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1,680円
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大阪難波から 新幹線で帰って来ました 乗務員さんは丁寧で誠実な案内でした。
鎌倉から江ノ電で片瀬海岸・・開放的な・夏が盛んに・若さが燃えていました
夏が・逝く・ 南フランスの避暑地で・・幼なじみのヴァンカとフィルは友だちどうしから成長してゆく・・ひと夏の体験
古い映画をテレビでみて、文庫本コレット作「青い麦」をじっと読んだ
海辺での夏の遊びから・・風がやってきて・2階の窓をバタンバタンと揺らして・・「フィル、ヴァンカ」名前を一つにして呼んでいる・・バカンスからパリの方面へ帰る季節になった・・
若いカップルが、大人へ向かって、ひとつ成長して・・青い麦・・
伊丹幸男の歌、マイナーヒットの「青い麦」とは・関係がないのですが。
雰囲気を意識して歌創りをしたかもしれません。
テレビ映画「逃亡者」について 高木康文
はじめに
半世紀前のテレビから「逃亡者」、人間性を追求し、愛と正義の医師、キンブル先生の苦悩描いていた。無実の罪で死刑を宣告され、ジェラード警部が護送中、列車事故にあい「からくも・脱走」となった。命を救う医師、「逃亡者」をデビッド・ジャンセンが演じました。アメリカのテレビ映画で、日本では1964年から67年まで、放映されました。この「逃亡者」が絶対に忘れられません。昭和の年号では西暦から25を引き算して、下2桁で昭和39年から42年となります。私の視聴していた年は15歳の中学生から、18歳の高校のころでした。まず始まりの設定は、インディアナ州スタッフォードの小児科医リチャード・キンブルは、妻と口論となって、家を跳び出したが、帰宅すると妻が殺されていた。そのとき片腕の男が家を飛び出していくのを目撃した。警察はキンブルを犯人として、裁判の判決は有罪で死刑を宣告される。死刑を執行されるために、ジェラード警部の護送を列車で受けるが、列車事故でからくも脱走して、真犯人を追って逃亡者となる。これだけのきつい設定はふつう吞み込めないし、何しろ悲しくて、重い感じで頭の中で今も、残っています。
1.ドラマの冒頭ナレーション
「リチャードキンブル、職業医師、身に覚えのない妻殺しで、死刑を宣告され、列車事故にあって、からくも脱走」「正しかるべき正義は時として召しいることがある・・映像(目隠しされた天使が計りの分銅を見れない)・・」この映像とナレーションが流れて、週末の限りある時間に、押し黙って、見るしかなかった・・やるせないメロディが「ミ・ラ・ソ・ラー・・」バックを流れて、私の少青年の意識に我慢をするように、というアイテムのひとつのように、響きました。落ち着いて今、想ってみると、そもそも殺人事件で無実の人を何を証拠に、死刑を宣告するのだろうという、いくらドラマであっても、題材になるということに納得がゆかないのです。さぞ苦しいだろうと考えつかない、そんな設定というのが絶対に放っておけない、という私の受け止めが少青年にでもありました。重くずしんとした鎖が絡まっていました。ただこの社会にはきちんと整理できないことは、いくらでもあるから、見て聴いて、心にとどめることと思いました。
このドラマは毎週末の夜8時から、キンブル先生は毎回1時間もので、視聴者に強い感銘を与えて、ポリスから、逃げてゆきました。走り去る後から、アメリカの警察官は銃を抜いて撃ちます。当然ずっと納得がゆきません。撃ってもいいのですかと。
このスト―リーの大事な人物は、キンブル先生の妻が殺された現場から走り去った、片腕の男です。真犯人に間違いないと、逃亡者はこの片腕の男を追って、全米を旅しているのです。逃亡しながら追うのです。そして警察側の追いかける、敏腕刑部のジェラードは場所を変えて、ずっと追い続けます。
髪の色を変えて、瞳の色もコンタクトレンズを入れて変える。列車の操車場から貨車に乗って移動したり、時には行き倒れているのを助けられもします。そっと目立たないそぶりを逃亡者はしていますが、登場する人たちは何か事情があると察して、キンブルの正体がわかっても、キンブルの人柄に魅かれて逃亡の手助けをします。一つの話の中で生死にかかわるような話のときでは、キンブル先生は傷ついた人を手当てして、ヒューマニズムの限りを尽くします。怪我を負って、出血した女性の血管を、キンブル先生は指で押さえます。出血多量で死んでしまうからと。その女性の意識があって、もう一人の人が居るわけです。女性は「・・逃げて・・」と言います。警察が来るところでパトカーのサイレンが聴こえています。「わかった」「ここをこうやって押さえるんだ、わかるか。」もう一人の人は、「わかった。」「早く逃げて・・」と言います。
