最近の学校目標や掲げられるテーマは、
文言が先行している感が否めません。
カタカナや英文字を多用し、
訴求する事が流行っていないでしょうか。
敢えて目標など翳さずとも、
児童生徒の視点に立てば、
泥臭くても、
地味で堅実であって良いと思うのです。
学校改革の一つとして、
そしてFacebook上で、
「自律」の文字を目にする機会が増えています。
大凡の意味は、
「自立」…自分一人の力だけで物事を行うこと。
「自律」…自分の立てた規律に従って正しくコントロールすること。
幼少時代、常に目にしていたのは「自立」。
教室前面に掲示された「自主・自立」がまさにそうですが、
最近は「自立」が消え、
盛んに「自律」が謳われています。
ここに素朴な疑問が浮上します。
それは児童生徒に「自律」まで到達要求するのは、
あまりに難易度が高く、
達成困難になっていないでしょうか。
難関大学の合格、全国規模の優勝等々を掲げるのであれば、
きっと期間限定で自律精神が求められるでしょうが、
一般的に学校では自立であると考えます。
「自律教育」もまた世相を照らして、
一人歩きした結果の造語なのでしょうか。
更に自立>自律という上位性にも疑念があります。
ちなみに自律を達成、人生を達観している大人は、
一体どれだけ存在しているのでしょうか。
日常的な食事さえ抑える事が出来ない自身を鑑みれば、
自律どころか、自立さえ及ばない現況にあります。
それらを踏まえれば、
「自律は人生の課題」と言っても過言でないと思います。
精神性を求める文言を児童生徒に提唱する事に、
憂いを感じるのは私だけでしょうか。
忌憚のないご意見をお待ちしています(_ _)。