①被害者意識の強い児童
4年男子(S)。毎日のように友達に暴言を吐く。
しかしそれと共に嫌な言葉を言われたと担任に訴えてくる児童でもある。

その男子児童が相談にやってきた。
S「僕は何にもしていないのに、嫌な言葉を言われました」
T「そのとき、あなたは何か言いましたか」
S「言ってません」
T「この数ヶ月間、あななから嫌な言葉を言われたという人を沢山聞きます」
S「……」
T「言ったことはありますか」
S「…うん」
T「2組は全部で30名います。

この30人の中でよく文句を言っている人は何人いるかな」
S「5人ぐらいだと思う」
T「じゃあ、あとの25人って誰か他の人から文句を言われたり、

嫌な言葉を
言われたりしているのかな」
S「それは無いと思う」
T「そうです。文句や嫌な言葉を言わない人は、

他の人からも言われないんです。
止めてもらいたいのなら、あなたも言わないことが大事なんです」
S「でも僕は最近言わないようにしています!」
T「一度でも文句を言った人と遊びたい?それとも遊びたくない?」
S「勿論遊びたくない!」
T「あなたは今、そう思われているんだよ。一度でも嫌なことを言ったら、
あいつはそういう奴、嫌な言葉を言う奴と思うでしょう。
だからそれを変えるには、いい奴と思われるまで、あなた自身が、
もっと努力したり、我慢するしか無いんだよ。25人を見てごらん。
誰からも嫌なことは言われないし、みんなと仲良く遊んでいる。
時間はかかるかも知れないけれど、そうするしか無いと思うよ」
S「…」
T「みんなと仲良く遊びたい?」
S「うん」
T「先生も協力するから、少しずつ変えていくと良いと思うよ」
S「うん」


②陰湿ないじめ行為をする児童
5年女子(K)。

ある女子児童の靴ロッカーに攻撃的な手紙が入っていた。
いじめに繋がるような暴言が多く綴られていた。
筆跡、その時間帯に昇降口にいた人から判断してK子に間違いない。
他の児童でも似た事があったので、加害者は彼女であることは
クラスでは周知の事実である。しかし本人は完全否定。

翌週の学級活動の時間にこんな話をした。
T「実は先週の○日、とっても残念な事がありました。
靴箱に○○と書かれた手紙が入っていました。
(被害者名は明かさないが、書かれたことを一通り読む)
T「こういった事について、みんなはどう思いましたか」
S「(多くの児童に指名。頷いたりしてみんな聞き入る)」
T「K子さんはどう思いましたか」
K「すごくいけないことだと思います」
T「あなたが被害者だったら、書いた人に何て言いたいですか」
K「もうやめてって言いたいし、絶対許せません」
T「そうですね。先生もそう思います。こんな最低なことをする人が
このクラスにいるはずがありません。

もし万が一クラスにそんな人がいたら、とっても悲しいです。

それに名前を書かないで一方的に相手を攻撃するのは
あまりに卑怯な行為です。先生も絶対許せません。皆さんはどう思いますか」
S「(賛成意見が多数。但しK子のみ苦虫を噛みつぶした顔をしていた)」

この日を境にこういった“事件”は一切無くなった。
それはK子が衆目の中で「絶対許せない」と宣言してしまったからだろう。

 


③保健室通いの児童
5年女子。A子は中学年以降、

体の不調を訴え、度々保健室に通う。
授業中も途中で退席するので、保健係が付き添い、保健室まで同行する。
ただ体の不調というよりも自分の受けたい授業だけ教室に入り、
やりたいことだけ参加する傾向にある。
ある体育の時間。
A「先生、死ぬほど具合が悪いので、保健室に行っていいですか」
T「いつも外で遊んでいる?」
A「いいえ」
T「体の調子を良くするために、これからは休み時間は外で遊ぶといいよ」
A「ハイ!(元気な声)」
T「じゃあ、明日からそうしますか」
A「…」
T「返事はどうでもいいです。ハイ!を100回言っても何にもなりません。
これからまた具合が悪くなって、保健室に行っても構いません。
でも中学、高校になってもそうしますか。