ジェラード警部は毎回には出てきませんが、執拗に追いかけてきて、何かキンブルが命をかばうという行動をみて、逃亡者に余計な容疑をかけないようになってゆきます。キンブル先生は、単純な労務もしてみたり、一般の家庭の運転手として、働きもしました。長くは続けられないので、使ってくれた人に感謝をして、また旅、真犯人を追う逃亡者を続けます。アメリカには州警察や郡警察、市や連邦とか種類が多いです。通常の一つの話の始まりに、キンブル先生、逃亡者と見抜かれていて、いきなり警察官が殴ってきました。「出ていけ、郡警察に逮捕させるぞ」あまりよく日本ではわかりませんが、その程度の警察とはどうなんでしょうか。とにかくあらゆる話題性の一話を毎週やって、全米でのテレビ映画の高視聴率を記録していったという、ヒット番組でした。私は興味本位では見ていられない、異文化もかなり感じます。回を重ねていって、とうとう最終回を見るときが来ました。最終回は全米で50%の視聴率を出したということです。日本でもこの放送日には銭湯がガラ空きになって、テレビにかじりついた視聴者が多かったのです。
片腕の男を追ってキンブル先生が、片腕で運転して逃げる車を、車で追いかけます。カーアクションで、場所はインディアナ州のスタンフォードで、キンブルの妻が殺された事件のあった、故郷でした。送電線の塔でしたか、片腕の男が登ってゆき、キンブルも登って、殴り合いのアクションでした。片腕の男は拳銃を、キンブルに向けて、不敵な笑いをにじませたとき、塔の下に来ていた、ジェラード警部が片腕の男を銃で撃って、下に落としました。キンブルを守りました。そして下にもう一人の人物が居ました。キンブル先生の奥さんを片腕の男が殺すのを見たということを、ジェラード警部に伝えていて、ライフルを持ってきてて、片腕の男を殺そうと思っていたのです。ジェラード警部は片腕の男が死んだので、「これであなたの証言しか、真実が語れない、証言を法廷でするのか。」と問いかけ、震えながら目撃者は、「する。」と答えたのです。製作する方からみると確かにはっきりするのでしょうが、アメリカのドラマですから、銃をすぐ持ってくるとか、何かを黙っているとか、違和感が当然あるのです。日常との違い、またそれほど自分の居る社会が、混とんとしていないと思っているからでしょうか。
その後、法廷から自由の身になって出てきた、リチャード・キンブル先生を新聞記者がインタビューします。「キンブル先生、感想をひとつください。」
「ゆっくり休んでから・・仕事に戻ります。」
これを長く待ち望んでいたのです。あまりに危機的な設定で、「逃亡者」という題名で、英語では"fugitive"という単語だけで、英語は表音文字ですのであっさりとしています。表意文字では、使うと気持ちが入るのですが、これは余計かも知れません。私はそんなに簡単に死刑とか無罪、犯人でもない人を裁判にかけたことです。「感想をひとつ」だのはないでしょうと思いました。異文化を大きく感じます。特に銃を容易に発砲するアメリカの話です。感情や真の愛情、人のことをもっと、大事にして、文化や社会は法律は、人を守るために存在しなければならないと、強く思います。視聴していた年齢が中学生から高校生でしたが、登場する一般市民が友好的なのに、人柄に惹かれてという理由は、ちょっとおかしいのです。狭い日本なら、誰にでもどんな人にもが、ふつうに友好的なのです。
まあ全米のトップの視聴率を記録したのは、それに有効なものだった、狙いだったでしょう。どんなことがあって、どんな人であっても、根本的解決が正しい結果で、始めからそれを考慮されなければ、いけないでしょう。こういう印象を強く与えて、よく考えて創ったドラマです。裁判の中身は当然関係ないので、出ていませんが、無実の死刑とは何を根拠に、総計して考えたか、そちらの方を深く思ってしまいます。そういう問題を考えさせるために、逃亡者の立場から人道の限りを尽くすという、物語を創ったと思います。しかし極端にきついことも考慮して、なんと言われようとも、このストーリーで生かすという、強い強情の意図も推測されて、よく考えると言えます。
テレビ映画「逃亡者」の話は、当時見ていた私は友人とも話しました。あれは暗いから見ないのだ、と受験にも受かって、成績の良かった人は言っていました。
