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現存するタイレル P34を考証する⑥

タミヤ所有の P34のシャシナンバーには様々な推測がありますが、まずは P34/2説。

これは「現存するタイレルP34を考証する④」で述べたように、ドニントンミュージアムの個体が P34/2であることからタミヤ所有のシャシ推測から外れます。

同様に消去法で絞り込むと、 P34/3( P34/3-2含む)或いは P34/4のいずれかと考えられます。

シャシフロント上面プレートの切り欠きについては、アメリカ西GPでデパイユがドライブした P34/2の画像を観察すると、76年シーズンにはボディカラーであるブルー塗装であったものから金属色のものに変更されており、プレート自体、交換可能であると推測されます。
よって P34/4についても、交換された可能性もあり、「ダクト用の切り欠きが無い」だけでは判定のポイントになり得ないと考えます。

いよいよ結論です。
2つのシャシに絞り込んだものの、ここから先に決定打となる資料が見つからず、以降は私の推測です。

タミヤ所有のシャシは「 P34/3( P34/3-2)」!

推測の理由はシャシフロント上面プレートのリベット配列。
 P34/2以降のシャシで、唯一 P34/3-2だけが外側前半のリベットがありません。
 P34/3時代にはリベットが確認できますが、オーストリアGPでのクラッシュから改修した際、該当するリベットがなくなりました。
日本GPでの資料からもリベットがないことが確認されます。

しかし、前述の通りシャシフロント上面プレートは交換可能であることから確証はできませんが、上記2つの理由から可能性が高いと思われます。

いかがでしょうか。

カール・ケンプの実験シャシになった P34/4についても、「実験シャシ」故にプラークを外したと言う推測や、そもそも実戦されていない、もう1台のシャシが存在したのではないか…
想像は限りなく広がります。

今回の考証で、決定的な結論に至りませんでしたが、引き続き「タミヤ所有 P34のシャシナンバー」については考証を続けていきます。

みなさんからの情報もお待ちしております。

画像などの資料は、機会を見てアップしたいと思います。

現存する タイレル P34を考証する⑤

さて、本題であるタミヤ所有の P34の考証に入りたいと思いますが、まずは著名な方の推測から。

今から6年前、モータースポーツジャーナリストの小倉さんも登場する記事内での推測は「 P34/3」。
モノコックのフロント上面パネルにある、ブレーキダクト装着時に必要な切り欠きの有無などからの推測。

そしてプロモデラー野本憲一さんの推測は「P34/4」。
これは先日レストアされた1/12  P34が最初に掲載されたHJ誌での記事。
このHJ誌、25年の間に何度も何度も読み返した結果、今ではページがパラパラ外れてしまいました。

同じく93年のMG誌で、タミヤ所有の P34を特集した際には、大串信さんの願望も込めて P34/2。
ただしこの頃は現在の様に情報が多くなかった時代。


そして、今回の推測は…と思ったのですが、資料を見返して「おや」と思う箇所が数点。

現存するタイレル P34を考証する②で記述した77年後半戦、ヨーロッパラウンド後半から北アメリカラウンド、そして日本GPにエントリーしたP34について、入手した資料では以下の記述がありました。

【オランダGP】
開催日 8月28日
 P34/2 スペアカー
 P34/6 レースカー(ピーターソン)
 P34/7 レースカー(デパイユ)

【イタリアGP】
開催日 9月11日
 P34/2 スペアカー
 P34/6 レースカー(ピーターソン)
 P34/7 レースカー(デパイユ)

【アメリカ東GP】
開催日 10月2日
 P34/3-2 スペアカー
 P34/6 レースカー(ピーターソン)
 P34/7 レースカー(デパイユ)

【カナダGP】
開催日 10月9日
 P34/5 スペアカー
 P34/6 レースカー(ピーターソン)
 P34/7 レースカー(デパイユ)