それでは自分のためにならないし、悲しいんじゃないかな。

自分の気持ちを変えていくのだが大事だと思うよ」
A「…」


④被害児童への対応
4年男子。N君は怠惰な生活を送っていて、

その上暴言や暴力が日常的である。
低学年時からずっとその調子で、

いくら指導をしても改善が見られない。
周囲の児童は常に迷惑を被っている。

また被害児童がやってきた。
S「先生、N君がまたボールをぶつけて
きました!」
T「あなたはN君と遊びたい?
それとも遊びたくない?」
S「遊びたくありません!」
T「だったら、遊ばなければいいんじゃ
ないのかな」
S「…」
T「友達って、一緒にいて楽しい人が友達だよね。

嫌だったり、楽しくなければ、
遊びたくないでしょ?あなたが遊びたいと思う人と遊ぼうよ」
S「でもN君から遊ぼうって言われたどうしよう?」
T「他の人と遊ぶから、ごめんね、でいいんじゃないかな」
S「ハイ!そうします!」

N君が最上級生になったとき、担任のBから相談を受けた。
B「N君の対応方法、H先生はどうしていました?」
H「今、N君はクラスでどんな状態なんだろう」
B「N君は暴力や暴言がひどくて、殆ど一人でいます」
H「いろいろ指導してみたんでしょう?」
B「ハイ!でも変わらないんです」
H「私も受け持った半年間はいろいろ改善を試みたけれど、

何ら変わらないので、途中から方針を変更しました」
B「どうしたんですか」
H「たぶん1年の頃から担任がいろいろ指導してきたと思うんだ。

それでも変わらなかったので、改善は難しいと思う。

だから後半は他の児童を
守るための盾になったんです」
B「どういうことですか」
H「暴力や暴言で他の児童が悲しい思いをしないように、

アンテナを張ったんだ。つまりN君の指導というより、

他の39名が楽しく生活を送れることを主眼にしたんだ。

もしそれでも何かトラブルになったときは当事者同士での
解決は絶対させない。私とN君だけの話し合いに変えたんだ。
だからBさんの場合は小学校生活最後の1年が楽しかった言えるように、
クラス児童を守る壁になると良いと思うんだ」
B「そうだったんですか。分かりました、

私もそうします。有り難うございました」


⑤徒党を組む女子3人
6年女子3人組。常に徒党を組む。

悪質な悪戯や行為を繰り返す。
クラスメイトや旧担任への嫌がらせも多数。
 

当時の学級編制は隔年実施だったので、

2年間クラス児童は変わらない。
また5年担任もそのままスライドして、

最上級生の担任になるのが常識だったが、5年時に学級崩壊。

交代してそのクラスを受け持つことになった。

受け持った2ヶ月間で起こした“事件”は,
掃除ロッカー荒らし、
理科室で3人揃って小便。
揃って授業を遅れてくる、
一部の女子児童を標的にし、机に落書き、
靴箱にゴミ、教科書破り…。
挙げればきりが無い。

まず取り組んだのが3名を引き離すことだった。
係、当番、机配置、グループ活動、全て離して距離を作らせた。

しかし、
「先生、具合が悪いので保健室に行っていいですか」
「先生、調子が良くないので、体育を見学させて下さい」
不調を訴えるときは必ず3名でやってくる。
こういった時、あなたなら何と声を掛けるだろうか。

T「3名揃って聞きに来るのはやめなさい」
S「だって具合が悪いんだもん」
T「3人同時に、しかも3人揃って、

たまたま先生に言いに行こうと思った、こんな事って、あるかな」
T「誰かが言って、後の二人が賛成したんじゃないの?」
S「そうだけど…」
T「今日から話は一人ずつ聞きます。揃ってくるのは認めません」
S「そんなあ!」
T「周りを見てごらん、具合悪い人が揃ってゾロゾロやって来る?」
S「無いけど…」
T「はい、話はこれで終わり」

これ以降は一人ずつになった。そしていつの間にか聞きに来なくなった。
それは1対1になると一気に弱くなるからだ。
例えが悪いが、暴走族は徒党を組むから怖い。
一人だけで走っていたら何ら怖さなど感じないし、
そもそも一人では大それた事など出来るはずもない。


