フェルメール 「天文学者」と「地理学者」 男の目に映るもの | フェルメールの小部屋 The Art of Painting

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フェルメールの絵の謎解き(解釈)ブログです。

「天文学者」

 

●サインがあります。Mの上に I、その後に eer、下の段にMDCLXVIII とあります。

 この下の部分が制作年で1668年を示すそうです。

 

●X線の情報がないので、とりあえず下の絵はないものと考えます。

 

●画中画は「モーセの発見」です。 この「モーセの発見」は、この先に描く「手紙を書く婦人と召使」の絵にも同じものがありました。「天文学者」は1668年に、「手紙を書く婦人と召使」は、その数年後になりますが、この2枚の絵は繋がりがあります。

画中画も地図のように、大きさ・状態が、人物たちの想いの程度を示していると考えます。

参考記事→画中画と地図の解釈の仕方

 

2枚の絵の画中画の大きさは、かなり差があります。
『モーセの発見』の意味合いから、女性と召使は、幼い子どもの生死に関わること又はその子の行く末のことに心が占められているわけですが、「天文学者」の男性の壁には、『モーセの発見』よりも大きなタンスが壁の領域を占めています。タンスには所狭しと書物も積まれています。
 
男性は、目の前の天球技に手をかざし、じっと見つめています。左手は書物や道具ののった机をつかみます。この男性は心も体も研究(仕事)のことでいっぱいで、子どもや妻への想いが小さいことがわかります。
 

「地理学者」

●サインがあります。Mの上に I、その後に eer(rの下がLのように長い)、下の段にMDCLXVIIII とあります。 この下の部分が制作年で1669年を示すそうです。

 

●X線の情報がウィキペディアにあります。

はじめの絵の状態は、男性の頭部がさらに左寄りで、視線は下をみつめていたそうです。右手に持つコンパス(ディバイダ)も水平ではなく垂直に持っていて、机上の紙は右手前の茶色の台(椅子)の上に置かれており、背景ももっと暗い配色で表現されていたそうです。

 
床にも紙が散乱していることから、男性は長い間、研究(仕事)に没頭していた様子です。
 
壁にかかるのは『モーセの発見』ではなく海図になっていますが、海図も地図や画中画と同様の解釈です。壁にはやはり大きなタンスがあります。「海図」全体の大きさは想像でしかありませんが、見えている部分はおそらく半分以下でしょう。また「天文学者」よりも男性との距離が開いています。

 

「海図」の下、壁にそっておかれている椅子は、男性を想う女性の椅子で、想いの程度も「海図」と対応します。椅子は、仕事に没頭する男性の後ろ姿を寂しそうに見ているかのようです。
この男性も、研究(仕事)のことでいっぱいで、女性への想いも小さいことがわかります。(画中画と地図の解釈の仕方に関しては、以下の過去記事をご覧になってください)
 
※参考記事:フェルメールの画中画と地図の解釈の仕方
(そしてフェルメールは、現在の状態に絵を塗り替えます。)

 

男性は何かを書こうとして紙を手元の机に引き寄せます。
その時、雲がきれたのか、窓から強い光が差し込み手元の紙がまぶしいほどに反射します。男性はコンパスを横に向け、作業を中断し顔をあげます。仕事に没頭していましたが、窓からの強い光によって意識がそれたのです。光は男性の顔を照らし、その先にある花模様の椅子もうっすらと照らします。
男性は、自分を想ってくれている女性を思い起こしたのでしょう。

 

男性のモデルは誰なのか?

『天文学者』『地理学者』の男性は、同時代のオランダ人科学者アントニ・ファン・レーウェンフックという説があります。
外見上は、フェルメールの自画像ではないでしょうが、「手紙を書く婦人と召使」と同様に内面はフェルメールがモデルだと自分は推測します。
 
子どもの死に関わる絵としては、先に「天秤を持つ女」があります。
3番目の子を失ったカタリーナをいたわるような作品ですので、この頃は妻の心を支えるゆとりがフェルメールにはあったとみられます。

参考記事→「天秤を持つ女」 祝福を受ける母と子

 

 

1659年に3番目の子を亡くした後、カタリーナは1660年、1661年、1663年、1664年、1665年、1667年と子どもを産んでいます。 1667年に産んだ子は幼くして亡くなり、同年7月10日に埋葬されています。
 
