現存する タイレル P34を考証する⑤ | PROJECT34 archives

現存する タイレル P34を考証する⑤

さて、本題であるタミヤ所有の P34の考証に入りたいと思いますが、まずは著名な方の推測から。

今から6年前、モータースポーツジャーナリストの小倉さんも登場する記事内での推測は「 P34/3」。
モノコックのフロント上面パネルにある、ブレーキダクト装着時に必要な切り欠きの有無などからの推測。

そしてプロモデラー野本憲一さんの推測は「P34/4」。
これは先日レストアされた1/12  P34が最初に掲載されたHJ誌での記事。
このHJ誌、25年の間に何度も何度も読み返した結果、今ではページがパラパラ外れてしまいました。

同じく93年のMG誌で、タミヤ所有の P34を特集した際には、大串信さんの願望も込めて P34/2。
ただしこの頃は現在の様に情報が多くなかった時代。


そして、今回の推測は…と思ったのですが、資料を見返して「おや」と思う箇所が数点。

現存するタイレル P34を考証する②で記述した77年後半戦、ヨーロッパラウンド後半から北アメリカラウンド、そして日本GPにエントリーしたP34について、入手した資料では以下の記述がありました。

【オランダGP】
開催日 8月28日
 P34/2 スペアカー
 P34/6 レースカー(ピーターソン)
 P34/7 レースカー(デパイユ)

【イタリアGP】
開催日 9月11日
 P34/2 スペアカー
 P34/6 レースカー(ピーターソン)
 P34/7 レースカー(デパイユ)

【アメリカ東GP】
開催日 10月2日
 P34/3-2 スペアカー
 P34/6 レースカー(ピーターソン)
 P34/7 レースカー(デパイユ)

【カナダGP】
開催日 10月9日
 P34/5 スペアカー
 P34/6 レースカー(ピーターソン)
 P34/7 レースカー(デパイユ)

【日本GP】
開催日 10月23日
 P34/5 スペアカー
 P34/6 レースカー(ピーターソン)
 P34/7 レースカー(デパイユ)

後半戦はピーターソン: P34/6、デパイユ: P34/7の2台にスペアカー1台の組み合わせであるが、一般的な考えだと、ヨーロッパラウンド後半2戦にP34/2を持ち込み、その後、北アメリカラウンド→日本の転戦は同じシャシである方が物流的にも良いはず。
ところが、ティレルはアメリカ東GPのスペアカーが P34/3-2で1週間後のカナダは P34/5。

マクラーレンも、ロータスも北アメリカラウンドは同一シャシで転戦しているのに。

アメリカ東GP後、何らかの理由で別シャシと交換しなければならなかったのか。
それとも、記録に誤りがあるのか。

長くなってしまいましたので、次回に続きます。