⑥修学旅行
6年男子の不登校児童。低学年時からゲームに夢中で昼夜逆転。
5年時の出席は2日(野活のみ)という話だった。6年時はゼロ。

保護者が修学旅行実施2週間程前に来校した。
P「うちのが修学旅行に行きたいというので、

連れて行ってもらえないでしょうか」
T「今の修学旅行のやり方をご存じですか」 P「分かりません」
T「昔は全体行動のみでしたが、今は4.5名でグループになり、

グループ毎に行きたい場所を決めて回るようになったんです。

事前にグループ毎にめあてや
約束、係を決め、協力して観光地を巡ります。
そのため最低10日以上前から話し合いに参加できれば可能だと思います」
P「…」
 

T「では、家に帰ってから息子さんとよく話し合ってみて下さい」
勿論参加しなかった。
しかし「参加させなかった」が正解かも知れない。
 

 

それから7年後…、
ある6年主任のクラスで非常によく似た事例があった。
やはり男子(Y)で実情は上記児童に近い。
唯一の違いは保護者の願いを聞き入れたことだ。
なおY君の6年時の出席日数は、修学旅行の2日間のみである。
旅行後、Y君と保護者からクレームがあった。
またそれとは別にY君を受け入れたグループからも、
クレームがあった。
 

・Y君の声
「友達に無視された。途中で休もうと言っても聞いてくれなかった」
「無視されて、先に行ってしまった。もう学校なんて行きたくない」
 

・保護者の声
「(息子の声とほぼ同様)、せっかく行ったのに、全然楽しくなかったし、
いじめられたと言ってます。一体先生はどういう指導をしているんですか」
 

・グループの声
「先生に頼まれたから、無理無理Y君を入れたけど、歩かないし、文句は言うし、
もうやだあ。修学旅行をすっごく、すっごく楽しみにしていたのに、
全然楽しくなかった!なんであんな人連れて行ったんですか!」

勿論主任はY君が参加出来るように何度も詳細な電話連絡。
家庭訪問も4月以降、旅行前日までだけで7回。
しおりを持参したが、本人とは会えなかった。


⑦公園の片隅で…
6年女子(U)。ネグレクト児童である。
虚偽と体臭が酷く、特に男子児童から嫌がられていた。

T「あなたはなぜ嘘をついちゃうのかなあ?」
U「うん、なぜか分かんない」
T「これからどうしよう?」
U「やっぱりいろいろ言われたり、男の子が避けるのはいや」
T「そうだねえ…」
6月のある日、数日続けて休んでいたので、

家庭訪問をすると本人が出てきた。
近くの公園でブランコに乗ったり、ベンチに腰掛けたり…、
かれこれ1時間近く話をしたと思う。

まだ20代前半の時代、どう指導していけば良いのか分からず、
ただただ話を聞き、男子児童を叱りつけた。
それでもU子はその日を境に欠席は無くなった。
ここで紹介した児童は100人100通り。
個々の児童に対して、全く同じ対応をすることはあり得ない。
より良い接し方を考えていくのが大事であるので、
ひとつの事例として読んでいただければ幸いである。
最後に…
紹介した児童(一部除く)は、それぞれ様々な問題行動を起こしていた。

発端は何処にあるのか。
これは明快で、ほぼ間違いなく保護者に責任があるだろう。
保護者に連絡したり、面談したり…、
担任だけではなく、

学年主任や教頭も交えながら手立てを施してきたが、
何ら改善されず、ただただ無力感に苛まれるときが多かった。

ではクラスでこういった児童をどう“扱って”いけば良いのか。
一つはひたすら指導を継続する。
その反面、担任が他の児童を守る役に徹する。
そしてそういう行為は許さないという姿勢が必要である。
極論になるかも知れないが、
一歩校外に出れば、その児童のトラブルは管轄外である。
しかしクラスにいる時間は必ずクラスの約束を遵守してもらう。
これに尽きる。

もう一言。
これらの問題は殆ど家庭環境に起因している。
本来学校は学習を教え、
個々や集団に関わる規律を指導する場であるので、
それらの児童が存在していても、
担任が悪い訳ではなく、悩みを抱える必要もない。
若手ほど自身の力量不足と考えがちであるが、
基本は保護者の責任である。