【日本GP】
開催日 10月23日
 P34/5 スペアカー
 P34/6 レースカー(ピーターソン)
 P34/7 レースカー(デパイユ)

後半戦はピーターソン: P34/6、デパイユ: P34/7の2台にスペアカー1台の組み合わせであるが、一般的な考えだと、ヨーロッパラウンド後半2戦にP34/2を持ち込み、その後、北アメリカラウンド→日本の転戦は同じシャシである方が物流的にも良いはず。
ところが、ティレルはアメリカ東GPのスペアカーが P34/3-2で1週間後のカナダは P34/5。

マクラーレンも、ロータスも北アメリカラウンドは同一シャシで転戦しているのに。

アメリカ東GP後、何らかの理由で別シャシと交換しなければならなかったのか。
それとも、記録に誤りがあるのか。

長くなってしまいましたので、次回に続きます。



現存する タイレルP34を考証する④

前回の考証をベースに、今日現在、所在がはっきりしているシャシをナンバー毎に整理します。

P34/1(プロトタイプ)=ドイツのジンスハイム自動車・技術博物館(2017現在)
※ソーセージタイプのインダクションポッド、カー№3(テスト時にはゼッケンサークルだけだったので、展示の際追加されたと推測する。)

P34/2 =77年シーズン終了後コジマエンジニアリングが研究のため購入。
国内のイベントなどに参加。自動車雑誌のドライブレポートなど試乗も。
その後ドニントンミュージアムに保存。
ロジャー・ウィルズレーシングよりオーナーのロジャー・ウィルズのドライビングでシルバーストンクラシックやグッドウッドなどのヒストリックレース・イベントに出場。
※フロントオイルクーラー/ナロートレッド/ロングホイールベース/フルカウリング(コクピットカウルは77年中盤風)
また、RUSHでは76年風のカウリングを新造しNo.4のカラーリングで出演。

現在はピエルルイジ・マルティニが所有。

 
P34/5 =イタリア(マウロ・パネのドライブでムジェロ・ヒストリック・フェスティバル出場)

※フロントオイルクーラー/ナロートレッド/ロングホイールベース/フルカウリング(コクピットカウルは77年後半風)
2017年ピエルルイジ・マルティニが購入。


P34/6 =ドイツ人コレクター所有の後、97年12月、サイモン・ブルが購入、マーティン・ストレットンのドライブでFIA-TGP(サラブレッド・グランプリ)チャンピオンシップに1999年より出場し2000年にはシリーズチャンピオンも獲得。
※リアオイルクーラー/ナロートレッド/ロングホイールベース/フルカウリング(コクピットカウルは77年前半風/ウインドウ無)

RUSHでは76年風カウルを装着し№3のカラーリングで登場。

その後2017年2月にパリで開催されたレトロモビルにFNCBのカラーリングに変更されて展示されている。⇒リシャール・ミルのコレクション

P34/7 =原田コレクション(河口湖自動車博物館)で展示後、Juan Harandonのコレクションとして保存されている記述があるが詳細不明。
※77年中盤戦仕様(76年カラーリング)。河口湖自動車博物館時代にロールバーの変更(77年仕様⇒76年風)あり。日本のイベントで実走。

P34/‟8” =アメリカで作られたシャシ。
ラグナセカで2010年8月開催のRolex Monterey Motorsports Reunionにクレイグ・ベネットのドライブで出場。
※76年仕様と77年中盤戦仕様の折衷(76年カラーリング)ショートホイールベース/ロールバーは76年風/フロントスタビライザーは77年風/リアウイング他の仕上げは現代風。 
現在はジョディ・シェクターのコレクション。
P34/4をリビルドした可能性大。   

Juan Harandonとはどんな人物か、調べてみたものの今日現在不明。
まさかHRCの原田淳氏の名前(Jun harada)文字って…ではないと思いますが、ご存知の方がいらっしゃったら情報提供お願いします。


次回は、本題のタミヤ P34です。

※2018.12.13更新