ここに最近見た「逃亡者」の最終回のビデオを掲載します。正義はときとして召しいることがある、人殺しで死刑のことですからそんなことは話題にも、確かにしたくないですね。
・・40~50キロで走って・前の車と車間を開けて 追従・停車
アクセルとブレーキの踏み間違えの自動制御で防止装置がよいですね
大阪の大和路線で201系電車
環状線内回りで 大阪 そして 京都行きで新大阪へ
観潮船で 見れました
★ 浜〇 由紀子さん ぜひ ご連絡をください
ペネが ミレーユさん でした。
いらっしゃい ひとときの甘い気持ちを・・
上の横型の女性像のイラストは、色違いも作りました。
「ココナラ」や「ランサーズ」で販売しています。
どうぞよろしくお願い致します。
流山線
子どもの時代から今へと 時が流れました・・hvf-tysk@technet.ne.jp Gメールは設定しておりませんが、何かお話のある方で、メールのタイトルで わかるようにしていただければお返事いたします
アジサイと相模鉄道の12000系 21000系 20000系
・以前の勤め先での経験から・・
お客さんから、書類の書き方がわからないという電話を受けました。ガソリンスタンドの上の喫茶店の女性の店長さんからでした。・・とても心情が誠実でまっすぐな話し方の女性でした。それですっ飛んで訪問して、書類を回収してきました。・・関係のある系列の男性の営業社員さんもいて、最高に紳士でした。
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田中健さんの歌った 「生きる」「木漏れ日」 この歌を検索してユーチューブで聴くと心が 休まります ☆★
「紅色の馬車」
街並みの彼方に 火が付く 夕焼け 空が朱色に燃える
初冬の一日が終わろうとするとき キャンバスを口紅で塗りつぶすように
真紅のバラの花びらを煮るように 赤が燃える
夕焼けに向かって 紅色の馬車がゆく 今日あった喜びと悲しみを
窓から眺める人の心から 積んで 軽い車輪の響きと鞭の音を残してゆく
耐えきれない悲しみが燃えている 心の血が自由に流れるかように
紅色の馬車が 夕映えの中 燃え残りを 回って そして 遠ざかってゆく
突っ張りお姉 これは新作
以下のアマゾンキンドルの私の詩集は~時を経ても、何かに疲れた時の癒し・の詩集です。自然と 苦労人の吟遊詩人は 気持ちを吐き出して また朝焼けを見ます・・あきらめはそこで止まっていないことですと想っています。詩とイラストの組み合わせのポエミーも少しだけ添えました。・・ポエミーやイラストは 別に 私から安価で販売します。 ココナラやスキマ、ランサーズでも出品していますが、購入の仕方などがやりにくいのと、高価ぎみになっています。 ・・お手元に 届けるのが第一なのです。・・くたばったときは あきらめ広場を 心につくりましょう。
詩集 愛と命の渇き
蒼い結晶:零れおちた詩の雫の瞬く水底で(22世紀アート)
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hvf-tysk@technet.ne.jp Gメールはうまく届きません。市役所事務40年をやりましたので、個人情報は守ります。
昨日、カラオケ居酒屋「友」で古い ポピュラーソングを歌ってきました。ご一緒に最果ての赤ちょうちんでグイっと飲みましょう。
第2詩集 アマゾンキンドル 高木康文 「愛と命の渇き」 紹介文
苦労人の吟遊詩人が第2弾の詩集を紙で出版後月日が流れて、電子出版にまた登場となりました。俺たちの旅20年目の再開でしょう。独りぼっちから出発、家族ができマイナスからの子育て、もう泣く暇なく馬車馬のように相変わらず、苦しみや影と友だちで、青春の光と影の境目を歩いています。嫁の実家が四国方面で、夜行バスや飛行機にみんなで乗りました。大きな飛行機事故のテレビを見て、涙が止まらなかった・・・123便が垂直尾翼の破損から山中に墜落したが、4人の奇跡の生存者に12歳の少女がいた、素直な心は命の糸をつないだ・・病院の屋上から手を振るのを見た・・本編にあります。少女の表情を忘れ得ない・・。
(今の時代 写真は電子版には掲載ができていません。・・そっと時の毛布にくるまれて・・生きる力・の象徴として、強く・・心にしまっています。)