今から数十年前に『金八先生』というドラマがあった。
中学担任で熱血漢だ。
不登校生徒がいれば、家まで押しかける。
そして無理矢理学校に連れて行った。
そんな様子が描かれていた。

それから暫くすると、
不登校生徒に対しての扱いが180度変わった。
「登校刺激を与えない方が良い」
「行く気持ちになるまで、時間を掛けた方が良い」
そう考える医師が溢れ、引き籠もりは100万人…。

風霜に耐えぬ世である。

 

 

~発刊記念として、期間限定で半額で提供!!~

 

本書は小学校・中学校教師のために業務の効率化を図った改革版です。
「生成AIの通知表所見」は、僅か5分で完了します。

要領を得れば、一人2.3分以下でも十分可能です。

 

しかも「道徳所見」「総合所見」「外国語所見」もたったの2分です。

 

 

~「Kindle版」と「ペーパーバック版」2種類あります~


 

 

 

AIを使った所見は難しくない、と言うよりも、非常に簡単です。

200~240文字の学期所見を仕上げる場合、

通常は一人一人の児童生徒の特性や特徴を把握し、

日々の学校生活上での行動面や友人関係を始め、

係活動、クラブや委員会の特記事項、

優秀な教科の評価やWS/ノートを総ざらい机上に起こす必要がありました。

更に授業時の様子や言動も振り返らなければなりません。

これらをベースに、それに合致した相応の文章を考える、ここが非常に苦労するところでした。
その上、仕上げたコメントをもう一度吟味し、

校正したり書き換えたりする作業もありました。
これを40名近く行うので、かなりの時間と労力を要するのが普通でした。


しかし生成AIで激変しました。
細かく、正確なコメントは不要なのです。
一人の児童生徒に対して数種類のワードを浮かべるだけで終了です。
・「だいたいで」
・「あいまいで」
・「この程度の語句でも」
完成する時代が到来したのです。




○本書の特徴
1.初心者にもお奨め
生成AIを初めて使用する方、使い慣れている方、どちらにも対応しています。
GoogleGemini、Copilot、ChatGPTのログイン方法を解説すると共に、
所見を生成する術を段階的に紹介しているので、誰でもすぐに作成可能です。

2.小中学校完全対応
「通知表所見は5分で終了!」
「とにかくすぐに所見を完成させたい」
「要領よく、しかも簡単に作りたい」
「道徳・総合・外国語所見も、早く済ませたい」
そういった全教員に向けた所見作成の手引き書です。

3.豊富なコトバンク
児童生徒に合ったも所見が浮かばない、思いつかない、
旨い言葉が見つからない……
そのときにおお薦めするのが「コトバンク」です。
学習面、生活面、活動面、部活面、行事面、、、
数十ページに渡って、分野別に膨大な語句を紹介しています。
紹介した文言で「検索する」だけで、手軽に、簡単に所見が完成するのです。

 

 

 

 

学校関係改革のめあてとして、
そしてFacebook上で、
「自律」の文字を目にする機会が増えています。

大凡の意味は、
「自立」…自分一人の力だけで物事を行うこと。
「自律」…自分の立てた規律に従って正しくコントロールすること。



幼少時代、常に目にしていたのは「自立」です。
教室前面に掲示された「自主・自立」がまさにそうですが、
最近は「自立」が消え、
教育目標として盛んに「自律」が謳われています。

 

ここで疑問が浮上します。それは、
児童生徒に「自律」まで到達要求するのは、
あまりに難易度が高く、達成困難になっていないでしょうか。

難関大学の合格、全国規模の優勝等を掲げるのであれば、
きっと期間限定で自律精神が求められるでしょうが、
一般的に学校では自立であると考えます。

 

そもそも自律を達成している大人は、
一体どれだけ存在しているのでしょうか。



日常的な食事さえ抑える事が出来ない自身を鑑みると、
自立さえ遠く及ばない現況にあります。
もし自立の達成率を70%に例えるならば、
自律はせいぜい数%なのかも知れません。
 

それらを踏まえれば、
「自律は人生の課題」と言っても過言でないと思います。


精神性を求める文言を提唱する事に、
憂いを感じるのは私だけでしょうか。

 

