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現存する タイレルP34を考証する②

現役(76、77年)時代のP34をシャシナンバー毎に考証してみます。
手持ちの資料とWEB上の情報に限りがある事、また資料によって記述が異なる点がある為、私の推測も交えていますのでご了承ください。
また、76年のF1 World Championship in Japanについては、日本GPと表記します。

【P34/2】
76年のデビュー戦スペインGPで、デパイユがドライブしてから、76年アメリカ東GPまでデパイユのレースカーとして使用。
77年シーズンは南アフリカGP、アメリカ西GPでレースカーとして、オランダGP、イタリアGPではスペアカーとして使用された。

※76年日本GPでは、スペアカーとして使用。
※当時のモータースポーツ誌では、77年南アフリカGPのレポートで「彼(デパイユ)のシャシはブラジルでのクラッシュからリビルドされた“2番”」の記載があるが、77年開幕2戦の画像などから判断すると P34/3-2が使用されたと推測され、P34/2は持ち込まれていない模様であるため、 P34/3-2の“2”の事を意味していたのかもしれない。

【P34/3 P34/3-2】
76年ベルギーGPでシェクターのドライブにより登場。
以降、シェクターのレースカーとして使用されていたが、オーストリアGPでクラッシュ後、改修されP34/3-2となり、カナダGPではデパイユ、アメリカ東GPではピーターソンのスペアカー、日本GPにはデパイユのレースカーとして持ち込まれた。
76年シーズン終了後のテストを経て77年シーズンは開幕2戦にデパイユのレースカーとして投入するもブラジルGPでアクシデントでリタイアしてからは暫く使用されていなかったが、アメリカ東GPでピーターソンのスペアカーとして持ち込まれた。

77年ブラジルGPでは、レース序盤アンドレッティと競っていたマスのスピンをきっかけにレガッツォーニとともにデパイユもスピン。クラッシュは免れピットまで戻り、タイヤ交換の後ピットアウトしたが、レース中盤に同じコーナーでアウト側にはらみ、リタイアして停車していたマスのマクラーレンに接触しクラッシュ。フロント中心に破損、デパイユも脚を負傷。

【P34/4】
76年オーストリアGPでデパイユのスペアカーとして登場した後、オランダGPからはクラッシュしたP34/3に代わりシェクターのレースカーとして最終戦の日本まで使用された。
77年シーズン開幕2戦にピーターソンのレースカーとして使用したが、ブラジルGPでマスのスピンを発端にしたレガッツォーニ、デパイユとともにスピン、コース復帰したデパイユとは対照的にコースオフしキャッチネットをなぎ倒しクラッシュ。リタイア。
さらに、リタイアして降車したマシンに他車がコースアウトしてヒットし更にダメージを受けた模様。
ピーターソン等がコースオフしたコーナーは左コーナーであり、右側面がバリアに接触した損傷であったが、レース後に回収された P34は右よりも左側面のダメージが酷かった。
その後はカール・ケンプの実験用シャシになった模様で実戦では使用されていない。

【P34/5】
クラッシュしたピーターソンのレースカーP34/4に代わり77年南アフリカGPから登場。
西ドイツGPまではピーターソンのレースカー、オーストリアGPと、カナダ、日本GPではピーターソンのスペアカーとして持ち込まれた。

【P34/6】
77年アメリカ西GPにピーターソンのスペアカーとして登場。
その後、モナコ、ベルギー、イギリスGPで、デパイユのスペアカー、スウェーデン、フランス、西ドイツGPではピーターソンのスペアカー、オーストリアGPから日本GPまではピーターソンのレースカーとして使用された。

【P34/7】
77年スペインGPでデパイユのレースカーとして登場。
以降最終戦の日本GPまでデパイユのレースカーとして使用された。

※スペアカー使用のドライバーはエントリーされたドライバーであり、レースによってはカーナンバーを付け替えて使用していた。
例えば76年日本GPでは、 P34/2にNo.3(カーナンバーがナンバー同色の四角い囲みがあるもの)とNo.4(サイドポンツーンに黄色ラインが無く、カーナンバーのみのもの)の写真がある事から推測される。
余談であるが、フェラーリやマクラーレンなど、他チームに見られるスペアカー(Tカー)を表す〝T〟マークはティレルでは使用していない模様。

次回は、実戦をリタイアした後のP34各シャシについて考証します。

現存する タイレルP34を考証する①

現存するP34について考証してみます。

タミヤ本社にあるP34のシャシナンバーについて、様々な推測がありますが、現在まで収集した資料や情報を基に私なりに推測します。

さて、P34はプロトタイプを除き、実戦用のP34はP34/2からP34/7までの6台が製造されている模様です。

76年シーズンはP34/2からP34/4(「P34/5がイタリアGPのスペアカーに持ち込まれた」との記述も見られますが、手持ちの資料では、スペアカーの持ち込みは無い模様。)3台が投入されています。
また、P34/3はオーストリアGPでのクラッシュ後、修復されP34/3-2として、カナダGP以降のレースに持ち込まれています。

77年シーズンになると、76年に使用された上記3台に加え、P34/5からP34/7までの3台が製造され、投入されました。

77年シーズン終了後、それぞれのシャシはどうなったのか、行方を追う前にシャシナンバー毎に整理します。



続く

Preseason test/Silverstone/January, 1976

Preseason test/Silverstone

1976年1月


シャシ:P34/2

ドライバー:No.4 Jody Scheckter


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1975年9月22日の発表後、ポールリカール等でテストをしていたP34プロトタイプに続き、

実戦に向けてモノコックを含め新造したP34/2。

シルバーストンでのテスト走行時の画像。


フロントオイルクーラー装着のため、インテーク/アウトレットを有するノーズカウルと

76年序盤まで許される高いインダクションポッドが特徴的。


有名なノンタイトル戦“グラハム・ヒル インターナショナルトロフィー”でデモンストレーションしたものとはノーズカウルが異なる。


後のオランダGPに登場したシェクターがドライブするP34/4のノーズと非常に似ている。


また画像から判る、フロントのアンチロールバーに取り付けられたロッドやコクピットカウル右の配線はデータ収集用と思われる。