フェルメールは、他の画家には描けないような作品を描くことへの追求欲から、内容にこだわるあまり、作成枚数は少なく、1枚の絵に高価な絵の具を用いたりもします。
一方カタリーナは、子を育てながら、また次々とお腹に新しい命を宿していくわけですから、フェルメールに対し、もっと子どもの将来のことも考えて蓄財してほしいと思うことでしょう。
 
「絵画芸術」で描いた地図は、これまでフェルメールが描いてきた地図の中で最上級の大きさと精密さでしたが、二人の関係がすべて順調であったわけではないことは、地図上に目に見えるキズとして表現されています。
 

 

フェルメールとカタリーナ、近くて遠い二人

『天文学者』は、子どもよりも仕事に没頭していた自分を描いたものであり、
『地理学者』は、仕事に没頭していた中、天からの光(子どもの死)によって我にかえり、背を向けていたカタリーナの想いに気付いた自分を描いたものでしょう。
 

 

「手紙を書く婦人と召使」は、カタリーナはフェルメールに召使いを間にいれて手紙を送っています。 実際にこのような事をしていたのだと思います。
 
フェルメール家族は、カタリーナの母の家に住まわせてもらっています。その家から徒歩数分のところに、フェルメールの実家が経営していた居酒屋兼宿屋(メーヘレン)があります。(結婚当初は、このメーヘレンに住んでいます。)
フェルメールのお母さんは1669年に売却しようとしますが、金額がおりあわず売却を中断して賃貸に出しています。1970年にフェルメールの母が没したことにより、メーヘレンはフェルメールが相続します。このメーヘレンの一室を、母の存命中から自分の籠り部屋として使っていたとしたら?
 
というのは、フェルメールたちの家は、幼い子どもたちでにぎやかだったはずですから、静かな環境で落ち着いて絵の構想を練りたい時もあるでしょう。子どもたちを妻にまかせ、自分が作品に集中したい時はそこへ行けばいいわけです。

 

ここから先は、さらにブログ著者の想像が入っています

 

カタリーナは、もっと子供たちの将来のために蓄財してほしいと願い、高価な絵の具の購入にいい顔をしません。しかしフェルメールはラピスラズリの魅力に捕らわれています。 フェルメールが作品に取り組んでいる時は、会話もままならず、食事・就寝などすれ違いがあった二人。

思いあまったカタリーナが、フェルメールに手紙を書きはじめますが、それより先にフェルメールの方から召使を介して手紙が届けられたのです。

近くにいるというのに、心が遠い二人でした。

 

それから、用があればフェルメールはカタリーナに伝言を送り、カタリーナも返事を送るといった、互いに直接言葉で伝えるのではなく、手紙で残すといった行為が行われたのです。
 
一つの作品が終われば、また新たな作品に向けて没頭するフェルメールに対し、毎年のように妊娠し、子育てに追われるカタリーナでした。
1667年に生まれた9番目の子は、同年7月に亡くなってしまいます。
その子の天命だったとしても、カタリーナは自分を責めたことでしょう。
今の状態を恨み、もうこれ以上、妊娠したくない!とは思わないものでしょうか?
 
カタリーナは、メーへレンに籠もって絵の構想に没頭しているフェルメールに、召使いを通じて手紙を送りつけます。
『もう限界!帰ってくるな!離婚する!』・・・というのは冗談ですが、かなり切実な気持ちを綴ったのでしょう。冷静ではないカタリーナの文面に対して、会って話すと大変そうかもと、まずは手紙でもってなだめようとペンをとります。
しかし、近くにいるのに手紙などでやりとりをしてきた、この行為こそが彼女の心をさらに傷つけ、悲しませていたことに気づき、直接話し合うために彼女の元に向かったのです。
 

 

その後、1668年に生まれた10番目の子も、1669年7月に亡くしています。
亡くなる前か後かは不明ですが、1669年は11番目の女の子が生まれています。
 
この女の子に妻と同じカタリーナという名前をつけています。
子どもへの愛が欠けていたことを自覚したフェルメールは、妻を愛するように子どもも愛したいとして、同じ名を授けたように思います。
 
フェルメールは幼子の顔を見つめ「カタリーナ、愛しているよ」と何度も語りかけたことでしょう。その声を近くで聞くたびに、妻のカタリーナの心も慰められたことでしょう。