皆様の忌憚のないご意見をお待ちしています(_ _)。

 

 


 




休み時間、よく図書室で「読み聞かせ」が行われている。
また保護者や地域の方が積極的に学校に関わるようになったお陰で、
週に一回程度クラスに入り、
朝の時間を使って「読み聞かせ」を実施するようになってきた。

こういった様子を垣間見ると、
・集まった児童は耳を傾ける
・一言の私語も無い
・真剣な目が絵本に注がれる
 

その集中力は見事なまでに素晴らしい
私達は毎日5コマ、6コマの授業をしているが、
ここまで集中した授業実践が出来ているかというと、なかなか難しい。
しかしこの「読み聞かせ」のエッセンスを取り入れれば、
普段の授業はもっと楽しいものになるし、豊かなものなるだろう。

では「読み聞かせ」から学ぶエッセンスとは何か、幾つか紹介していきたい。


①興味 関心 好奇心
普段実施している授業は、最初に教科書を開き、
本時のめあてを板書したり、今日の学習内容を確認したりしていく。
ときには意識付けとして、それにまつわる話をしてから進めたりしている。

これに対して読み聞かせは、どういった内容なのか、どういう展開になるのか、
児童は全く分からない。せいぜい分かるのはタイトルと表紙のみ。
このあたりに学ぶことがあるように思う。

教科書を開けばどういった学習が始まるのか、大体予想できる。
しかも算数、理科、社会などの教科はヒントや答えまで書いてある。
実施前から答えが分かっているのならば、はっきり言って全く面白くない。
 

一冊の推理小説、一本の映画があった場合、
結末が分かっていたら、
最後まで読むだろうか。最後まで鑑賞するだろうか。
 

これでは間違いなく食指は動かないだろう。
もし最後まで読み通したとしても、
感動や充足感は間違いなく半減しているはずである。

では読み聞かせを参考に、下記のような実践をしたい。


②教科書クローズ
教科書を全く開かずに授業をスタートする事で、
児童は先が見えないので、興味を抱いたり、教師の声に耳を傾けるだろう。
イラストや絵を提示するにしても、
最初から全て見せることは絶対しない。チラッとしか見せないのだ。
イントロクイズが良い例だ。音を出す瞬間、全神経が耳に注がれている。
クローズドな進め方をすることで、児童の興味や関心は高まるに違いない。
こういった形態でスタートするのも良いだろう。


③具体的内容は明示しない
社会科授業で防災教育を実施するとき、
「今日は家庭で蓄えておきたい防災用品を学習をします」
という話から進めては、何ら興味がわいてこない。
しかし言葉を少し変更するだけで、断然興味が湧いてくるだろう

「無人島にたった5個だけグッズを持っていくなら、何を持っていく?」
こう発問すれば児童は関心を示し、こぞって考えるだろう。
やる内容は一緒でも、発問を少し工夫するだけで、
児童の目はがらっと変わるのだ。

それと共に何も「めあて」は最初に出す必要は無いのだ。
頂上に登頂出来れば良いのであって、何処のルートでも構わないのだ。
敢えて後で提示したり、最後であったり…、
そこを認識して授業を進めれば、きっと楽しい授業になるはずである。


④絵 イラスト 動画
日々の授業での黒板は当然ながら「字」のみだ。
この板書を写す作業を児童を日々行っている。
児童から見れば黒板は無味乾燥で、心地よい類いのモノではない。
これに対して読み聞かせで見えるモノは、
「絵」「イラスト」のみである。
紙芝居がまさにその典型だ。
この視覚情報以外は担任の「読む声」のみだ。
だから聴くことに専念する。

ここから2つの“効用”が見えてくる。
第一に「声」「文字」オンリー授業から脱皮して、
「絵」を効果的に使うのだ。


ここで言う絵にはイラストや絵は勿論、アニメや動画も含まれる。
スマホ&タブレット時代が来ているので、
当然これらを積極的に使っていくと、
授業形態自体、大きく変わる可能性がある。

