますが、人生の試練を経験する中で
常にすべてのことについて感謝するのは容易なことではありません。
人生では時に病気や失望、愛する人の死を経験するからです。
悲しみに暮れていると、受けている幸せに気付くことも、
将来すばらしいことが待っていることに対して
ワクワクして感謝することも難しい場合があります。
幸せに気付くには、最初は努力が必要だと私は思います。
なぜなら私たちは良いものを当たり前のように思ってしまいがちだからです。
住居や食物、友人や家族の温かさを失ったとき、そ
れがあることにどれほど感謝するべきであったかを悟るのです。
試練のただ中にあるときでも受けている幸せにはっきりと気付くコツは、
誰かを幸せにしようとすることです。
幸せな人の祈りは
「どうか、私が助けることができる人のところに私をお導きください」です。
ある方の経験をご紹介します。
ある夫婦のところにお見舞いに行ったときのエピソードです。
少しでも励ましや元気を与えられればという思いで行ったそうです。
病院に行くと、自分の片手に収まるほどの小さな赤ん坊がいました。
その子は生後わずか数週間のうちに、何度も手術を受けていました。
その夫婦は医者から、その幼い子供の命を維持するには心臓と肺に
さらに難しい手術が必要だと告げられていました。
私は、少しでもその夫婦を励まそうと思って病院に行きましたが、
自分自身もより深く感謝するという心を授かりました。
このように述べています。
「私たちは、もっと感謝の念を抱くいう選択ができます。
どのような状況にあっても、
受けている幸せにもっとはっきり気付くことができます。
あの日、私は、自分の心臓と肺が働いているという奇跡に
かつてないほど感謝しました!」
そして帰り道にも、自分の子供たちに与えられている幸せに感謝したのでした。
私も昨年の暮れに手術して入院しました。
回りの人は、皆大変な状況の中、明るく前向きに頑張っていました。
クリスマスがやってくるのに私には「クルシミマスだ」と言っている人もいました。
私が一番元気な入院患者だったと思います。
私が入院中にいただいた心は感謝の心、すなわち幸せでした。
そして、その気持ちを今でも度々思い出しています。
田渕 裕哉
----------↑
正に、「足るを知り、感謝の心を持つ」ということですね。
だから、幸せを実感するのは、そんなに難しいことではないわけです。
自分の気持ち一つで、すぐに、幸せを実感できるわけですから・・・