常に付きまとう映像的女性像、母性愛を求めて、花の心、蝶が感性を意図として飛んでくる、「過去からの黒い蝶」、四季の中に匂いと記憶飛行がある。 略 本編の後ろの方にⅢ生と死の接点のところで「白い薬」があります。どうしたら、社会に出ていけないという結論から自ら死んでゆく人、若者に待ったをかけられるかを、仮定しました。彼女という人が居るのに、妊婦さんが居るのには、無理があります。そうでもしないと止められないのでは、と思いました。 略 そんなとき趣味、苦悩の記録を血と汗が染みたノートで本音を吐くのでしょう。学校に登校できない若者を、集団でみるという塾、親からうとまれた子供の居場所があるようです。舞台となるところ、1950年代の仏独合作映画「マリアンヌ」日本では、「わが青春のマリアンヌ」です。若杉慧の「エデンの海」もそちら系でしょう。しょせん作り話と言われますがね。ドイツ映画「制服の処女」は涙を流して見ましたが、校長先生は「何という醜態の限りです。」の次には少女の手を握り、「私が間違っていました。」と言います。この言葉で、ふーっと、私も息がつけます。本編のⅣ後からの作品では、けっこう自分では突っ込んだものを加えました。空想でこんな優しさがあったらすごいとかを、ショートストーリーのように、詩から少し背伸びをしてみました。「子犬の瞳」は実体験をもとにしています。「生命の果実」は、テレビ映画で古いですが、見ていたコンバットから、発想しました。 略 降りかかる火の粉は、打ち払わねばならない、という日本史からの言葉もありますが、何でもかんでも受け入れられないという姿勢はあります。でも、なんだかんだ言って遠回りして、いつも後からわかるのは、私の常です。「遠回りして」はそれですね。私の好きな小椋佳さんの歌詞にもやはり出てきます。ここで詩を書いて、イラストも描いて、一緒に貼り付けるポエミーと言われますが、表紙の次のもので、「夏の虚しさ」に触れます。季節の強さがあるのに、陽の光の下、虚しいというのは、寂しさからの体験ですが、きついです。一人ぽっちでプールへ行ったり、詩の本や、一時はやった小説の村上龍さんの「限りなく透明に近いブルー」を持って、海水浴、一人で行きました。これは家族ができる前でしたが、仕方がありませんね。おそらくアパートの一人暮らしが長かったし、全部自分で身の回りをするのは大変ですが、自由がありました。先に電子出版の「心の血」と描いたものは振り分けもしています。第2弾では、主に家族がちょこっと出てきます。想い出して書くと、後からのは少しひねりが入っていて、誇張や多色彩になってきたようです。仕事の影響で、酒場、スナックですが、高い値段は避けましたが、行くたびに綺麗な女性が接待してくれて、昭和・平成は派手でしたね。行くコースは自分だけなのか、仕事の付き合いなのかで変わりますが、若さというか中年でしたから、仕事の気晴らしの鳥の水浴び場のようでした。行きつけの居酒屋カラオケは最後は家の近くにありました。ママ、いいことないよー、あらやっちゃん、オハヨー、金曜日のアフターファイブ、私の詩の頭の中のスケッチもしました。飲んで帰って、とことん考えても、よく書き直して、夜の蝶の世界でしたね。私、高木康文のホームページやブログもパソコンで、失敗しながらできていきました。鉄道を撮る、撮り鉄のユーチューバーチャンネルも作りました。ここまでやっと到達してきて、でも吟遊詩人は内気な少年です。 略 やはり血を吐いて、太宰治が生き続けたかの気がします。書く力はもちろん及びませんが、優しさって続けられる必要が、とても大きいです。
悩める人は、決して自分だけではありません。夜が、明けなければならないですね。
私の著書一覧です。
私の著作一覧 夏のお嬢さん
20代の悩みの中に居た時、祖父といっしょの写真、祖父は東京大学 旧 帝国大学を出て、戦前・戦中の逓信省で船を設計した・・香港にも赴任したということです。
地方公務員・市役所を40年やりましたが 人間関係は 粗暴な印象 役所のは紳士淑女ではありません。
しかし、こちらからは きちんとして対応します。
きつい言葉でないと 命令よりも自分のやりたいようにしてきます。リーダーシップを丁寧にやりましょう。下が上を使う、これをしっかり考え直しましょう。人は心です。
やっちゃんこと 高木康文の第3詩集「蒼い結晶」の宣伝をさせていただきます。苦しいときのもがきを言葉に吐き出しました。紙で平成の中頃に出版しました。今は私の手元に100冊ありますので、送料込み 500円で直接販売いたします。hvf-tysk@technet.ne.jp までご連絡をお願いいたします。
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私のイラストや作品は ココナラ スキマ ランサーズ で販売しています。お届けできたら跳んで喜びます。
イラスト全部まとめてお届け
ココナラ スキマ ランサーズ