ある特別支援学級を覗いてみると、教室では淡々と作業をしていた児童が、
PCルームでは目を輝かせながら嬉々となって取り組んでいた。
勿論ずっと使用しなくても、たった一枚の写真やイラストでもOKだ。
視覚に訴える授業は関心意欲を高めることは分かっているので、
それを実践すれば、児童の目が一斉に注がれることになる。

第二に「語る量」を調節したい。
基本的に授業では担任が話しすぎる(「3対7への改革」参照)。
教室内で発せられる声が10あるとすれば、教師9、児童1というのもある。
始終話や説明をしていては、
情報が多すぎて児童は意欲が失せたり、疲れたりしてしまう。
紙芝居だって、せいぜい10枚程度、
語りは速くなったり、遅くしたりして調節しているのだ。
要所要所に絞ったり、指示発問を与えたりして、
じっくり考える時間をとることが大事である。

作文と詩の違いが良い例である。
あまりに大ざっぱだが、
作文の贅肉を削いでいくことで“詩”に近づく。
読み聞かせも同様だ。
絵本から外れた話は一切無い。
必要ないことが完全に削がれているのだ。
だからこそ教師は口を挟むのを極力減らし、
考える時間を与えていきたい。

詩のようにコアな発問を上手に活用していきたいものだ。


⑤ストーリー
授業には大きな山があれば小さな山もある。
コアな部分であったり、ミニマムであったりする。
ただいろいろな研究授業を見ると、
舗装された直線道路のような単調な授業を多く目にしてきた。

これに対して読み聞かせにはストーリーがある。
話の始めから終わりまで一環とした連続性、
継続性がある。
しかも平坦だけでなく「谷」や「山場」も存在する。
だから児童はストーリー展開を楽しむのだ。

教科で言うと理科が良い例だ。
「疑問」「予想」「実験」「結果」「考察」でワンセット。
一単元に一本の柱が貫かれ、一つのストーリーが存在している。
しかも実験そのものが山であり、自分の予想と結果の相違にまた一喜一憂する。
理科ストーリーにはツインピークスの面白さが隠れているのだ。

一単元、一授業45分だけではなく、学年をまたいだストーリーもある。
既習事項をもとにして、今日の学習を進めるのだ。
「去年○年生の時に、□□をやったのを覚えていますか。
 それを利用して今日の問題が出来るかどうか、確かめてみましょう」
「そっか、それをすればいいんだ!」
今日の学習には昨年からの繋がり、ストーリーがあることを理解する。
学習は分断しているのではなく、縦の連携、継続性に気づくことになる。

教科では「導入」「本題」「結末/まとめ」などがあるが、
この流れの連続性、継続性を大事にしていきたい。
平坦なコースを歩かせつつ、ときにルート開拓して困難な崖も設定する。
そして最後には必ずゴールが待ち構えている。
途中で切って次を進めるのでなく、一貫性を持たせて進める。
こういった物語的な授業展開をしていきたいものだ。


以上「読み聞かせ」から学ぶことを紹介してみた。
目と耳が注がれる。目は輝かせ、決して声を見逃さない。
この集中力のエッセンス、
普段の授業で取り入れてみたいものだ。

 

 

  
    

6、6、6年。


3年間続けて6年を任された時代がある。
当時の学級編制は隔年で、5年児童がクラス替えせずに6年になる。
5年担任も当然スライドし、自動的に6年担任になる。
だから卒業学年に担任が替わるのは、
その前年度、5年時に学級崩壊したときである。
    
    
  6年担任時、何が起きているのだろうか。


 ・基本的ルールが消え、自分ルールが横行する。
 ・話を聞く/教師を敬う姿勢に乏しい。
 ・友達同士でのトラブル、喧嘩が日常茶飯事である。
 ・不平不満が横行し、素直に聞く姿勢が見られない。
 ・諦めに似た無反応、無表情が見られる。
 ・教室に濁った空気が漂う。 

   
その年によって微妙に異なるが、男子児童が教師に反抗したり、
女子児童が教師を軽蔑したりするのが多かったように思う。
当時の児童数は40名であるが、
そういった問題を抱えた“核”となる児童は大体数名程度である。
そして事の善し悪しを判断せずにそれを真似する児童が数名、
合わせると10名前後になったかも知れない。
但し後の20名近くは健全な学級でありたいと願っている。
    
しかし指摘したり改善したり出来る時期はとっくに消え、
諦めムードの中で日々過ごしていた、という事だ。
  

  
クラスを任されたら、何から始めるだろうか。
明確なのは学級作りは勿論のこと、
授業作りもマイナスからスタートするしかない、
という事である。
しかも卒業学年なので、任期は僅か1年のみだ。
この場合、最初の一日、一週間、一ヶ月が要になる。
まずは昨年度の1年間を振り返っていくのだ。


何が良くないのか、何を改善していきたいのか、徹底的に語り合う。
朝の会から、授業途中から、授業時間丸々使って語るときさえある。
1年間ずっと乱れっ放しだったクラスを再生していくのだから、
話し合いの時間の空気はまさに真剣勝負だ。



“問題児童”と対峙していく時間なので、
思いつき発言や場を乱すような考えは絶対許さない。
それ位の姿勢と覚悟が担任には必要である。


特に女性教員は体格面や威圧的態度に怯みがちだが、
弱みを見せず、毅然とした態度を貫かなければならない。

それは幾ら身体がごつかろうが何だろうが、たかだか12歳。
まだ未熟な小学生であるのに対して教員は大人、指導者なのだ。
    
  T「みんなの考えが分かりました。
       これから良くない場面があったら、誰が注意しますか」
  S「僕たちがします!」この声を集めるのだ。
    
    

声を上げた勇気を絶対見逃してはならない。

「真面目に勉強したい」「仲が良くて明るいクラスがいい」。
そう思っている児童は間違いなく多くいる。
いつの間にかその声を上げられなくなっただけなので、
その気持ちがあり、
しかも声を出せる児童(10名程度)を味方にするのだ。
    
声掛け次第で更に多くなっていくので、
一人で解決するのでは無く、
11対10から再生を試みたい。


 

改善を願うTとSで11名、問題児童が10名である。

「うっへへー」「馬鹿じゃねえの!」「アホみてえ!」
  こういった不愉快な声や罵声があったとき、
S「やめな!」
S「今の声は良くないよ!」
    もし注意や指摘の声を児童が発したら、
    この瞬間を決して見逃さず、教師が問いかけをするのだ。

    T「今、注意の声が聞こえた人は手を挙げます」
    S「(多くが挙手する)」
    T「素晴らしいですね。そういう声がこのクラスに絶対必要なんです」
    T「では、馬鹿じゃねえの!の声は、どう思いますか」
    S「よくありません!」(多数)
    T「他の意見も教えて下さい」「(沢山のSに指名していく)」
    T「注意してくれた○○さん、ありがとう。先生はとっても嬉しいです!
みんなも勇気を持って声に出していくことが大事だと思います」
    
   発しないときは教師が場を作れば良い。
    T「今、変な声が聞こえた人、手を挙げます」
    S「(多くが挙手)」
    T「馬鹿じゃねえの!の声、いいと思う、悪いと思う?」
    S「(悪いです!の声多数)」
    T「なぜですか。理由も言って下さい」

「馬鹿じゃねえの」、その声を発した人を注意する以上に、
周囲の児童が許さない、そういう環境を作っていくことが
大事なのだ。


こういった話し合いをすれば、
いつの間にかそういった声は減っていくはずである。
それは教師に指摘されるのが怖いからでは無くて、
クラスのみんなから非難され、
疎外されるのが怖いからである。
 

関係児童を集中的に指導したり、

矢継ぎ早に児童を指名して、数多くの意見を聞いたり、
良くないと思った意見はすぐにみんなに聞き返したり…
何より話をしている際、手遊びをしていないか、
しっかり聴いているかどうか、
そこを指摘しながら、全員に改善を求める。

 周囲も巻き込んで、
 クラスの中では絶対許さない空気を作る。
 監視の目を数十名に増やしていくことで、
 いずれは絶やしていくのだ。    
   集団の中には健全な児童が必ずいるので、
   味方にしながらクラス再生していきたい。
    
   再生するには数ヶ月かかる場合があるので、
   教師は確固たる信念を持って、諦めずに継続する、
   揺るぎ無い担任の姿勢が鍵であるのは言うまでも無い。